第13話 彩華の機嫌

 翌日、大学の喫煙スペースで俺は彩華と二人で空きコマの時間を潰していた。

 二年生の後期ということもあって、時間割にはちらほらと講義が組まれていない時間、所謂空きコマが出てきている。自由に空きコマを作れるのは大学生の特権だ。

 そんな至福の空きコマタイムを謳歌していた俺だったが、今は隣にいる彩華の様子がいつもと違うことが気になっていた。

 彩華は固く腕組みをして壁にもたれかかっているのだが、それがどこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 美人なだけあり、少し話しかけづらい。仮に彩華と知り合いでなかったとしたら、そそくさと退散していたところだろう。


「なー。お前今日ちょっと機嫌悪くねえ?」

「んー、普通だけど」

「普通じゃねえぞ、少なくとも俺から見たらな。どうだ説得力あるだろ。長年の付き合いから導き出される俺の──」

「うざい」

「ごめんなさい」


 場を和ませようとした冗談は最後まで言い切られることなく、謝罪へと姿を変えた。


「まあ、次の講義までにはその雰囲気なんとかしろよ。誰とでも友達になれるキャラで売ってんだしお前」

「……別に売り出してるわけじゃないけど。でもそうね、気を付けるわ。ありがと」


 彩華は素直に礼を言うと、スマホをいじり出した。

 指の動きから何かのミニゲームをやっているらしいことが分かるが、指に全く気持ちが入っていない。

 すぐにゲームオーバーになり、リトライを繰り返す彩華に思わずもう一度質問した。


「何があったんだよ」


 彩華は視線をこちらに投げるが、すぐに戻した。

 今度の彩華は、何かあったことを否定していない。

 やはり何かあったのだろう、彩華の機嫌を損ねることが。

 それが昨晩のことなのか、別件のことなのか分からない。

 普通の友達ならここで質問を取り止めるところだが、相手は彩華だ。

 俺はもう少し聞いていくことにした。


「言えって」

「デリカシーってもんがないの、あんた」

「そんなもんは母さんの腹のなかに置いてきた」

「なら受精卵からやり直してきなさい」


 彩華は喫煙所から出て行く。

 仕方なくまだ半分以上残っている煙草を灰皿に押し付けて、彩華の後を追った。


「悪いって」

「怒ってない。どっちにしても、あと二十分で講義始まるし」

「お前そんな前から講義室に入って席取るようなキャラじゃないだろ」

「テスト前は別よ、これはほんとに」


 彩華は歩みを止めることなく校舎に入り、エレベーターのボタンを押す。

 エレベーターに入ると、その空間にいる人間は俺と彩華だけとなった。

 大学のエレベーターは比較的広めで、上り下りのスピードも速い。

 だが何秒かは密閉された空間に閉じ込められるわけで、エレベーターの空間は先程吸った煙草の匂いが若干ちらついている。


「あんた、そろそろ煙草止めなさいよね」

 彩華はこの際だからと言わんばかりに強い口調で言ってきた。


「何でだよ、いいだろ別に。俺の勝手じゃねえか」

 藪から棒に出てきた言葉に、思わず口を尖らせる。


「あんたにとって得ないでしょ」

「あるよ。煙草の付き合いって結構密の高い会話できたりするんだよ、先輩と」


 確かに煙草で余計な出費が嵩むので、お世辞にも裕福と言えない財布のことを考えるなら止めたほうが良いのだろう。

 身体へ害をなすということ考えていけば、デメリットが多々あることは俺にも分かる。

 だが相坂礼奈と別れた時は少しではあるが心を落ち着かせてくれたし、先程言ったように先輩との付き合いにも使える。

 メリットだって結構多いのだ。


 エレベーターのドアが開き、講義室のある四階に到着する。

 一階へ降りていくエレベーターの表示を何となく二人で眺めていると、彩華が不意に口を開いた。


「まあ、似合ってないってことだけは言っておくわ」

「……まじで?」

「煙草似合ってないわよ、羽瀬川悠太くん」

「二回言うな!」


 身体に悪いからと言われたら拒むつもりだったが、似合わないと言われたら話は別だ。

 ブランド品を買い漁るほどファッションに興味はないが、これでも並みの大学生程度の興味はある。

 似合っていないと言われるのが、一番ダメージが大きかった。

 これは本気で禁煙を検討する必要がありそうだ。


「志乃原さんにも嫌がられるんじゃないの、煙草。煙草が苦手な女子は多いわよ」

「いや、家では吸わないよ。志乃原の前で吸ったことはないんじゃないかな」

「まるでずっとあの子が家にいるような言い方ね」

 呆れたような声を出す彩華に、心の中で「最近ずっといるぞ」と呟いた。


「んで、なんで機嫌悪いんだよ」

 再度問い掛ける俺に、彩華は「また?」と顔をしかめた。


「あんたもめげないわね。私に嫌われることを恐れずにしつこくしてくる人ってかなり珍しいわよ」

「自分で言ってりゃ世話ねえよ。気になるから仕方ないだろ。それに俺とお前だぜ」


 もう四、五年の付き合いにもなろうとしているのだ。

 恋人などとは程遠いが、それでも特別な関係なことには変わりないだろう。

 彩華もその一言に異論を唱えることはなく、観念したように息を吐いた。


「テスト前だからね。気が立ってるのよ」

「あれ、もしかして今回お前やばい?」

「バカ言わないで、いつも通りよ。あんたと一緒にしないで」

「一言も二言も多いなお前は!」


 俺がツッコむと、彩華は今日初めて頬を緩める。


「教えてもいいけど、そこの自販機でカフェオレ飲みたいな」

「おう、だからなんだ」

 彩華は答えない。

 視線をただ自販機に送るのみ。


「……分かったよ」

 渋々財布を取り出し、暖かいカフェオレを買う。

 ガタンと音を立てて落ちてきたカフェオレを放ると、彩華は慌ててキャッチした。


「もう、急に投げないでよ」

「いいじゃん、取ったし」

「ふん。ありがと」


 彩華は鼻を鳴らして缶を開け、喉を鳴らして飲み進めていく。

 熱いカフェオレをごくごくと喉を鳴らして飲む女子大生は、何だか面白い絵面だった。


「普段授業も出てないのにノート見せろって輩が多すぎ。見返りもないし」


 彩華は一気に飲み干したカフェオレをゴミ箱に捨てながら、ようやく機嫌の悪い理由を告げた。


「金とかは」

 言いながら、彩華にそんな思考はないだろうと思った。案の定、矢のような視線を刺してくる。


「いらないわよ。今まで何度か言われたけど、みんな提示してくるのは五千円とかそこらよ。時給換算にしたらほんっとに雀の涙」


 一度言い始めたら全て話す気になったようで、彩華の口は止まらない。


「大体、人に頼むなら等価交換してよね。私が休んでた授業のノート取っててくれるとか。そんなんだから相手にされないのよ、あのボンクラたち」


 その言葉で彩華の指し示す人物らは男だということが察せられる。

 断ろうにも、表向きは八方美人を貫いているため難しいのだろう。

 高校時代の彩華が八方美人をしていた記憶はあまりないので、大学に入ってからの新しい心労というわけだ。

 だが、一つ問題なのは。


「私だって同じ時間を授業に費やしてるのに、なんで何の得もない人にノート渡さなきゃいけないんだか」


 ……俺も彩華にノートを借りまくっているということだ。

 朝に弱い、といえば聞こえはいいが、ただ自堕落な生活で講義を受けないことが多々あった。

 その度に彩華にノートを借り、講義に出ても彩華のノート方が頭に入るからとノートを借り。

 彩華の言う等価交換をした覚えはほとんどない。

 申し訳なさが一気に込み上げてくる。


「……あれだ。頭じゃ分かってたけど、こうして実際に言われるとさすがに反省したわ。すまん。いや、まじでごめん」


 俺が恐る恐る謝罪すると、彩華は目をパチクリとさせた。


「別に。あんたはいいのよ?」

「え?」


 いきなり謝らないでよ、と彩華は笑う。


「なんで俺はいいんだ?」

「さあ。渡すこと自体が私の得になってるんじゃないの」


 その意味を正確に理解しようとして、思わず咳き込んだ。


「なっ、どういう意味だよ!」

「あんたに借りを作ってこき使うって意味よ?」


 彩華はニヤリと笑って、先に講義室へと入って行く。

 タチの悪い冗談に、俺は二度と奢るまいと誓うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る