第12話 サンタと彩華
彩華の視線から、思わず顔を逸らす。
そういえば彩華に、自分の家に志乃原が入り浸っていることを言った覚えはない。
こんな時間まで志乃原を家に居座らせることに不純な動機など全く無いのだが、逆の立場なら果たしてこの状況をどう思うだろうか。
そんなの決まってる。
「……はい? あんたら、もしかして付き合ってたの?」
案の定、彩華は驚いた声を出した。
顔を見るといつものからかったものではなく、純粋に驚いた表情だ。
今まで彼女が出来る度に一番早く報告していた相手が彩華だった。
彩華から見れば、俺が彩華に何も言わずに彼女を作っていて、その相手が知り合いの志乃原だという二重の驚きなのだろう。
らしくなく言葉が見つからない様子の彩華に、俺は玄関へと歩きながら手を振った。
「ちげえって。何かあったら、多分お前には言ってる」
それでも彩華は、数秒間沈黙を守った後首を振った。
「……確かにあんたはそうするかもしれないけど。この状況見たら誰だってそう思うわよ」
「まあ、それは確かに。俺もお前以外にだったら誤解を解く自信がない」
「いやいや、私だって混乱してるっての。何でも分かってくれるなんて期待するのはやめてよね」
彩華は「普通にびっくりしたわよ」と付け加えて、玄関の扉を締め切った。
部屋に入ってきていた北風が遮断され、部屋に僅かな熱が灯る。
「それでも他人よりは理解してるだろ」
「まあ、そうかもしれないけど」
大学生なんて男女の付き合いが曖昧なことも多々あるが、俺自身付き合っていない女子を部屋に入れた回数は多い方じゃない。ましてやそれが二人きりとなると、あまり記憶になかった。
そんな俺が二十三時半という時間に志乃原と一緒にいたのだから、彩華の誤解も至極当然なことと言える。
だが誤解は解けただろう。
そう確信して志乃原にも謝ろうと思った瞬間、その志乃原の口から意外な言葉が飛び出した。
「彩華先輩ってこんな時間に家を訪問してくるような非常識な人だったんですね?」
その言葉を聞いた彩華は少し間を置いて、首を傾げた。
「……あら、付き合ってもいない男の家にこんな時間まで入り浸る未成年に言われたくないけど」
──いや、なんでお前ら顔合わせて早々喧嘩してんの。
思わず気骨を折って制止に入る。
「志乃原、彩華は一応先輩だぞ」
「あ、そうでした。すみません」
志乃原は素直に謝ったが、その目は彩華を見据えたままだ。
合コンの時はそんな挙動見せなかったのに──
──違う。
あの時二人は、一言だって話していなかった。
何かあるのか。
張り詰める空気に、俺はそう直感した。
ふと彩華に視線を向けると、彩華は冷静な表情を崩すことなく志乃原を見つめていた。
少しの間を空けて、彩華が口を開く。
「……この子は別に大丈夫よ。昔からの後輩だし」
「昔からの?」
後輩、ということは聞いていたが大学以前からのものだったのか。
だがそれが、志乃原と彩華の間に流れる雰囲気が微妙に張り詰めている理由と関連しているのかは分からない。
……そして俺には、今それを知る必要はない。
二人の問題だ。
俺は一考した後、志乃原に一言添えることにした。
「志乃原、ここらでやめとけ」
その一言に志乃原はチラリと俺を窺うと、素直に頭を下げた。
「すみません。やっぱり少しキツめに言っちゃいました」
志乃原の謝罪に彩華は気にした様子もなく、首を振る。
「いいの、こちらこそごめんね。私もつい煽り返しちゃった。それにその様子だと、ほんとに付き合ってるってわけじゃなさそうだし」
「はい、そうですよ」
そこに関してのみ、志乃原は素直に首を縦に振った。
志乃原が「本気で好き合ったことがない」と愚痴をこぼしていたのは、つい先程のことだ。
彩華もそれで気は済んだようで、スラリと細い指先をドアノブにかけた。
「それじゃあ、邪魔したわね。用はまた今度にするわ」
「おう、また大学でな」
彩華は俺に微笑で返事をして、背中を向ける。
だが踵を返す際、志乃原が持っていた物に視線を奪われた様だった。
「これですか?」
志乃原は視線に気付き、手に持った物を彩華に見せた。
「この財布、今先輩から貰ったばかりなんです」
ドキリ。
その言葉で、俺の心臓は跳ね上がった。
彩華は志乃原が掲げた財布を見つめて、少し眉を
それもそのはず、その財布は彩華が選んだものだ。
「……そう。素敵な財布」
短く答えて、彩華は去り際に俺の肩を叩いた。
「やるじゃないあんた、センス上がったわね」
「いや、」
いいのか? というニュアンスを含んだ俺の視線を、彩華は気にした様子もなく流した。
「邪魔したわね」
最後の挨拶と共に、彩華は玄関から出る。
闇に溶けていく彩華を、俺はただ見送るしかなかった。
◇◆
「志乃原、ちょっと」
「……えっと」
俺がソファで足を組むと、志乃原はその前の床に正座した。
傍から見れば問題になりそうな状況だが、生憎ここは俺の家だ。誰に見られる心配もない。
「先輩」
「なんだよ」
「冷たいです、床」
「一人暮らしの部屋には床暖なんて無いんだよ、我慢しろ。ていうかお前からそこに座ったんだろうが」
随分と気を抜いた服装の志乃原を一瞥し、足を組み直す。
俺が志乃原に言いたいことは一つだけだ。
「さっきの態度。彩華はあれでも先輩だろ?」
「……はい。すみませんでした」
俯くサンタは、元坂と別れた直後より元気がない。
素直に謝る様子から、反省はしているのだろうと分かる。
少なくとも、俺の前であのような態度を出したことは。
だから少し方向転換をすることにした。
「……と、怒りたいところだけど。俺の前で普通にしてくれたらそれでいいから」
俺の言葉が届くと、志乃原はパッと顔を上げた。
現金なことにその表情は明るい。
「はい! 普通にします!」
「そんな宣言があるかよ。……まあ、今日は帰れ。もう遅いぞ」
そろそろ日が変わるという時間まで志乃原がいたのは初めてのことだ。いつも二十三時には自宅に帰らせていたから、時間差だけで判断すれば大したものじゃないのだが。
「今時珍しいですよ、こんな終電ギリギリの時間に女の子を帰らせる人も。ちょっとは心配してください」
志乃原はそう言いつつ玄関へ向かう。
お世辞にも広いとは言えない玄関には俺のブーツが三、四種類並んでいて更に狭くなっているが、志乃原は慣れた様子で自分のヒールへと脚を伸ばした。
「その、気にならないんですか。私がなんで失礼な態度取っちゃったのーとか」
「別に。俺には関係ないし」
「あー関係ないとか言わないでくださいよ、普通にちょっと傷付くんで」
志乃原はヒールを履き終えると、一度俺に向き直った。
「でも、先輩のそういうドライなとこ、結構好きです」
「あっそ。早く扉閉めろよ、寒いだろ」
「……ほんっと釣れない人ですね! 少しはリアクションしてくださいよ!」
志乃原が最後に舌を出して見せて、扉が閉まる。
「……結構好きとか、軽く言ってんじゃねえよ」
志乃原にそういった気持ちが無いことは分かっているが、高校の時ならば確実に舞い上がっていただろう。
それで勘違いしたら男が悪者にされるのだ。
女の子もそうだろうが、男も男で生きにくい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます