第14話 テスト最終日

 俺の通う大学は、文系だと法学部以外は比較的単位を取ることが容易だ。

 不可率が八割を超える単位なんてないし、常に半分以上の学生は単位を取ることができる。

 出席さえしていれば、後はまともに勉強すれば大丈夫というのが俺の認識だ。


 そして今日のテストが、今期最後のテストだ。

 彩華の綺麗に纏められたノートをコピーさせてもらい、徹夜で広い範囲を網羅した。

 ノートの持ち込みは許可されていない科目だが、単位を落とす心配は少ないというのが俺の見解だ。


 あと二十分でテストが始まるが、この分ならギリギリまで詰め込む必要もないだろう。

 机の上を片付けて筆記用具だけを置く。

 すると、誰かがこちらを窺う気配を感じて顔を上げた。


「隣いいですか?」


 恐らく同い年であるだろう学生に話し掛けられる。


「はい、どうぞ」


 見知らぬ男の学生は軽く頭を下げて、テストの準備をし始めた。

 高校の時は、例え相手が見知らぬ顔でも同い年だと判断すれば敬語を使うことなんてなかった。

 大学に入って変わったことの一つである。


 やることも無くなったので周りを見渡すと、彩華は反対側の席で友達と覚え合いをしていた。

 反対側なので、表情までは分からない。

 仕草だけで彩華と判断できるくらいには長い付き合いというわけだ。


 大学の講義室には様々な種類があるが、俺が今いる講義室はかなり大きめの部類に入る。

 前後に十五列、左右に二十列ほど並ぶ長机にはそれぞれ学生三人が収まる構造だ。

 テストの際はカンニングを防ぐために二人しか座れないが、それにより学生が座れないという事態にはならない。


 教授が入ってくるとザワザワとした講義室が次第に静まり、テスト用紙が配られる。

 裏から問題が透けないかと眼を凝らすと、記号問題は無さそうだ。

 なぜなら、問題らしき文字列が二つにしか別れていない。


「うっわ……」


 隣から聞こえる呟きに、心の中で全力の同意をする。


 二つしかないとなると、相当詳細に論述をしなければならない問題であることは間違いない。浅く広く覚えてきた学生はさようならだ。


 音楽が流れ、ペンを握る。

 テスト開始だ。



 ◇◆



「終わった」


 一問目はなんとか書き切った。だが二問目は見事に脳から消え去った内容を主題としており、ペンは四行走らせて限界だった。

 最低でも二十行程度はいるであろう論述に四行。


『あなたはこの冬休みに何をしましたか。その中で一番楽しかったこと、美味しかった食べ物について詳しく書いてください』という問題が出されたとする。


 その問題に対し『今日はカフェに行く予定です』というのが恐らく俺の答えだ。

 問題の趣旨さえよく分からないほどの壊滅ぶり。

 部分点も見込めそうにない。


 テストから解放されたというのにどんよりとした空気に包まれる俺を見て、彩華は呆れたような声を出した。


「は、あれ解けなかったの? ノートに論述問題が出されるかもしれない分野はここっていくつか印付けてたじゃないの」

「あははは」

「……だ、大丈夫あんた」


 彩華が若干引いた様子で、一応の心配する言葉を投げかける。

 その後少し考える様子を見せて、手を叩いた。


「そうだ、明日テストお疲れ会やるんだけどさ。あんたも来ない? 大人数の飲み会、あんた久しぶりでしょ」

「……飲み会? あー、確かにサークルに行ってた時以来大人数のやつはないかもな」


 俺の返事を聞くや、彩華はスマホを取り出して指を走らせ始める。


「はい、参加連絡送っといたから。割とオープンなサークルだし、お酒入ったらあんたも楽しめると思うわ」


 まだ行くとも何も言っていなかったのだが、彩華の行動は早すぎる。

 だが今回は俺も少し乗り気になったこともあり、素直に礼を言うことにした。


「さんきゅ」

「ん」


 彩華は短く返事すると、大きく伸びをした。


「しっかしまあ、これで私たちもしばらく自由ね。長い長い春休みを楽しみましょうか」

「だな、二ヶ月あるもんな」

「そうそう。うちのサークルで旅行に行くんだけどさ、結構楽しみなんだ」

「お前って複数サークル入ってたよな? どのサークルのこと」

「アウトドアサークルよ」

「へえ、山でも登りに行くのか」

「ううん、温泉行って蟹食べる」

「でしょうね!」


 アウトドアサークルと聞けば、登山などを思い浮かべる人も多いだろうが現実はそうじゃないことが多い。

 大人数で飲み会をしたり、普通の観光旅行をしたりするサークルが大半を占める。

 大学によっても違うだろうが、少なくとも俺の大学は複数のアウトドアサークルが軒並みそんな感じだ。


 サークルに入る為にエントリーシートなどによる選考があるところも存在し、一年生の時に驚愕したのを覚えている。


「んじゃ、私行くわ。学部の友達とご飯行くから」

「おう、りょーかい」

「またね」


 彩華は手をひらひら振って、講義室へ戻って行った。

 学部の友達がそこで待っているのだろう。


 彩華の友達と面識はあるが、ご飯に行ったことはない。

 顔を合わせれば少し話したりもするので行こうと思えばいつでも行けるのだろうが、きっかけが無いのが現状だ。

 恐らく彩華は、そのグループに俺を混ぜて遊ぶことへはあまり乗り気じゃない。

 彩華がその気なら、とっくに誘いの一つも入っているはずだ。

 合コンやサークルの飲み会にはすぐに誘ってくるのだから。


 俺の知らない彩華の一面も、あのグループなら知っていたりするのだろうか。

 そんな一面があるのかは分からない。

 ただ俺は、高校で出会う前の彩華のことを聞いたことがない。

 興味はあるが、それこそ何かきっかけがないと知ることもないだろう。

 それとなく本人にきいても、適当にはぐらかされることが多かった。


 そんなことを考えていると、ポケットのスマホが震えた。

 志乃原からのラインだ。


『テストお疲れです! 今どこいますかー?』


 昨日は夜遅くまで勉強していたし、家に帰って寝たい。

 そう思ったが、志乃原に合鍵を渡していたことを思い出す。


「ミスったな……」

 そう呟くと、志乃原からの着信が画面に表示された。

 少し迷ってから通話に出る。


『先輩、テストおつです!』

「ああ、うんありがと。悪いけど今日は家で寝るぞ」

『あれ、何でです?』

「遅くまでテス勉してて眠いんだよ。だから今日は勘弁」

『えー、ならお昼付き合ってくれるだけでいいですよ? 私さっきお昼の誘い断ったところなんで夕方まで暇なんですよね』


 俺と昼ご飯を食べるつもりで断ったということだろうか。

 それなら少し悪いかもしれないと思いかけたが、踏み止まった。


「いや、そりゃお前の都合だろうが」

『はい、私の都合です。そして先輩は優しいので、こういう時は付き合ってくれるのです』

「なんだそりゃ」

『知ってますか? 人間って優しいと他人に言われたら、本当に優しくなれるんですよ』

「そうか、じゃあ俺は人間じゃないみたいだ。じゃあな」

『ちょ、待ってくださいよ奢りますから!』


 焦って制止してくる志乃原の口説き文句に、俺は揺らいだ。

 一人暮らしの学生には、帰って待っていてもご飯は出てこない。

 自分で料理するか、外食するか、弁当などを買うか。

 そして俺は料理をしないので、割高な選択肢しか残っていないのだ。

 つまり、食費を削れるというのは結構魅力的。

 例えそれが年下の女子に奢らせるという手段でも。


「仕方ねえな、行ってやる。大学内のカフェテリア前で集合な」

『ふふ、ちょろいですね』


 その一言で通話が切れる。

 約束を放って帰ってやろうかと、一瞬本気で考えた。

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