第4話 元サンタからのお願い
志乃原は先週彼氏に浮気をされた、と鼻を鳴らす。
そしてグラスに食前酒がまだ注がれていないのにも関わらず口元へ運んだ。
「あれ、中身ない」
「いや、手に取った時点で気付けよ」
思わず呆れた声を出す。
「てか未成年だろ。食前酒が注がれても飲むなよ」
「堅いこと言わないでくださいよー。先輩も新歓で飲んだクチじゃないんですか?」
グラスを置きながら志乃原は口を尖らせる。
お酒は二十歳になってから、というのは新入生歓迎会、略して新歓などでは無視されることが多い。
これは今のゆとり世代がはしゃいだ結果、ではなく昔からの悪しき伝統というやつだ。
「んなことない。丁重にお断りした」
「ほんとですかー?」
志乃原は目を細めてニヤリと笑う。
その表情は小悪魔を彷彿とさせて、手玉に取られる男は一人や二人で済まなさそうだ。
そこからは同じ大学ということで別の話が盛り上がり、志乃原がハッとして話を止めたのはもう次がメインディッシュだという頃だった。
「そういえば何かさらっと私の話流れてません? 結構ショッキングなこと言ったと思うんですけど」
「今お前もちょっと忘れてたろ」
「そ、そんなことないです。ちょっと別の話で盛り上がってただけです」
「だな。昨日会ったばかりだとは思えんわ」
「は、はい。いや、それは置いといて」
志乃原はコホン、と咳払いをして間を空けた。
「浮気されたんです」
「お、おう」
二度目の報告だと、いまいちインパクトに欠ける。
むしろどんな反応をしようか、そればかり考えていた。俺の時もこんな風に、友達に色々考えさせたりしていたと思うと……
そんな気持ちを誤魔化すように、俺は注文していたカクテルを喉に流し込んだ。
「このお店だって、私ちょー下見してやっと決めたところだったんですよ。まさか見知らぬ先輩と来ることになろうとは」
「お前が誘ったんだろ……」
「こんな美味しいお肉も、お酒も、スープだってほんとはその彼氏と食べたくて予約したコースだというのに!」
「お前、全然悲しそうじゃないけど」
どこかの舞台で使われてそうなイントネーションに、さすがにツッコミを入れた。
「あ、バレました?」
志乃原はぺろりと舌を出した。
「彼氏は初めてできたんですけど、私中高と男子の告白は断り続けてたんで」
「へえ、結構告白されてたんだ」
「はい、私モテますからね」
サラッと言った。
まるでそのことについては余り興味ないですけど、と言っているみたいだ。
「じゃあ、なんで付き合ったのよ」
志乃原はうーんと悩ましげに唸ったあと、パチンと指を弾いた。
「あれです。その、カップルらしいことしたかったんです」
「ほお」
「SNSとかでみんなのつぶやき見てて、いいなあって思っちゃって。私も彼氏作って、色んな場所行ってみたいなって」
「ああ、なるほどな」
そういった理由で彼氏彼女を作る人は結構多い。
しかもこの時期となれば、皆んなまるで見せつけるかのように投稿が増える。
普段デート後にしか写真をアップしないカップルが、デート前にもアップするようになったりという様にだ。
おかげで最近は、すっかりSNSを見る頻度も減ってしまった。
「てなわけで、初めて付き合ってみたんですけど。それが浮気で終わりなんて嫌じゃないですか。いや、終わるのが嫌っていうか、やられっぱなしが嫌ですね」
「ああ、まあされたらそう思う人もいるか」
俺の時は結構、いや本気のショックで軽く一週間くらい寝込んでしまったが。
さすがの彩華も心配して、俺の分のノートを取ってくれたっけ。
「あいつは浮気したけど、私のこと大好きですから。ちょっと仕返ししてから別れてやりたいと思います」
「どうやって?」
「それはこれから考えるんですけど、まぁ誰かと他の人と仲良くしてるところを見せつけるとかですかね。協力してくれる人が必要ではあるんですけど」
「ほう。頑張って」
それだけ言うと、俺は今しがたメインディッシュに運ばれてきた牛フィレ肉に視線を落とした。
「そこでです、先輩」
「断る」
「まだ何も言ってないのに!?」
以前、少年誌に載っていたラブコメにも、展開は似ても似つかないがそういった関係を題材にしたものがあった。
なんだか嫌な予感がして事前に断っておいたのだが、この反応を見るに間違いはなさそうだ。
「お願いします、ちょっとだけでいいんです! まずはあいつの前で私たちが仲良くしてるところを見せつけるところから」
「やだよ、今日ここに来るのは確かに俺が言い始めたことだけど、その件は関係ないじゃん。他の人に頼んでよ」
「こんなこと恥ずかしくてよく知ってる友達には頼まないですもん!」
それはその通りかもしれないが、だからといって俺に頼られても困る。
もっと他に適役がいるはずだ。志乃原の容姿なら、一声上げればそこら中から男が湧いてくるに違いない。
「ほら、ここのお代は私が持ちます。それでどうですか?」
「あほ、年下の女の子にそんなことできるか。普通に割り勘でいいよ」
これで相手が自分から誘った女の子であれば、迷わずカードで支払っていたはずだ。
さすがに志乃原に全額出すつもりはないが、それでも自分が出されるのには抵抗があった。
「いえ、私サンタで結構稼いだんで、このために先輩を雇えるのなら万々歳です。先輩が何と言おうが私が無理矢理払うので、諦めて雇われてください」
「ひ、ひでぇ暴論だ……」
「いいですか、ほんとに私が払いますから。余計なこと考えずにこれ、牛肉、食べてください」
「牛フィレ肉な」
コース表にはロッシーニ風と書いてある。
「先輩、ロッシーニ風ってなんですか?」
「なんだったかな。確かトリュフとフォアグラが一緒に使われてるんだっけ」
「へぇ! 先輩、博識!」
言えない。同じものを元カノと食べたから知ってるだけだなんて。
その時食べた牛フィレ肉も結構美味しかったのを覚えているが、値段を鑑みるとどうだろう、という感じだったっけ。
そんなことを思い出しながら肉を口に運ぶと、
「めっちゃうま……」
思わず声を漏らして、舌鼓を打つ。
こういう肉は本来赤ワインなどが合うのだろうが、残念ながらまだ俺には赤ワインの美味しさは分からないので他のカクテルを探しメニュー表を開く。
志乃原はそんな俺の様子を見て、得意げに笑った。
「ふふふー、しっかりメニューまで吟味した甲斐ありました。決まりですね、それじゃあ明日よろしくお願いします」
それを聞いて思わず吹き出しそうになった。
「ま、待って。明日は予定が」
「え、なんで先輩に予定あるんですか?」
「おい、俺の扱い雑になるの早すぎないか」
「そんなことないです。それで、どんな予定ですか」
「合コンあるんだよ。まあそんなに長くは居ないつもりだけど」
膨れ面をする志乃原は、この場が合コンだと男どもが殺到するくらいに可愛かった。
「じゃあ早く終わったならその後、終わらなかったらまた後日ということで。また連絡してください」
そう言うと、決まりという様に志乃原も牛フィレ肉を食べ始める。
語尾にハートマークが付きそうな声で「美味しい」を連発する志乃原を横目に、こいつも彩華と同じタイプなのかとため息を吐いた。
とんだメリークリスマスになりそうだ。
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