第2話 サンタを辞めました


「遅いな」


 クリスマス一色のショッピングモール一階にあるカフェ、リターズ。

 俺はカウンターの席に座り一人で、サンタの服を着ていた女の子を待っていた。

 袖を捲し上げ、腕時計で時間を確認する。約束の時間から四十分は経っている。


 まあ、考えてみれば当然か。


 いくら弁解といっても、俺ができることといえば一緒に謝罪するくらいだ。先程はテンパり思わず財布を出してしまったが、チラシをバラまいた程度でお金を請求するところなんてないだろう。


 最後にもう一回だけ腕時計を見て、席を立った。

 すっかり冷め切った珈琲コーヒーを一気に飲み切って、店を後にする。


 ガヤガヤと賑わうショッピングモールを重い足取りで歩く。

 冷静に考えたら一緒に謝罪ってなんだ。

 新手のナンパみたいな言動で、きっと警戒されたに違いない。俺が逆の立場なら、なんだこいつと思うだろう。

 ……それならそれでも仕方ないが、待ちぼうけ食らわせるのはさすがに酷くないか。


 そんな事を考えながら、ふと前を見ると手を繋いだカップルがすぐ正面まで歩いてきていた。カップルはお互いの顔を見ながら歩いていて、俺に気付いていない。

 結果、俺はカップルの繋いだ手を引き裂く形を取ってしまった。


「すいません」

 顔だけ後ろに向けてぺこりと頭を下げる。

 高校生であろうカップルは振り向きもせず、俺に裂かれた手をロマンチックに繋ぎなおしていた。


「……はあ」


 思わずため息を吐く。怒りなんかより、情けないという気持ちの方が先に来た。

 あの高校生も、クリスマスはきっと二人で過ごす。お金がないなりにも奮発したお店を予約したりするんだろうか。


 ジーンズのポケットに手を入れて、耳にイヤホンをかける。周りの話し声を遮断するように好きな音楽の音量を上げていく。

 別に一人でいることは辛くないのだが、なんだってクリスマスというものはこんなにも独り身に優しくないのだろうか。

 今日はもう帰って、漫画でも読もう。イブとクリスマス当日は、それで決まりだ。


 するとトントン、と肩を遠慮がちに叩かれた。

 振り向くと見知らぬ女の子。ではなく、先程サンタの服を着ていた子だ。

 今はベージュのコートに身を包んでいる。サンタの格好をしていたときは分かりづらかったが、こうして見ると俺より年下だという感じがする。


「え、どうしたの」

「あ、えと。さっきの者です」

「ごめん、もう来ないと思って帰ろうとしてた。今から?」


 自分から待つと言った場所から離れていたことに後ろめたさを感じ、目を逸らしつつ問う。いくら相手が四十分遅刻したからといって、もう少し待つべきだったかもしれない。


「いえ、もう終わらせてきました」

「え?」

「二つの意味で」

「え」

「辞めちゃいました」

「え!?」


 サンタ辞めちゃいました、と気軽に笑う女の子に思わずたじろぐ。

 すると、なにか。俺があの時ぶつかったせいで。


「まあどっちにしても、そろそろ辞めるつもりだったんですけどね。まあ、もうサンタの格好できないのはちょびっと寂しいですけど」

「あ、あんたはそれでいいのか?」

「いいですよ?」


 それと、と女の子は口を尖らせた。先程抱いた丁寧な印象は、やはりバイト用のものだったらしい。


「私、名前言いましたよね。志乃原真由ですよ、あなたはやめてください」

「あ、ごめん。……でもいいのか、こんな見知らぬ男に簡単に名前教えちゃって」

 街でぶつかって、チラシをバラまいただけの仲なのに。そう思って口にした。


「なんですかそれ、その言い方だと私が軽い女みたいに聞こえるんですけど」

「い、いや違うそういうつもりじゃ」


 目を細めた志乃原に、慌てて両手を振って否定する。


「……でもそうだよな、ごめん。心配しただけなんだけど、どっちにしても余計なお世話だったな」

 俺が謝ると、志乃原は目をぱちくりとさせた。


「い、いえ……私もそんなつもりじゃ。そんなに謝らないでください、冗談ですから」

「え、冗談なの?」

「はい、冗談です」


 分かりにくい冗談だな……ほんとに怒らせたのかと思った。


「それと羽瀬川さん、私たち同じ大学ですよ。ついでに私一年なので、多分年下です」

「え、志乃原さんも? 俺そこの二年だわ」

「はい、すぐ側の大学って、ここじゃ一つしかないですもん。あと年上なら呼び捨てにしてください。なんかむず痒いです」


 志乃原は顔をしかめてそう言った。

 確かに、俺も学生の年上からさん付けで呼ばれるのはバイトしてる時くらいだ。

 プライベートの場でさん付けは違和感を覚えるかもしれない。


「それじゃ、志乃原。なにかお詫びできないか? 元々辞めるつもりだったとはいえ、それでも俺がきっかけで今日辞めちゃったのは事実だし」

 それを聞いて、志乃原は腕を組んで考える仕草をした。わざとらしく「うーむ」と唸っている。


「明日、予定あります?」

「え?」

「行きたいとこあるんですけど」


 そう言うと、志乃原はスマホを取り出して操作し始めた。十数秒程すると、画面をこちらに見えるように掲げてくれた。


「結構いいお店ですよ。自信あります」

「……いや、これって」


 フレンチのクリスマスコース、一人八千円と書いてあるのは気のせいだろうか。


「……なんで?」

「なんでですかね。まあ、あれです。同じ大学のよしみってやつです」

「適当かよ」

「適当です。人生多少適当に生きた方がいいってもんです」

「はあ」

「嘘です。さっきも先輩自身が言ってたように、これってお詫びの印ですよね。それくらいのワガママいいじゃないですか」

「うぐっ」


 それを言われると弱い。確かに数秒前にお詫びしたいと申し出たのは俺だ。その俺が提案を断っては、お詫びにならない。

 ……ところで何か今、気になる言葉が並んでいたような。


「先輩ってなに?」


 大学に入学して約二年、大学の年下に先輩と呼ばれることなんて部活に入っていない限り滅多にない。

 サークルはさん付けで済ましてしまうので、俺自身が先輩と呼ばれたのは高校の時以来だった。


「あ、すみませんつい癖で。私この前までずっと部活に入ってたので、なんか年上の人につい先輩って言っちゃうんです」

「へえ、部活に入ってるとそんなもんなのか」

「いえ、多分あまり多くはないかと……ダメなら、普通に呼びますけど」


 先輩と呼ばれると昔を思い出してなんだか恥ずかしくなるが、それだけだ。拒否する理由にはなりそうにもない。


「好きに呼んでよ」

「はい、じゃあ先輩。えと、ライン交換しましょっか。結局、あのお店で決まりでいいですよね?」

「ああ、うん。おっけー」


 もうなるようになれだ。

 お詫びの話を持ち出したのは俺なので、ここは志乃原に従うのみ。

 こうして俺は、元サンタとなった志乃原真由とディナーの約束をした。

 一人八千円のクリスマスコース、結局お金が飛んでいくんじゃないかという思考を捨てるのに苦労した。

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