老人

 目下の標的である魔砲使いを目指して、キリコは西を目指す。だがその道中で日が暮れた為、その場で野宿をすることにした。

 月明かりの下、草のベッドで眠るキリコは夢を見ていた。


「あんた! あんた!」


 初老の男性が宙に浮き、それを妻が泣きながら抱きしめている。

 キリコはその光景を俯瞰しているが、初めて見るはずなのに涙を流さずにはいられない。

 この夫妻は本屋を営んでいたのだが、不良グループに狙われたことで人生を狂わされた。執拗かつ巧妙な万引きによって店の財産を次々に盗まれたのだ。

 妻は夫を自殺に追いこんだ万引きに憎悪を燃やすが、まだこの頃は鬼になりきれていなかった。


「お困りのようですね。ご主人の不幸もあれば当然でしょうが」

「■■■さん」


 困り果てて後追い自殺をしようとした妻に近所に住む易者が手をさしのべた。

 捨てるつもりだった店を彼女は買い取ると言うのだが、妻は「今更助けてくれるても遅い。夫がいのちを絶つ前にしてほしかった」と易者に怒鳴る。


「お金で解決なんて言っても奥様は納得できませんか。いいですよ、なにか一つ願いを叶えてあげますよ」

「願い……?」

「さすがに旦那さんを生き返らせろと言うのは無理ですが、旦那さんを死に追いやった連中に復讐するくらいならいくらでも」

「それ、本当ですの」

「警察のような正攻法では無理なことでも、わたしの力ならこんな風に」


 易者は掌を前に出すと、その上に炎を灯した。

 超常の力を持つことを示すデモに妻は彼女を信用した。


「あたしは不良が憎い。それに万引きも! 殺すなんて恐ろしいことはできないけれど、盗人を反省するまで閉じ込める檻がほしいわ。変な気を起こした人も、過去にそれをした人も、全部閉じ込めてその罪を反省させたい!」

「それがアナタの願いで良いんですよね?」

「ええ。出来るモノなら叶えてちょうだい」


 妻にとっては易者が特殊な力を持っているとはいえ、ここまでのことは半ば売り言葉に買い言葉であった。

 だが易者はそれを難なく叶えてしまう。


「この店はありがたく頂戴するわ。それにアナタの願いはわたしの店の防犯装置にちょうど良い」


 妻は騙されていた。

 確かに易者は望みを叶えて咎人を閉じ込める檻を作ったが、それは妻自らがその檻になることに他ならない。こうして檻となった妻は罪の世界の核として一冊の本の姿になる。


「今のは?」


 目覚めたキリコは夢の一部を思い出しながら困惑していた。夢という存在を知識として知っているが夢を見たのは初めてだったからだ。

 「住民」は夢など見ない。

 見るとしても記憶を整理する際の幻影、夢とは似て非なるモノだけである。

 夢の中から彼女の憎悪を抜き取り心の中で燃やしながら西の洞窟に歩を進める。半日ほど歩いたところでキリコは小屋を見つけた。


「怪しいな」


 このような場所に「住民」は確実にいないし「咎人」がいるとも思えないとキリコは怪しむ。

 警戒しながらドアを開けたキリコの目の前には暖炉を前に本を読む老人が一人だけだった。

 キリコを見てきょとんとした顔をする老人は少しすると彼女に気づいて優しく声をかけた。


「誰かと思ったら本屋の娘さんか。住民がこんなところにいるなんてどういう風の吹き回しだい?」

「西の洞窟に用があるんだ。そういうおじいさんはここで何を?」

「終わりの無い読書さ」


 老人の右手には確かに太陽の紋があり、彼が咎人なのは間違いないのだろう。

 だが彼は他の咎人とはどこか違っていた。

 達観というのだろうか、開き直ったクズとも街に貢献して償おうとする善人とも彼は違っていた。

 彼の言葉を理解できないキリコが小首を傾げると、彼は人形に独り言を言うように自分語りを始める。例え相手が聞いていなくても、ペットに言葉を投げるように、誰かに語って気を落ち着かせたいのだろう。


「住民であるキミに言っても意味が無いことだが、折角なので老いぼれの話を聞いてくれないか?」


 老人はキリコの返事を待たずにそれを続けていく。


「遠い昔の話だ。ワイは若い頃に金に困って、本屋で万引きをしてのう、その罪でこの世界に連れてこられたんだ。

 お前さん達には信じられんだろうが、当時のワイは若かった。この世界に送られた理由もわからずに、ゲーム感覚で好き勝手に遊び回っていたもんよ。

 そんなある日、ワイは彼女と出会って心を入れ替えたんだ」

「へえ」


 キリコの相鎚に老人は気をよくする。


「彼女はレイアという住民でな……お前さんも知っているだろう?」

「ええ」


 確かにキリコはレイアを知っている。

 花屋の店番でキリコの幼馴染み、そういう住民であることを。


「彼女に惚れたワイは毎日花屋に通い詰めて、ようやく一緒に寝たんだ。その日の晩を境にすっかり彼女もワイに惚れてくれて、あの頃のワイは幸せの絶頂だった」

「でもレイアは……」

「お前さんの言うとおり、彼女はどこまで行っても住民だ、ワイとは違う。だが恋は盲目というようにワイはそれに気付かなかったわけだ。

 彼女と三日三晩ずっこんばっこんとサカりあって、彼女のために真人間になるぞと決意したとき、ワイの償いは終わったんだ。

 要するに気付く前にタイムリミットになったわけだな」


 レイアとの逢瀬までは上機嫌だった老人だが、償いを終えてからの話に差し掛かると次第にうつむく。


「償いを終えたワイは元の世界に帰ったわけだ。最初はレイアのおかげで真人間になれたから、これからはなんだってできると思っていたのよ。実際、その後しばらくは順風満帆だったからな。

 だが女には恵まれなくてこの歳まで独り身で、そんなおりにワイの会社が不渡りを起こして倒産してしまって、またどん底に墜ちてしまったのよ。

 もう死ぬしかないと思ったワイは若い頃のレイアとの思い出にすがるしか無かった。

 そこで、レイアに会いたい一心で、かつてこの世界にくるきっかけになった本屋に行ってみたんだ」

「だからおじいさんはここに戻ってきたの?」

「そういうことだ。だがワイは罪を犯したわけじゃない、魔女に頼んでねじ込んでもらったんだ。だからワイは咎人であって咎人ではない、どっちつかずの不老不死でしかなくなったのよ。

 そうまでして会いに来たレイアはワイのことなんてこれっぽっちも覚えていないんだから泣けてくる。死にたくてもこの体じゃ死ねない。

 故にワイは死ねるまでここで本を読むことに決めたんだ。幸い本屋には新しい本が湯水のように溢れてくるし、このあたりで取れるカエンタケを売れば金には困らんのでな。

 食事には苦労をするが、食わなくても苦しいだけで死なないし、そのくらいの苦痛も暇つぶしにはちょうど良い刺激ってわけよ」


 一通り語り終えた老人は、まるでキリコを居ない人のように無視して読書に戻った。

 キリコは知っている。彼の言うレイアが「住民」でしか無いことを。

 「住民」は与えられた役割を演じる舞台装置でしか無い。彼のように求婚してきた「咎人」と恋仲になるとしてもそれは一時的な演技でしかない。

 たとえこの老人が若い頃すぐに戻ってきたとしても、レイアは彼のことなど忘れてまた他人に戻っていただろう。

 思い起こせばキリコにも何度か「咎人」と交際をした「住民」としての記憶はある。そしてそれに混同するように彼女とその夫の逢瀬も。


「おじいさん……もし、死ねると言ったら死にたいか?」

「死にたいね。でもそれは誰にも出来ないことさ。

 噂に聞く咎人殺しなら殺せるだろうが、アレは咎人の中でも行き過ぎたクズを狩る存在だっていうじゃないか。彼……いや、彼女かもしれんが、ワイのような半端物の始末なんて咎人殺しの仕事じゃない」


 キリコの眼で見ても彼は充分に罪を償った存在にしか見えない。嘘か誠か伊達に償いを終えた後に出戻っただけはある。

 彼は死を望んでいるが、彼の言うように彼を殺すのはあたしには過ぎた行為だ。

 そう思ったキリコは老人を置いて黙ってこの場を立ち去った。

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