第5話
彼は心の中で叫びました。
すると彼の叫びに呼応するかのように、男の子は意識を取り戻したのです。
目を開いていますが、おそらく目が見えていないのでしょう。耳ももう聞こえないかもしれません。
誰かの存在には気づいているようですが、彼がいる方向とは違う方を向いています。
彼は少年の手を取りました。
すると少年は彼の方に向かって何か言おうとしました。しかし口から出るはずの言葉は音にならず、その代わりに小さな石となって口からこぼれ落ちました。
石がこぼれ落ちると少年は慌てて探そうとしています。
彼が石を拾い上げて少年の手に持たせると、少年は彼にその石を渡そうとしました。彼が受け取ったことを確認すると、少年は息をひきとりました。
最後の瞬間、少年は彼の手を強く握りしめました。
彼はその小さな体を持って洞窟から出てきました。洞窟の入り口で待っていた案内人は、彼を見ると叫び声をあげて逃げていきました。
彼は鉛色の空を見上げました。
彼自身の心も体も鉛のように重くなっていました。
少年を木のふもとに埋めてあげました。
彼は花を添えて手を合わせると、その場を立ち去りました。
水面に映った自分の姿を見ると、棘が炎のようにゆらりと揺られていました。棘が人の形に収まりきらず、あふれ出てしまっているのです。
これではもう人々の前に出て棘を抜くことはできないな。棘を引き受けたのが自分で良かった。普通の感覚を持つ人だったら耐えられないだろう。
でもこれだけの棘を引き受けたら、自分だってもう長くない。
彼は父親のことを思い出しました。
なつかしい思いがこみ上げてきて、胸が苦しくなってきました。
生まれた村に帰りたい。
生まれた村でこの長い旅を終えよう。
父と母と神様が眠るあの場所でこの命を終えよう。
彼は人々に恐れられてはいけないと、人の目につかないように移動しました。
しかしもう歩くのも精一杯です。歩くことが出来なくなった時は、少年からもらった石を取り出しました。
その石は野いちごのような形をしていました。
その石を握りしめていると不思議と痛みに耐えられる気がしました。
彼はついに重い体を携えて自分の生まれた村に帰りました。神様の石はまだ森に飲み込まれずに残っていました。
彼は神様の石碑を抱きしめました。なつかしさで体が満たされると同時に、体の中からぐつぐつと煮立っている感覚が湧き上がりました。
全身に激痛が走ります。
しばらくすると目が見えなくなりました。
もうとっくに耳も聞こえません。
彼は少年と同じようにここで死ぬのだろうと思いました。彼は少年からもらった石を握りしめて、石碑を抱きしめて神様にお願いをしました。
目が見えなくなった、耳も聞こえない。
しかし求めているんだ。
何かを強く求めているんだ。
何かをつかみかけたばかりなのに命を終えたくない。
彼は意識を失いました。
気が遠くなるような時間が経過した後、彼は目を覚ましました。彼が抱きしめていた神様の石碑は以前よりもひとまわり大きくなっていました。
彼は立ち上がることができました。
自分の体を見ると、棘が消え去っていました。
棘が溶け込んで黒くなったはずの皮膚も元通りになっているのです。
彼は急に笑い出しました。
彼は生まれて初めて笑ったのです。
なぜ笑っているのかは自分でも分かりません。
笑いながらも、涙が流れています。
笑っているけれど泣いているなんておかしいな。
まだうまく感情のコントロールができないようだ。
最初に笑うことを学ばないといけないな。
笑うことを練習しないといけない。
他の人みたいに自然に笑えるように。
またここで暮らそう。
家族となる人を見つけよう。
そしてまたここに村をつくりたい。
さあ再び自分の人生を始めよう。
何度でもやり直すことができるはず。
何度でも、何度でも、何度でも。
感覚を喪失した少年の話 水野たまり @mizunotamari
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