第13話 会議に参加しました。

「それでは新商品企画会議を始めまーす」


「はーい」


 マスター――國賀くにがみなとさん、通称ニガさん――の合図――これから会議が始まるなんて到底思えないような引き締まりのない声――を受けて、僕はフランクに返事をした。


「やっほーい」


 雨籐さんは僕以上にフランクな返事をした。拳を丸めて顔の横の辺りに掲げている。えい、えい、おー、のおーの部分がコンパクトにされたような感じだ。


 新商品企画会議とやらになぜか僕が参加している。雨籐さんのふとした思い付きでこうなってしまった。彼女と話せる時間が魅力的で引き受けた僕も僕だけど、二つ返事で許可するマスターもマスターだと思う。


「まずは新商品の核となるコンセプトなんだけど」


「うんうん」


 マスターは手元のA4サイズのメモ用紙へ視線を落とした。横に座る雨籐さんはウキウキルンルンな相槌を打っている。


「梅雨を先取りする、どんよりとした雨雲の中の一匹の虫。だな」


「なるほど、そうきたかー」


 マスターは机に肘をついて口の前で両手を組んだ。雨籐さんは右手の人差し指と親指を顎に当てて、ほーう、と沈んだ声音で呟いた。ちなみに、二人ともメガネが白く光っているということはない。そもそもメガネなどかけていない。


 それより、ツッコミどころがありすぎやしないだろうか。僕は軽く息を吐いた。


「春じゃなくて梅雨を先取りするんですね、まだ1月なのに。虫に焦点が当てられてるのは……もうこの際、どうでもいいや」


「虫はいいんだ!?」


 雨籐さんが悲鳴に似た驚きの声を上げた。大きく見開かれた眼球からは汚さとは無縁の純真無垢さが溢れている。


「でも、たしかになんで春じゃなくて梅雨なの? ニガさん?」


「そうだなあ。人は大抵、予想の数歩先のことに魅了されるからだよ、紗月さつきちゃん」


「うわっ、なんだか寒気した……キメ顔いらないし、キモチワルー」


「え、ひどくね!? ただ回答しただけなのに! ただ顔が濃いだけなのに!」


 雨籐さんは眉間に皺を寄せて、侮蔑の念を発している。両手を体の前に出して必死の形相を浮かべるマスターの姿は『WHY JAPANESE PEOPLE!?』にも『今でしょ!』にも見えた。


「春とかのほうがいいよ、絶対!」


「いや、梅雨はゆずれない!」


「おかしいって、ニガさん。春だよ、春!」


「紗月ちゃんは頑固だなー。俺の中では次はもう梅雨だって決めてたんだから、三十分前から」


「三十分前ってついさっきじゃん! 苦し紛れに思いついたのバレバレじゃん!」


 ……もう帰ろうかなあ。


 そう思った刹那、閃きが降ってきた。


「あ、バレンタインとかホワイトデーとかちょうどいいんじゃないですか? 日にちも近いし、カフェっぽいし」


「……なるほど」


 雨籐さんとマスターは同時に呟いた。ピッタリ息の合った双子を見ているかのようだ。


「それはなしだな」


「それはないね」


 またしてもマスターと雨籐さんの声が重なった。妙に波長の合う二人を見ているとなんだか面白くない。


「どうしてダメなんですか?」


「それは勿論、バレンタインに振られたことがあるから」


 一瞬揺らいだマスターの黒い瞳の中に闇を垣間見た気がした。「お、おう」と思わずたじろいでしまったのを雨籐さんに見られていたらしく、横で盛大に吹いている。マスターの気持ちを考えると胃がキリキリしないでもないから、ぜひとも笑うのはやめて差し上げて欲しい。


「ははっ、まあニガさんの苦い思い出もあるけどそれを抜きにしても、定番というかありきたりというか、そんな感じになりやすそうだからね」


 そう言って雨籐さんは、んー、とうなる。桃色に艶めく唇がやけにふっくらとしていて、まるで蜜にまみれたお餅のようだ。


 ぼーっと雨籐さんの横顔を眺めていると、突然マスターが声を上げた。


「あ、そういえば紗月ちゃん、バレンタインって」


「へ!?」


 マスターがニヤリと口の端を上げた。


「準備がどうのこうの、アポ取りをどうしたらいいのかどうのこうのって言ってたのはど――」


「わーわーわー! に、ニガさん! いいからそういうの」


 何が何だか、訳が分からない。雨籐さんはバレンタインの日に何かをしでかそうとしているのだろうか。


 にもかくにも、会議は間延びしそうだ。僕が取る行動はただ一つ。


「あの、新商品決まらなさそうだし僕は帰っても……」


「そ、そうだね。今日は解散ってことで! さあ、ダタロー、すぐに帰るんだ。バイバイ。気をつけてね」


「お、おう」


 雨籐さんは怒涛の勢いで僕を帰らせようとする。背中をぐいぐいと押された。服の上からであっても彼女の手のひらと接触しているのだ。生々しい体温も肌の質感も色も匂いも、想像でしかないけれど僕を酔わせるのには充分すぎるくらいだった。まだ未成年だけれど。


 そうして後日、新商品が決まった。結局、春と虫をテーマにした季節限定メニューにするらしい。


 雨籐さんの慌てふためいていた理由は謎のままだ。背中に残る小さな手のひらの感触と一緒に残っている。

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