第12話 雨籐さんの友達が悩んでいるそうです。
「あ、ダタローじゃん! いらっしゃいませー」
「ども」
雨籐さんの口角はくいっと上がっていて、目じりは下がっている。ニッコリとした笑みを見て、僕はホッと胸を撫でおろした。安心しすぎて、たゆゆんとした豊満な胸のあたりに視線がいってしまう。
先週の雨籐さんの素っ気ない姿はそこにはない。別人の霊が乗り移っていたのではないかと疑いたくなる変わりようだったのだから、元に戻ったみたいで一安心だ。
「いつものだよね?」
「うん」
席に着いた僕は、遠ざかる雨籐さんの背中をぼーっと眺めた。花の蜜のような甘い香りが僕の鼻へ吸い込まれる。いつも通り、いい匂いだ。勿論、声には出さない。
読みかけの『ねえ、笑ってくれたらキスしてあげる 6巻』を開く。
ちょうど10ページ読み終えたところで雨籐さんがカフェオレを持ってきた。
「お待たせしました、どうぞー」
「あ、どうも」
「ねえねえ、ダタロー。ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど」
「ん? 何、どうしたの?」
僕は微かに首を
そんな僕の戸惑いを気にする様子もなく、雨籐さんは正面の空席にちょこんと腰かける。自分用のカフェモカまで持ってきていて、僕には拒否権がないようだ。
「あのね、悩みっていう感じなんだけど。あ、これは私じゃなくて友達の話ね」
「お、おう」
雨籐さんは後半の一言をひと際強調して言った。少しだけ目を伏せて照れ臭そうに笑みを作っている。
……友達ではなく雨籐さんの話なのではないだろうか。ふと、そう思った。
「なんだかね。おっきいのが嫌みたいなんだよ」
「大きい? 何が?」
「……胸」
「ふぁ!?」
ボソッと呟かれた声音には羞恥心が詰め込まれているような気がした。雨籐さんは俯いていて表情が分からない。油断していると彼女の胸元に視線が吸い寄せられてしまいそうだ。僕は慌ててコーヒーカップを持ち、茶色の液体をくいっと飲みこんだ。
「僕は一体なにを聞かされてるんだろー」
「深刻だから、ほんとに。あ、友達がね」
「分かってる分かってる」
ムスっとした表情で睨まれた。
「大きいのが悩み……そ、それは肩が凝るとか男の視線に耐えられないとか、なのかな」
「そういうのもあると思うんだけど」
「けど?」
一呼吸挟んで、雨籐さんはゆっくりと顔を上げた。目が少しだけ
「好きな人が……そこしか見てなかったらやだな、って。友達が言ってたの」
「友達が」
「そう、友達」
連呼しすぎて怪しさが増してるよ、と心の中で呟いた。
「男である限りそれはもう見てしまうよ。多分避けられない」
ぬうう、と雨籐さんは小さく
「ただ、胸もその人の一部分だから、イコールその人を見てるっていう風に解釈するのは?」
「滅茶苦茶だあ!」
「今のは冗談として。その人の行動とか考え方次第で、胸だけじゃなくて中身も見てもらえるチャンスはあると思うから心配しなくても大丈夫だよ、たぶん。胸にしか興味がなくて女性の気持ちを考えようとしない男なら離れた方がいいと思うけど」
雨籐さんはきょとんとしている。
途端に恥ずかしさが込み上げてきた。どうして真面目に答えてしまっているのか。正確には分からないけれど、きっと雨籐さんにちゃんと分かっていて欲しかったのだ。
「あ、ありがとう……ちょっと安心したかも」
「雨籐さんが?」
「あ、や、いや、違くて! 友達にいいアドバイスができそうでってこと!」
「ああ、なるほど」
雨籐さんは慌てた様子で飲みかけのカフェモカを持ち、勢いよく立ち上がった。ふわりと舞った黒髪が頬の辺りに垂れる。
「ゆ、ゆっくりしていってね」
「お、おう」
そう言って雨籐さんは背を向けた。小さな背中をぼーっと眺めていると、数歩進んだところで彼女が振り返った。
「ありがとね。あと、友達の話だから!」
もう、分かってるから。僕と雨籐さんは同時にクスッと笑った。
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