第10話 雨籐さんの好奇心関数における閾値はものすごく低いようです。③

「うわっ、今の店員さんかっこいー」


「大学生っぽかったね。一目惚れした?」


「しないよ! そこまで面食いじゃないし」


 雨籐さんは頬をぷくっと膨らませて睨んできた。


 駅前に新しくオープンされたカフェということもあって、店内は賑わっている。雨籐さんの大声が目立つということはなさそうだ。


「あ、これ……ほい、ありがと」


 彼女はそう言ってマフラーを差し出した。輝きを放つ眼球が真っすぐと僕の顔面を捉えている。にんまりとした笑みを見ているとなんだか妙に照れくさくなった。


「お、おう」


 マフラーを受け取り、テーブルの上に置かれたコーヒーカップを手に持つ。恥ずかしさを隠すようにすぐさま口元へ持っていった。


「めっちゃ暖かくて助かったよー。あと、ダタローの匂いがした!」


「ふぁ!?」


 雨籐さんの発言は危険すぎる。カフェオレを口に含む寸前でよかった。数秒ずれていたら彼女の顔面に思いっきりカフェオレを噴霧していたに違いない。


「もしかして、特殊な匂いとか発してる?」


「特殊なのかな? いい匂いだったけどねー」


「そ、そっか。ども」


「えへへー。あれ? 照れてる?」


「照れてない」


「いやー、絶対照れてる!」


「照れてないし」


「てるてる」


「それは坊主」


 気の利いた言葉を発せられない。顔は火照っていないだろうか。心配になる。


 あははは、と大仰に笑い声を上げる雨藤さんを見ていると少しだけ和んだ。くだらないことを言っても笑ってくれる、それが僕にとってはとても心地良い。


 その時、ふと思った。


 独特でいい匂いって、なんだそれは。


 マフラーに付着していたということは、シャンプーの香りだろうか。柔軟剤の可能性もある。


 もしくは……フェロモン。


 そうなると、雨籐さんに気がありますよーと公表しているのも同然だ。すぐにでもテストステロンの残業許可を取り消さなければならないだろう。


 そんな自意識の海に溺れていると、突然雨籐さんが僕の目の前で両腕を振り始めた。


「……気でも狂ったの?」


「いや、別にー? 正気だよ?」


「正気なら尚更怖いよ」


 雨籐さんの両腕がふりふりと小刻みに揺れている。まるでゾンビの歩行風景だ。これほどまでに綺麗に着飾っていて甘く熟れた匂いのするゾンビなどきっと存在しないだろうけれど。


 雨籐さんの腕の動きによって緩やかな風が生まれる。淡い芳香が僕の顔面を包んだ。


「どう? この匂い」


「んー、うん」


「わっ、その反応はちょっと傷つく!」


 いい匂いだなんて口にするのが恥ずかしい。それがフェロモンによるものなのではないか、と一瞬血迷ったことを考えてしまったのだからなおさらだ。

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