第8話 雨籐さんの好奇心関数における閾値はものすごく低いようです。①
休日の街中はどこもかしこも人混みで混雑している。一人で出歩くとなると気分が乗らないかもしれないけれど、今日の僕のテンションは限界突破していた。
雨籐さんとの買い物が実現してしまっている。ただし、僕の役職は荷物持ちだ。これでは罰ゲームなのかそうじゃないのか、自分でもよく分からない。
それでも、まあ……いいや。あれやこれやと考えることなく、とにかく楽しもう、と心の中で意気込んで雨籐さんのほうをちらっとみやった。
セミロングの黒髪はいつもよりふんわりとした立体感のある仕上がりになっている。カフェの制服に身を包んだ雨籐さんも魅力的だったけれど、私服姿となるとまた違った良さを感じる。
「わ! 見て、ダタロー! あの帽子、可愛いなー」
「確かにあのマネキン、いい感じだね」
「え、帽子じゃなくてマネキン?」
「いや、まあ」
僕の言い方が悪かったようだ。帽子を含めた全体的な雰囲気がお洒落だなと思っただけで、マネキン自体の良し悪しについては全くわからない。
適当に否定することは簡単だろう。脳を働かせないで済むのだから疲労も少ない。
けれど、今日はせっかくのショッピングなのだ。少しでも雨籐さんに楽しんでもらいたい。そう思って僕はゆっくりと息を吸い込んだ。
「控えめに言って、最高。特にあの骨盤らへんの感じとか」
「うわっ。引いた」
即答だった。雨籐さんは、うへえ、と目を細めて口を横に広げている。不潔なものを見たときのような、まずい料理を口にしたときのような、とても分かりやすい不快感の表し方だ。
引かれてしまった。特に惹かれたいと思って放った言葉ではないけれど、流石に引かれてしまうのは少しショックだ。ここは何としても
「高校生ってだいたいこんな感じだと思うけど」
「物凄いド偏見だあ。わっかんないなー、今をときめく高校生の思考は」
「今をときめく高校生が、結局ド偏見かましてるんだよなー」
雨籐さんの顔をちらっとみやると、ニカッと笑って上の白い歯を見せている。「えへへ、わざと言ってみた」と呟く彼女のいじわる顔を見て、心臓が跳ねた。
可愛いと思ってしまったのを悟られたくなくて、僕は目を逸らす。
「で、今から行くお店って何階だったっけ?」
「あ、えーとね」
そう言って雨籐さんはスマホの画面へ顔を向けた。そのまま上へ向かうエスカレータに乗った。
……雨籐さんの爪が物凄く艶めいている。色づいている感じはしない。ネイルではなさそうだ。ただ入念に磨かれているような気がした。
「あ、上で合ってたね。五階!」
「おっけー。というか雨籐さん、爪ってそんなだったっけ?」
「爪? 家を出る前にちょっと磨いてキューティクルオイルとトリートメントを塗ったけど。平日はたしかにあんまりやんないかも」
「それでそんな光り輝いてるのか。なんか、ワックスがけされた床みたい」
「やめてよその例え!」
そう言って、雨籐さんは笑みを浮かべながら小さな拳を僕の二の腕あたりに軽くぶつけた。相変わらず彼女の握りこぶしは親指が中に織り込まれるタイプだ。癖みたいなものなのだろう。
「わっ」
「危な!」
突然、雨籐さんの体がふらついた。
考えるよりも先に言葉が出た。そして、言葉よりも先に手が出た。
気付けば僕は雨籐さんの細くて白い手首を掴んでいた。
ヒヤッとして血の気が引いた。エスカレータでの転落なんて、想像するだけで恐ろしい。
「ご、ごめん。ありがとう。ふざけてたらバランス崩しちゃった」
「う、うん。とにかく落ちなくてよかったよ」
心臓の鼓動が早まっているのを感じる。驚いたせいではあるけれど、それだけじゃないような気がした。
緊急事態とはいえ、雨籐さんに触れてしまった。
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