第4話 こっち向いてほい、をしてみました。①

「ねえねえ、ダタロー。こっち向いてほいって知ってる?」


「あっち向いてほいじゃなくて?」


 突然小走りでこちらへ向かってきたかと思えば、雨籐あまとうさんは不思議な言葉を口走った。キラキラと輝きを放つ眼球が僕の顔面を捉えて動かない。


「うん。あっちじゃなくてこっち」


「自分のほうに向かせるゲームってこと?」


「お。流石ダタロー、理解がはやい! ラノベを読み込んでるだけのことはあるね」


 雨籐あまとうさんはそう言いながら、僕の肩をパンっパンっと叩いた。柔軟剤の甘い香りがふわりと漂い、鼻腔をくすぐる。バスタブに目一杯溜められたハチミツの中へダイブする自分の姿が見えた。脳の中でだけ。


「無理やりラノベを絡めなくてもいいよ。それより、具体的にどんなゲームなの?」


「基本的にあっち向いてほいと同じだよ。えーと、まずはじゃんけんをするんだけど」


「じゃーんけーん」


 僕は早速、ゆっくりと合図をかけた。雨籐さんは一瞬、はっと目を見開き、慌てた様子で右手を差し出した。親指が拳の中に入れこまれていて、猫の手のように可愛らしい。


「ぽん」


 お互いの声が重なった。


「やった、私の勝ち! で、負けたほうは下を向いて、床をじーっと眺め続ける」


「はい。いつまでこの状態を保ってればいいの?」


「私のほうを見たくなったら、顔を上げてもいいよ。だけど、私の姿を見た瞬間、負け!」


「なるほど、だからこっち向いてほいなのかー」


 そーゆーこと、と脳天の先のほうから声が降ってきた。


「じゃんけんに勝ったほうは、言葉と動きだけで自分のほうへ顔を向けさせるの」


「永遠にそっちを向かないでいられる自信があるよ?」


「おー、フラグ立ちまくってるじゃん、折られたらみたいなラノベ展開はないからね絶対」


「よゆーよゆー」


 僕は木目調の床を凝視し続ける。


「……ぁ」


 ……静かだ。


「ぁぁ……はっぁ」


 ……電球がジリリと小さく音を立てている。雨籐さんの息を吐く音が微かに聞こえなくもない。普段なら気にならない音だ。静かすぎるせいで聴覚が研ぎ澄まされているのかもしれない。


「はあ……あっ」


 ちょっと待て、今の声音は一体なんだ。はっきりと耳に届いたその音は、明らかにあえいだときのそれではないか。


 それになんだか耳の辺りがむず痒い。微々たるものだけれど、空気が耳へ向かって流れているような、そんな気がした。


「ああ、ひゃ!」


 気付いたら僕は顔を上げていた。無意識だった。


 雨籐さんの満面の笑みが視界いっぱいに広がる。超至近距離だ。


 彼女のうなじの辺りに色白な手が見える。猫じゃらしだろうか。ふわふわとした物体をつまんでいて、僕は察した。


「えへへ、ダタローも男だねー」


 首から耳にかけてカッと熱を帯びた。

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