幽霊メール

nobuotto

第1話

「守谷さん、来ませんねえ」

 カウンター席で一人飲んでいる上尾に居酒屋「山さん」の店長が声をかけた。

「まあ、昔から時間を守るってことができない人だからね」

 上尾の後輩が店長している居酒屋「山さん」は、高校山岳部OBのたまり場だった。上尾が飲み始めた頃は他に客もいなくて店長も上尾の話し相手をしていたが、八時をすぎると狭い店は客で一杯になり上尾の相手をする暇もなく動き回っている。

 上尾が二本目のビールを飲みながら、メールを眺めていると

「すまん、遅くなった」

 と守谷がやってきて横に座った。

 いつもなら50を過ぎたオヤジ達の気楽な高校山岳部同窓会であるが、今日はいつもの与太話というわけにはいかなかった。

 

「で、何か分かったか」

 席につくなり守谷は話し始めた。

「まあ、慌てるなよ。まず、いっぱい飲みなさい」

 上尾が注いだビールを守谷は一気に飲み干した。

「だから、何か分かったのかって」

「うーん、ここだけの話しだけど、どうも同じようなことがあちこちで起こっているらしいんだよ」

 上尾は新聞社に勤めていた。地方の支局回りが長かったが、ここ数年は東京本社にいる。上尾が言う「自分が育てたキャップ」がどの部署にもいるので、何気なく情報を集めて来たのであった。

「やっぱ幽霊メールが飛び交っているのか」

「大きな声出さないでよ。外部に話すの結構やばいんだから」

 上尾が守谷をにらむ。高校時代から自由人であったが、コンピュータ関係の研究開発部門を渡り歩いてきたせいで、守谷はこの年になっても社会常識というものに欠けている。


 いつもの同窓会ではあったが「いつものメンバー」の一人、居酒屋の近所で寺の住職をしていた木村がいなかった。木村抜きの同窓会だったが、話題は木村だった。

 昨年父親が亡くなり四代目の住職を長男の木村が継いだ。父親がなかなか住職を譲らず「俺はいつまでも副住職だ」と飲み会ではいつも愚痴をこぼしていた。それが思いもよらない父の死で住職を引き継ぐことになった。親父の分もがんばらなければと言っていた木村だったが、住職になったその矢先に父親を追うように死んでしまったのだった。


「社会部にも同じような話しが何件か舞い込んで来てはいるらしいんだ」

「で、幽霊メールの正体を探っているのか」

「だから、大きな声を出さないでって。わからないんだよ、社会部も。まだ件数も少ないし、どこまで本格的に調査を進めるか、今は様子も見ているところらしい」

 守谷は声のトーンを落として言った。

「幽霊メールだぞ。お前たちにすれば特ダネってやつじゃないのか」

「あのね、ちゃんと裏を取らないと記事にはできないんだよ。まあ、最近、裏をとらない記事が増えてるけどね。この前、滋賀で知事選あったろ。あの時も僕があれほど言ったのに...」

「その話はまたの時でいいよ。新聞社も幽霊メールの正体が分かっていないのか」

「だから、幽霊メール、幽霊メールって言っているのはお前だけだろ。不審なメールではあるけど幽霊がメールを出すわけないし」

「いや、これは絶対に木村からのメールだ。やっと住職継いだと思ったら死んじまって、それが残念で残念で、死んでもメール出してんだよ。成仏できなかったんだよ、木村の奴」


 ここ数年お盆になると「不信心なお前達を俺が救ってやる」とありがたい説教とその解説を書いた長々としたメールを木村は上尾と守谷に送っていた。上尾が新聞社のWEBサイトで連載しないかと持ちかけたくらい、なかなかの名文のメールがお盆になると送られて来ていたのであった。

 そのメールが今年も来た。

 去年暮れに木村は亡くなったのに、今年も送られてきた。今世間が騒いでいるセクハラ問題と絡ませた内容で、君たちも十分気をつけるようにという坊主らしい一言で終わっていた。

「サイエンス部の後輩にメールを見せて何気なく聞いてみたんだよ。彼女が言うには、確かに機械的に段落が構成されている気がするが、それは著者の文筆能力が高いからだろうって。誰かのなりすましという可能性もあるけど、こんな手間暇かけてメールだしても何の得にもならないし、メールアドレスとかみても、本人が発信してるとしか思えないってさ。このあたりはお前の専門だろ」

「コンピュータが専門だからって何でも知ってると思うなよ。自慢じゃないがネット関連はからしき分からん」

 上尾はますます困り顔になっている。

「うーん、じゃあ、死んだ木村が律儀にお盆メールを出しているのか。いや、いや、そんなわけがない」

「俺にはそうとしか思えない。メールを読めば分かるだろ。だとすれば、ある意味今までで一番ありがたいメールだな」

 守谷の冗談に上尾は笑えない。

「まあ、きっとこんなことだろうと俺が話をつけといた」

「話をつけといたって、何の話を」

「木村の寺に電話して、明日上尾と行きますと話をつけた」

「僕も?幽霊メールの正体を調べたいからって言ったのかよ」

「言うわけ無いだろ。ほら、木村の葬式の時俺はアメリカで参列できなかっただろ。遅くなりましたが、月命日の焼香の一本も上げさせてくれませんかって。そしたら、木村の弟の、ほら寺の後を継いだ住職がどうぞどうぞってさ」

「どうぞ、どうぞって、僕まで行かなくても」

「何が起こるか分からないから、一人じゃ怖いだろ。なっ、ここは記者魂の見せ所ってことで、なっ、一緒に行こう、なっ」


 二人は次の日に木村の寺に行った。本殿前で二人は住職が来るのを待っていた。

 汗っかきの上尾がしたたり落ちる汗を一生懸命拭いている。もうタオルは汗でビショビショであった、

「いや、暑いねえ。暑さ寒さもお盆までなんてのは昔の話だね。異常気象が異常じゃなくなったねえ」

「お前、少し痩せたほうがいいよ。異常気象かあ。なるほど、この異常気象が幽霊メールの原因かもしれん」

「馬鹿言ってんじゃいよ」と上尾が言った時に「お待たせしました」と住職がやってきた。かなり歳の離れた兄弟だったので、色の黒い精悍な顔つきをした若い住職であった。


 寺の奥にある先祖代々の墓にお参りした後で、敷地内にある家に二人は案内された。江戸時代から続いた旧家らしい、幾種類もの掛け軸のある古風な部屋に通された。

 二人がテーブルに座ると住職が麦茶を持ってきて、一緒に座った。

「本日は、どうもありがとうございました。兄もさぞかし喜んでいることかと思います」

「いえいえ」と二人は頭を下げる。

「母もお会いしたいということで、今こちらに連れてきます。もう少しお待ち下さい」

 そう言って住職は部屋を出て行った。

 住職が出ていくと、上尾が守谷に「おい、これは何だ」と聞いた。

 テーブルの上には、部屋の雰囲気と全く合わないブルーメタルの機械が置かれていた。

「おまえAIスピーカーも知らないのか。俺の家にもあるけど、例えばな」

「今日の天気は」と守谷がスピーカーに話しかける。

「今日の天気予報です。現在13時、曇りです。17時までは曇りで、その後20%の確率で雨となります」

 と答えが返ってきた。

「そうか、これがAIスピーカーか。テレビで最近よく宣伝してるやつね。こうやって会話できるんだ」

「会話もできるし、まあ、なんでもできる。しかし、これはかなり高級なものだ」

「木村らしいねえ。文系のくせしてバリバリの数学オタクだったからねえ」 


 住職が母親を車椅子に載せて戻ってきた。高校時代に一度きり会ったことがある木村の母は歳以上に老けて見えた。数年前に夫が亡くなり次に息子が亡くなった。精神的なストレスのせいか認知症が進んでしまったと住職は言った。一日のうちで意識がしっかりしている時間はあまりないらしい。今も二人をただボーとみているだけだった。

「さっきまでしっかりしてたんですけど、すみません」

 少々気まずくなった二人は挨拶もそこそこに帰り支度を始めた。

 その時、スピーカーが話し始めた。

「池田様の法要の二ヶ月前になりました。ご連絡しますか」

 それを聞いた木村の母親は

「はいはい、連絡してあげてください」

と反射的に答えた。

 驚いてその様子を見ていた二人に住職が言った。

「そのスピーカーは兄が買ってきたものです。私は兄と違って機械オンチなので、どこをどういじっていいかわからないのですが、ご覧のように、先々までのスケジュールを兄が設定してくれてたらしく、とても重宝しております」


***


 寺を出た二人は、言葉を交わすこともなく黙々と駅に向かって行った。

 夏休みの午後のホームは空いていた。3番線の下りで守谷は横浜へ、4番線の上りで上尾は新橋まで帰る。上りも下りもまだ来そうもない。

「あのAIスピーカーでメールの文章を作成できるの?」

 上尾が守谷に聞いた。

「木村が用意していた文章を組みあせて作るくらいはできるよ」

「なるほど。それで僕が、木村のメールをWEBに載せないかと言ったら嫌がっていたのかな」

「かもな。まあ、幽霊メールの正体はわかったな。本当は自分が答えるはずの質問に、母親が答えてたんだな。幽霊の正体見たり枯れ尾花。結局機械だったってことだ」

「世の中そんなもんだよ」

 3番線に上尾の乗る大船行がやってきた。

「けどさ、あのスピーカーに返事する人がいなくなったら僕らへの幽霊メールも来なくなるわけだろ」

「それで木村も成仏するのかもしれんなあ」

「もうとっくに成仏してるよ。けど来年もメール来てくれるといいねえ」

「そうだな。お母さん長生きして欲しいよな。木村もきっとそう思ってるよ」

 電車の扉が閉まる間際に守谷が上尾に言った。

「あっ、けど上尾。木村のメールにあったセクハラの話は...」

 ドアが閉まった。

 扉の向こうで何か必死に話している上尾を乗せて電車は走り始めるのだった。

 

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