第2話
学校に行かなくなって数日が経過した。ふと、ネットでニュース記事を見ていたひじりは、隣の国でとんでもない事件があったことを知った。
自殺をしようとしている女性に野次馬が群がり、あろうことか「早く死ね」とはやし立てたのだそうだ。
そういう場面を想像した時、ひじりは大抵、多くに人が「死んじゃだめだ」と説得するものだと勘違いをしていた。
ドラマや漫画で、そういう場面を読んだこともある。
それが当然なのだと思った。道徳とはそういうことだと学んでも来たつもりだ。
しかし、自殺しようとする人を前にして、動画を撮影し、「早く死ね」と捲し立てることが実際にあった。
そっちがリアルで、ドラマは所詮作り物だった。
結果として、その自殺しようとした女性は、飛び降り自殺をして死んだのだそうだ。
ひじりは思った。
このような事件があったことを、世界中のニュースで取り上げていて、多くの人が問題視していることを。
虐めの問題を調べてみたが、何十年も前から虐めの問題は変わりなく起こり続けているようだった。
自殺して、遺書を残してもその瞬間には大きく問題として取り上げられるが、ほんの一年も過ぎれば無関係だった人々はその問題をあっさりと忘れてしまうらしい。
そうして、何も変わらない素敵な世の中が、今も続いているのだ。
みんなで作った素敵な社会だと、ひじりは皮肉に笑った。
そして、同時に凄まじい熱が身体の内側、心臓の部分、心と呼ばれるところから発生しているのを感じていた。
こんな世の中は嫌だ、という強い思いだった。
居ても立ってもいられない衝動が、ひじりを無性に焦らせた。
この世の中に一秒だって居たくない。その思いが膨れ上がっていく。
今、十二歳だ。今年で十三歳になる。
寿命まであと何年だだろう。あと何十年、この悪魔の世界で生きていかなくてはならないのだろう?
たった十二年生きて来ただけでもこの世の闇を十分に思い知ったのに、これをあと数十年繰り返していかなくてはならないのか。
そう思うと、とんでもない地獄の中にいると明確に感じざるを得なくなった。
「……自殺をしよう」
そう思い立った。前向きに、そう思った。
このような社会に関わっていくことさえ嫌悪感を持ってしまった以上、もう一秒だってこの世界に居たくないと考えてしまう。
死ぬことなんて、まったく怖いと思わなかった。それよりも、この歪み切った社会に纏わりつかれて生きていかなくてはならないことのほうが恐ろしいと思った。
ひじりは一度自殺を考え始めると、その意欲がとても強い活力になっていることを感じていた。
面白いもので、死のうと決意すると急に生きている実感がわいてきたのだ。
色々とネットの情報を探っていくと、そういう考え方のことを、『メメント・モリ』というそうだ。
死を意識することで、生きている実感を濃厚に感じる合言葉のようなものらしい。
難しい哲学的なことは分からなかったが、ひじりはなんとなくこんな風に考えた。
ゴールを自分で決めたから、スパートをかけられるようになったんだ。
マラソンと同じだ。ゴールが見えない時は、ゆっくりと歩くように進む。そうしないと疲弊して動けなくなるから。
しかし、ゴールが間近になれば、重い足取りが勢いづく。
それと同じだと思った。ひじりは、きちんといつ死ぬのかを決めようと思った。
そして、自分が死ぬことで、自分を苦しめた世の中に打撃を与えたいと思った。ほんの一瞬でもいい。どうせ死んだら社会からは忘れ去られる。
生きていても同じだ。到底自分と関わりあいにならない人が、生きていようと死んでいようと、なんとも思わない。そういうものだ。
だったら、衝撃を与えられる『死』を見せつけよう。
ほんの僅かでもこの世の中にダメージを与える一撃を与えるのだ。
「どうしたら、私の命で多くの人に影響を与えられるだろう」
そう考え始めると、なんだかワクワクしてきた。
くすっと少し笑った。自然に出た笑顔で、不思議だった。
自虐の笑みではなく、本当に楽しみになって来たのだ。まるで旅行の計画を立てる時みたいに。
学校で自殺するのがいいだろうか?
まずそう思った。それから、すぐにその考えが良くないことだと思い至った。
あそこは悪魔の巣窟だ。虐めを黙殺して、何もないふりを貫く。あの場で自分が死んだって、無視を決め込むに違いない。あの教師のように。
「早く死ね……か。自殺って、人を楽しませることもできるんだ」
ネットの動画サイトにアップロードして、ショッキングな事件で小銭を稼ぐような人もいるらしい。
退屈な日常に飽き飽きしている人々は、刺激を求めているのだ。
「人間の醜さそのものがエンターテイメントにもなる……。自殺しろって言った『悪人』に対してなら、『何もしなかった人』は良い人ぶれる……。堂々とその人を『悪人』として攻撃できるから」
ひじりは考える。考えて、考えて一つの思い付きが形になっていくのを実感していた。
「悪人を、作ればいいんだ」
自分を追い込んだ悪魔。学校のクラスメート、そして担任の教師。
彼らが社会的な『悪者』に仕立て上げられた時、多くの人々がこぞって彼らを攻撃し始める。
住所を特定し、ネットで晒し上げて、これから先まともに生活できなくなるようになる……。
ツイッターでバカなことをやって炎上した男性が、以後ずっと粘着質に嫌がらせを受け続けてまともな生活を送れなくなっていることを知った。
今やネットでバズってしまえば多くの味方を手に入れることができるのだ。
そしてそういう人々もまた、腐り切った社会の一部でしかない。自分を正当化したいがため、道を踏み外した人間を見付けると、嬉々として攻撃するのだから。
つくづく、この社会に対して唾を吐きたくなる。
やはり、生きていたくはない。このような世の中に染まって生きていくくらいなら、今この時、潔く死んでしまいたい。
ひじりは、遺書を書くことにした。
自分のこの状況を組み立てたクラスメートの名前を全て書き連ねた。
クラスメートは全員の名前を書くことにした。誰一人として許すつもりはなかった。
虐めの現状を知っているのに、見て見ぬふりをする人もまた許せなかったからだ。
教師のことをしっかりと書いた。
担任のこと、無神経な音読をさせる国語の教師もしっかりと書いた。
怒りだけがその時はエネルギーになって、勝手にペンが動くみたいにスラスラと遺書が書きあがっていった。
「よし、できたぞぉっ」
まるで小学生の時、図工の授業で傑作ができた時みたいに無邪気な声が出てしまった。
何度も読み返して、悪人の醜さを事細かに記していることを確認する。
あとは死ぬ場所、死に方だった。
さっきも考えたが、学校で死ぬのは良い手とは思えなかった。
多くの人々が見ていて、自殺する瞬間を動画撮影するような状況が望ましい。
世の中は腐りきっていることを示すために、この自殺は執り行われるのだから。
そんな世の中で生きている者に愛想を尽かして私は死ぬのだと示すためなのだから。
穢れ切った社会人と、私は違う。
私はまだ汚れていない。
汚れないまま、美しく死にたい。
できるだけ無残に、グチャグチャになって死んでしまいたい。粉々になって跡形さえ残したくはない。
「電車に轢かれるのが一番良さそう」
朝のホーム。多くの人々。つまらなそうにしている眠たげな目を覚まさせるセンセーショナル。
通勤ラッシュのその時刻、電車に撥ねられ死ぬのが一番素敵ではないかと考えた。
「痛いかなあ」
そんなことをぼんやりと考えた。
不思議なことだが、できるだけ痛い思いをしたいと思っているところもあった。
それが自分が受けるべき罰のような気もしていたからだろうか。
それとも、できるだけ苦しんで死んだ方が、呪いをこの世に残せるかもしれないと思ったためだろうか。それはもう分からない。
「朝八時過ぎの電車……。『月曜日は重たい日』――」
カレンダーに目を動かすと、次の月曜日は五月二十七日だった。
この日にしよう。そう決めた。
ロシアの人も、月曜日は憂鬱にしているくらいなのだ。
月曜日がいい。そうしたら、この自殺がロシアまで届くような気がした。
「みんな、そんなに月曜日が嫌なら死ねばいいんだ。私みたいに」
みんなが出来ないことを率先してやってあげようと思った。これから先、毎週月曜日に多くの人が自殺をするように願いを込めた。
ひじりは、無邪気な子供のころのように、煌めく瞳をしていた。
とても、自殺をしようと決意した少女の顔とは思えなかった。
やはり、フィクションとノンフィクションは違うなと、他人事のように思った。
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