やつの夜

 日は巡る。〟アオイ〝の真実を語ったその日から、シラタマは何だか元気がないように見えた。アオイはそんな彼を心配しつつも、どうしたらよいのかてんでわからず、右往左往していた。結局かける言葉を持たず、アオイはシラタマにそっと寄り添うことしかできなかた。

 また、その日を境にアオイの身にはある変化が起きていた。昼間、うとうとと船を漕いでいる時に夢を見るようになったのだ。夢の内容は毎回同じもの、掛軸に描かれた〟アオイ〝の目から涙が零れ、助けて、と自分にささやいてくる夢だ。それからというもの、アオイは広間のあの掛軸を見る度に〟アオイ〝の声がどこからか脳裏に直接響いてくるという不思議な体験をした。

 目の前に彼はいないのに、声だけ聞こえてくる。何度も…、助けて、寂しい、とささやきかけてくる。アオイはそれを聞く度に悲しくてたまらなくなった。泣いている彼のために、助けてと請う彼のために、何かできないだろうか。アオイはそう考えて、久しぶりに屋敷の外へと出かけることを決意した。

 朝、シラタマが眠っている所を見計らって、彼は自分の記憶の中にある彼の仲間たちの寝床へと出発した。

 陽の光にもすっかり慣れた彼はソロソロと木の茂る森の中へと入っていくと、ちょうどひらけた空間の真ん中でチカチカと身をまたたかせた。呼んでいるのである。はたして、森の奥にやがてチカリと光るものが見えた。それは次第に数を増やしてまたたく。呼んでいる…。アオイは嬉しそうにそちらへと歩みを進めた。そう、足を使うことにもだいぶ慣れてきたようだ。

 ――久しぶり!久しぶり!

 アオイがチカチカと明滅すると、光を放ちながら現れたアオイと同じ光の子たちが優しく彼を迎えた。

 ――おかえりなさい、小さな子。少し見ないうちにとても大きくなったね。

 その最初にまたたいた子に続くように、たくさんの光の子たちがアオイを囲むように集まって光り出した。

 ――おかえり!おかえり!

 ――心配した、今までどこで何をしていたんだ?

 アオイはそこで、今とある屋敷の書斎に住まわせてもらっていること、シラタマという名前の猫又と友達になったということを話した。仲間たちはその名前を聞いて、それはよかった、と安堵の光を発しながら、アオイの頬に自分のそれを擦り寄せた。

 ――シラタマさんはお元気?あの子は猫又になるために、僕らの力を分けてほしいって頼んできたんだよ。〟アオイ〝くんを探すために、って。

 ――シラタマを知っているの!?

 アオイは驚きつつも目の前の光の子に縋りつきながら必死に伝えた。

 ――ねえお願い!ボクはシラタマにたくさん助けてもらった。ボクもシラタマを助けてあげたいの、力を貸して!

 そう、そのために仲間を頼ってここまでやってきたのだ。彼らがシラタマのことを知っているなら話は早い。アオイは懇願した。すると、彼らは顔を見合せながら、一体どうしたの?と訊ねてきた。アオイはそこでシラタマの探している〟アオイ〝が掛軸の向こう側にある異界にいるということを彼らに伝えた。そして、自分は〟アオイ〝を助けたいということも。

 彼らはそれを聞いて悩ましげに光と表情を暗くした。どうしたの?と今度はアオイが訊ねる。すると、難しいことだよ、それは、という答えが返ってきた。

 ――異界とこの世を渡り歩ける怪異はとっても強いんだ。だから今の君では絶対にかないっこない。

 ――間違いなく返り討ちにあってしまう。とても、とても、危ないことだよ。

 ――シラタマさんは無念だろうけど……。

 ――君たちにどうこうできる相手じゃないよ……。

 かわるがわる、彼らはアオイを諭すように言ってきた。アオイはしょんぼりとしながら小さな目を揺らした。

 自分は本当に無力だ、何もできないのか。シラタマはたくさん助けてくれたのに、自分は守られているだけで何も返せないと言うのか。それでも何とか、例えこの身が朽ちたとしても、どうにかすることはできないものだろうか。

 アオイは強い意志を持って、もう一度仲間たちに問うた。すると、一匹が、一つだけ…、とおずおずと明滅する。

 ――名前を得て〟形〝を得るんだ。そうすれば、〟名持ち〝の怪異に対抗するための力を得ることができる。

 すると、次々に仲間たちが明滅し始める。

 ――問題はその力をどうやって使うかだよ。力だけあっても何も使えないし。

 ――そうだ、〟術〝だ!〟オキナ〝なら何か知っているかもしれないよ。

 〟オキナ〝。この光の子たちを我が子と呼ぶ一番長命の怪異の名だ。彼ら光の子たちのことを一番よく知る者。彼ならあるいは……。

 ――行く!ボク、〟オキナ〝の所に行く!

 ――本気なの!?

 仲間が驚いたようにまたたいた。アオイは力強く頷く。

 ――ボクはアオイ。あのお屋敷で聞いたその名前はボクの名前だって、直感が訴えてきた。シラタマも認めてくれた名前でもある。どうすれば、その先に進めるのか。〟形〝を得られるのか、〟オキナ〝に聞くんだ。

 アオイの力強い意志に彼らは少しの間またたくことをやめた。表情は心配そうであるが、やがて彼らは少しずつ優しく光り始めた。

 ――アオイ、君らしい名前だね。

 ――わかったよ、アオイ。もう止めない。

 ――〟オキナ〝は安らぎの池にいる。どうか気をつけて、アオイ。

 彼らは全員でアオイのことを囲むと、彼の無事を祈ってまたたいた。アオイはコクコクと頷きながら、ありがとう、とお礼を伝え、その森の更に奥、安らぎの池と呼ばれる場所へと足を進めた。

 「し、ら、た、ま……。た、す、け、る」

 口に出して言いながら、アオイは懸命に森をかき分けて進んだ。途中、出会った野ウサギやイタチがびっくりして道をあけていることにも気がつかないぐらい、彼は必死に駆けていた。

 ようやく池に着く頃には太陽も空高く上がっていた。

 「おやおや、どうしたんじゃ、小さな我が子よ」

 優しい声がした。アオイはハッとすると、後ろに立っている髭の長い翁の姿を見て、その小さな目からボロボロと雫を流し出した。そして、彼に縋りついて懸命にまたたきながら自分のどうしようもない思いを訴える。

 「おお、もっと落ち着いて話さないか」

 アオイは揺れる目で翁を見上げた。目からは次々小さな雫が零れ出す。翁はそれを見下ろして、辛かろうな、と彼を手の上に乗せながら言った。

 「お前さんの願いはわかったよ。友の大切な子を取り戻したい、そのための力が欲しい、ということじゃな?」

 アオイは頷きながらまたたき続けた。自分と同じ名前のあの子を助けてあげたい、と何度も。

 翁は困ったような顔をした。

 「しかしのう、異界というのはお前さんが想像しているよりもずっとずっと広い所なのじゃ。探し人が見つかるかもわからぬし、道を失えば、こちらの世界には帰って来られなくなってしまうやもしれぬ。その覚悟がお前さんにはあるか?」

 アオイはポロポロと涙を流しながら身を左右に振った。

 ――覚悟は、ない。でも、シラタマがずっと辛い思いをするのは嫌だし、〟アオイ〝がずっと泣いているのもかわいそう。強くなりたい、守られるばかりは嫌だよ……。

 「どうして、〟アオイ〝にそんなにこだわるのじゃ?」

 翁の問いにアオイは言う。

 ――〟アオイ〝がずっと呼んでいるから。

 すると、翁は、そうかそうか、と何度も頷くと、アオイの身を優しく撫でてくれた。

 「それならば、あるいは何とかなるやもしれぬのう」

 アオイはプルプルと震えながら、辛い辛い、あの子が呼んでいるよ、と懸命に翁に訴えた。翁は彼をあやすように撫でながら、まるで子守唄を歌うように彼に語り出した。

 「アオイ、良い名じゃ。”〟青螢(あおほたる)〝たるお前さんにぴったりの名前じゃのう」

 知っておるか、アオイよ。お前たち〟青螢〝はあらゆるモノたちの忘れられた記憶の塊なのじゃ。行き場もなくさ迷いながらも、欠けたものを見つけるために、人々の思いや感情のこもった火を食べて成長する怪異。お前さんはきっと〟アオイ〝の記憶の塊、彼への数多の想いをたくさん食べて成長してきたのだろう。その思いが異界にいる〟アオイ〝の思いに共鳴するほどに。だから、お前さんが強く願えば、〟アオイ〝の元へと行けるじゃろうて。

 翁はそう続けた。アオイは俯いた。

 ――でもボクは弱いから……。シラタマでも敵わない怪異にどうやって立ち向かったらいいの?

 すると、翁は目を閉じてごらん、とアオイに言った。

 「いいかい、アオイ。君が望む姿を描くんじゃ。お前さんが今まで食べてきた思いや記憶を〟形〝にするために」

 言われた通りにする。瞼の裏にはアオイがびっくりするぐらいたくさんの映像が浮かんできた。楽しい感情、悲しい記憶、寂しさ、喜び……。その最奥に浮かんできたのはシラタマの顔。そこに自分を呼ぶ〟アオイ〝の声が重なってクルリクルリと巡り巡る。優しい笑顔はシラタマの心を癒す。ああ、こんな存在になりたい、そして、助けるんだ。

 その瞬間、アオイの身が熱を帯びて強く輝き出した。

 「アオイ、お前さんの願いはきちんと受け取ったよ。お前さんは勇気のある強い子じゃ。きっと、きっと、友を救える。……さあ、儂の思いも少しわけてあげよう。しっかりと食べて、大きくおなり……」

 翁の手に青い灯火が生まれた。アオイはそれを目を閉じたまま口を開けて一口に飲み込んだ。口の中で、転がして、噛んで、味わって……。

 「〟オキナ〝、ボク、つ、よく、な、れ、る?」

 「なれるとも。……お前さんはさっき、覚悟はない、と言ったがね、ここに来ると一人で決められたお前さんは、覚悟も勇気もある子だから」

 さあ、アオイ。生まれ変われるよ。お前さんの望んだように。目覚めたら、新しいお前さんじゃ。

 翁の手が離れていく。アオイの意識はそこで一度深く沈んでいった。



 それからどれほどの時間が経ったろうか。

 ――起きて、起きて。

 ――アオイ、アオイ~、もう夜だよ。

 ――美味しいご飯があるよ。美味しい灯心の香りがするよ。

 ――ねえね、起きてってば~。

 「うーん……」

 仲間たちのまたたく光にアオイはそう応じながら目を開くが、あまりの眩しさに再び目を閉じる。

 ――アオイ、アオイってば~。

 「まぶしいよぅ……」

 そう言って彼はゆっくり身を起こした。体がとっても重い。不思議なことに、まず今までなかった四肢の感覚があり、更に目線が高くなっており、仲間たちがとても小さく見えたのである。

 ――アオイ、美人さんだね!

 どういうことだろうか、振り返ってみると、背後にはニコニコと笑う翁の姿があった。先ほどまではずっと背の高かった翁も、今は少し小柄な印象を受ける。大きく見上げることなく目線が合うくらいだ。

 そういえば、今自分は何をした?光でなく、声に出して何かを言わなかったか?

 ますます不思議に思って池の水面を覗いてみて驚いた。そこに映っていた自分の姿は伏し目の小さな少年になっていたのだ。ふわふわの青い髪に、長いまつげに縁取られた目、瓜実の顔、それは掛軸で見慣れた〟アオイ〝の姿と瓜二つであったのだ。

 「それがお前さんの望んだ姿じゃ。驚いた、別嬪さんじゃのう」

 翁の言葉を聞き流し、顔に手を当ててぼんやりと自分の姿を見つめるアオイ。これが憧れていた成長した姿……。実感がいまいち湧いてこなかった。彼がずっと不思議そうな顔をしたまま水面を眺めているので、一匹の仲間が顔を覗きこんでくる。

 ――ねえ、アオイ。大丈夫?

 「ああ、うん」

 と口にしてから、あっ、と気がつく。人間の言葉では彼らに意思が伝わらないのだ。今まで光の明滅で意思疎通をしていたので、これは不便だ、と思っていると、翁がアオイの名前を呼んだ。

 「思念の送り方を教えてあげよう。それを使って話すといい。……それから、お前さんは力の使い方も知らねばならんのう」

 お前さんがその姿に変じたのはそのためじゃろう?友を守るため、強くあれ、アオイや。

 そうして、アオイは一晩中、翁からたくさんのことを学んだ。姿の消し方、変え方、思念の送り方、人間に紛れる方法、……そして、戦う方法を。

 「最後の一つは、できれば使ってほしくはないがのう。お前さんの取り戻したい者がおる異界へ行くならば、そう甘いことも言ってはおられんしのう」

 翁はそう言って一つアオイにまじないをかけてくれた。アオイの身を守るものだ、とにっこり笑いながら言って、それから彼を固く抱き締めた。それに続くように、仲間たちが一匹ずつアオイの頬に擦り寄ってくる。

 「いってらっしゃい、小さな我が子。儂らはお前さんの無事をずっとずっと祈っているよ。事が成ったら、またおいで。そして語っておくれ」

 お前さんの視た軌跡の話を。 

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