いつの夜

 百物語のあった次の日のことである。珍しくアオイは昼頃に目が覚めた。そしていつも寝ている本と本の隙間から抜け出そうとして身を細くする。が、何だかとても窮屈でなかなか抜け出せない。先日、ろうそくの火をたくさん食べたので、体が成長したのだろう。アオイは思わずんー、と声を上げた。そこでようやくスポンッと体が抜ける。安堵の気持ちを得たのも束の間、ふと不思議に思う。

 今のは何だ?音?

 「ん、んん、あー、うー」

 間違いない。思念ではなく、声として自ら音を発している……。アオイはびっくりして、飛べることを忘れたように足を使って走り出した。時折まろびながら目指す先はシラタマの眠っているあの広間である。シラタマはいつものように丸まって昼寝をしているところだった。アオイはそんな彼の背中の上に乗ってピョンピョンととび跳ねる。

 《なんだよ、アオイ。まだ昼だよ?眠いんだから起こさないどくれよ》

 目を閉じたままいかにも眠そうなシラタマの上で、アオイはなおもとび跳ねながら声を発した。

 「あー、あー、うあうー」

 《……だーかーらっ!……んん?アオイ、もしかして、君しゃべっているのか》

 「え、んあ、うー」

 しゃべれるようになったよ!声が出せるようになったよ!すごい!すごいよ、シラタマ!

 アオイは意味をなさない声を出しながら、興奮気味にピカピカと光り、さらにはプルプル震えながらピョンピョンと跳ねる。

 《あーもう、やかましい、やかましい。わかったから落ち着いてよ、アオイ》

 成長したんだね、よかったよかった。とシラタマは尾を振りながら言った。

 アオイの種族にとって成長は大変意味のあることだ。ろうそくの火をたくさん食べることで少しずつ成長し、やがて〝形〟を得られるのだと、仲間からも聞いていた。アオイは少しずつ自分が成長していることに喜びながら、早くもっとしっかりした形を得たい、との意思をシラタマに告げた。すると、シラタマは少し驚きつつも、ふむ、と口にした。

 《形を得るものそうだけど、声が出せるようになったことだし、暇つぶしに人間の言葉を勉強するのもいいかもね》

 その言にアオイは目をキラキラと輝かせた。人間の言葉を知ること、それはアオイにとってこの上なく魅力的なことであった。もしかしたら、今までわからなかったことがわかるようになるかもしれない。いや、わかるようになるに違いないだろう。さらに、謎めいた自分たちの正体も知ることができるかもしれない。そんな期待を込めてアオイは頷いた。

 《それじゃあ、君が寝床にしている書斎に行こうか。あそこの本を見ながら勉強するのが一番だよ、まずは文字から勉強しなきゃね》

 シラタマはそう言いながら欠伸をしつつ大きく伸びをしてから起きあがった。そして目の前の襖を何気なくひょいと開ける。普段なら通り抜けることもできるのに、と不思議に思って見ていると、ああ、癖だよ、と彼は苦笑した。

 《生きていた頃はさ、こうしないと外に出られなかったからね。君もきっと形を得れば物に触れるようになるだろうから、やってみるといいよ。案外難しいものさ》

 それはまあ、今はどうでもいいんだよ。ほら、おいで。

 シラタマが促すのでアオイはあわてて彼の後に続いた。足を使ってみたらやはり転んだので、いつものように空中を浮遊しながら。書斎までやってくると、シラタマは本棚をひょいひょいと登って上の方の棚を覗いていた。えーと、確かこの辺に、と言いながら何かを探している様子だ。アオイは字が読めないので手伝うことはできない。しかし、色の違いや装丁の違いはわかったので、シラタマが何かを探している間、アオイは本や巻物の色などに目を向けた。色のついていない真っ白なもの、少し日に焼けたのか、黄色のような、茶色のような古びた色のもの、装丁が質素なものと豪華なもの、さらにインクの香りや墨の香りなど、種類は様々だった。いつも寝起きしている場所でも改めて見てみるととても面白い。アオイは実に興味深そうに本棚をじっと眺めていた。

 《あった、あった。これが一番わかりやすいんだよね……》

 そこで、シラタマが探し物をようやく見つけたらしく、バサリと落としてきたのは一本の巻物。文字が一つ一つ丁寧に書かれており、それを説明するための図らしきものも一緒に記されているものだった。それをシラタマが器用に広げていくと、さらにいくつも文字が出てくる。アオイはコロコロと転がっていく巻物の芯を追いかけていくと、大体畳一畳分の長さのところで紙が終わったらしくピタリと止まる。文字は紙面に隙間なく書かれていた。文字がわからないアオイにはそれが蛇か蜥蜴の類に見えて少し驚いた。

 《され、これが基本の音を表わす文字だ。これは覚えること、絶対にね》

 こ、こんなに!?

 さらに驚いてオロオロするアオイに、いっぺんにとは言わないよ。とか言いつつも、まずはこれから、と早速示してくる。

 《これが「あ」、これが「い」、これは「う」で、これは「え」、あとこれは「お」。この辺が基本中の基本の文字であり、音だ。まずはここからやろう》

 ほら、声に出して言ってごらんよ、とシラタマが言うので、順番に「あ」から「お」まで声に出してみた。たどたどしくもきちんと発音できたが、難しかったのはこの次の段階だった。「か」だの「さ」だの「た」だの、どこがどう違うのかよくわからない。

 「ふぁ」

 《違う違う、下手くそ》

 シラタマがからかうように言う。当たり前だ、声を出せるようになったばかりなのに、最初から完璧な発音ができるわけがなかろう。アオイはギラギラ光りながらその怒りを感情にして表現した。するとシラタマは、ゴメンゴメン、と言いながらクスクス笑う。

 《そうだね、最初は皆そうだよね。人間もボクたちも》

 けっして馬鹿にしてきたわけではないのだろうが、茶化されているように感じたアオイは、怒りながらシラタマの耳を口でがじがじとかじりまくる。痛い痛い、と言いながら笑う彼の声は楽しそうだった。

 《とにかく、がんばってそれを覚えるんだよ、アオイ。覚えられれば人の言葉が拾えるようになるし、拾えた言葉の意味を勉強すれば、それを知識として身につけることができる。それもとっても面白いことだよ》

 じゃあ、ボクはまた眠るから、とシラタマはまたあの部屋に戻っていった。一人残されたアオイは覚えたての文字を並べて声にだす。

 「あ、お、い」

 そう、今の自分の名前だ。口にして、そういえば、あの二人もこう言っていた。なるほど、文字にするとこう書くのか、とアオイは納得した。そして次にシラタマの名前を言ってみようとして、

 「い、ら、ふぁ、みゃ」

 とたどたどしく発音をする。違う、思念で飛ばされてきた彼の名前の音はこんなではなかった。これではまたシラタマに、下手くそ、と笑われてしまう。こちらはまだまだ練習が必要そうだった。

 音を覚えれば音を拾える。音を拾えれば言葉も理解できる、そうすればあの二人と簡単に会話ができると思っていたが、言葉を拾えて理解できても、まずこちらが正確に声にできなければ何も伝わらない。思ったよりもずっと遠い道だ。

 それでも一刻も早くあの二人と会話をしてみたいアオイは一生懸命練習をした。そうしているうちに外が薄暗くなり、さああ、という音が聞こえてくる。どうやら雨が降ってきたらしい。灯りがなくなってくると文字が見えないので、アオイは自分の身を一層明るく光らせながら勉強を続けた。すると、光り続けていたせいか、疲れてだんだん眠たくなってきた。少し休憩しよう、起きたらまたがんばるんだ、と決めたアオイは雨音を聞きながら目を閉じたのだった。

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