第58話「楽しい楽しい世界征服」

「三回戦の前に、行く。お手洗い。ユキヒラ君、一緒に来て」」

 書かれている言葉を読み上げたようにザラメは言った。最後に非常に小さな声で、「話があるから」と潤んだ声で告げる。

「わかりました」

 俺も言いたいことがあったから好都合だ。俺がテトラへトイレに行くことを告げている内に、ザラメは影のように移動していた。

 一番近い化粧室は俺達の控室を抜けてすぐの所だ。控室にはクルミがいるはずだが、暇を潰すものがない部屋であの子がじっとしていられるはずがない。恐らくはふらっと何処かへ消えているだろう。

「さっきは、ありがとね」

 会場から通路へ入ると周囲の音が小さくなる。小さくて聞き取り難い声も、ここではしっかり聞き取れた。

「で、話ってなんですか」

 トイレにザラメが入ってしまう直前、先に話を切り出す。俺も言いたい事があったから先に終わらせておきたかった。

「さ、さっきの事。勢いで言っちゃったけど、皆には内緒にしておいてね」

「負けたら……ってやつですか?」

 自ら命を絶つ、ザラメはそう言った。実は俺が物申したかったのもその事だ。ザラメの中でその決心をいつ定めたのかはわからない。でも負けたら死ぬなんて言われてはいそうですかと納得するような関係じゃない。

「死ぬ必要はないんじゃないですか」

「なんで?」

 予想外の返答。価値観の齟齬がある。

 俺がザラメの思考を想像し終わる前に、彼女は続きを話し始める。

「楽しかったよ。毎日。でも希望が無くなるんだよ。それに、これは償い。最愛の人を救えなかった無力な私への罰だよ」

 ザラメはさも正論を振りかざし、筋を通したかのように言う。実際ザラメの中では間違っていない正義なんだろう。

 俺は頭の中がごろごろし、視界が灰色に曇った。鍋に火をかけてどんどん泡沫が膨れだしていく、じくじくとした嫌な感情。

 ザラメの気持ちを聞いて、俺はイラついていた。

「そうやって自分の事しか考えられないなら、戻った所でヤトコさんとは上手くいきませんよ」

「そんなの、わかんないよ。ユキヒラ君に、私の何がわかるの」

 何故こんなにも苛ついたのか、理解した。

「押しつけるだけじゃダメです。前も言いましたよね」

 俺はザラメを自分に重ねていた。

「罪を償うのに死ぬのは卑怯です。死なないで、死ぬまでヤトコさんの事を悔いながら、絶望して長く生きて下さい。それが誠意だし償いだと、俺は思います」

 俺は人間界で消えてなくなりたいと思い、

 ……それでも、生きて悔やみ続けるべきだと最近心に決めたばかりだ。

 それを目の前で否定されるような意見は、放っておけない。

 言い終わってからハッとする。最後は自分の考えをぶつけただけだった。

 ザラメは下唇を噛み、泣くに泣けない悔しそうな顔をしていた。

 とにかく、ザラメの愛情表現は稚拙すぎる。

 誰かが教えないといけない。

 それは俺じゃなくて、ヤトコであって欲しい。


「喧嘩は良くないね」

 突然後ろから声が飛んで来た。女性にしては低めの錆び声。

 俺は後方を確認する。背の高い、銀髪を後ろで結んだ中年くらいの女悪魔が佇んでいる。シュトレイトーのエンソだった。

 大きい割に全く気配がしなかった。どうやら会話を聞かれていたらしい。

「君達、これで仲直りして」

 エンソは懐から棒付きキャンディーを二本取り出し、俺とザラメに渡した。ぐい、と胸に押しつけてから離すので反射的に受け取ってしまう。

 エンソは飴を口で転がしながら、ザラメをじろじろと観察していた。

「君はそんなに料理の経験ないね。どう?」

 ザラメは少し間を置いた後、小さく頷いた。

「じゃあ君と当たった時は手加減しよう。その方がお互い燃える。観客もわくわく。仲間も敵もハラハラで皆が楽しい」

 俺はのっぴきならない悪魔に東西を失うばかりだった。

「いいんですか? そんな、勝手なことして」

 俺は飴をポケットにしまい一歩距離を取った。危険ではないっぽいけど、どんな思考回路か分かったものではない。

「いいんだよ。皆が楽しい、皆友達、そういう楽しい世界をシュトレイトーは目指してる。楽しい楽しい世界征服」

「は……? あ、冗談?」

「ぷっ、本気だよ。ヤトコと違って君は可愛気があるね」

 楽しい世界征服? 大分頭おかしいなこいつ……テトラを見ている限りシュトレイトーでは間違いなくそんな教育受けてないし、そもそも殺し合いや場所の取り合いをしているヤクザ風情がそんな事を信念に掲げる訳がない。

「あと、一ついいかな」

「何ですか?」

 エンソは俺の後ろを指差した。

「トイレ、行きたいんだよね」

 俺とザラメはトイレの前で話していた事を思い出す。道を開けると、片手をひらひらとさせてエンソは化粧室へと消えて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る