第47話「わりぃ。ありがとう」

 爺ちゃん?

 コムギがそう話しかけた、目の前にいる背中が曲がった悪魔はかなり年を召していた。色の抜けた髪、眉、髭。眉毛は目が隠れるくらいに伸びていて、顎髭も茹でる前の春雨みたいに長くぶら下がっている。しかし肌は老人らしくなく皺と染みがあるものの健康そうな小麦色をしていた。

 しっかり尻尾と羽は生えているが長い髭と険絶な鋭い目つきから仙人めいた印象さえ受ける。

 コムギの声を聞き、曲がった背筋を少しだけ伸ばして唸った。

「こっちの台詞だ。お前、弁当屋はどうした」

 相貌から衰微しているかと思いきや、迫力のある蛮声でゆっくりと雄々しく語る。遠くから雷鳴が轟くようだった。とてもこの縮まった老体から発せられた低音とは思えない。

「先にそっちが答えろよ。まさか爺ちゃん、バールゼーブだったのか?」

「俺は堅気だ。こんなチンピラの溜まり場が古巣な訳ねぇだろう」

 雰囲気だけは所属していても全くおかしくない強烈さだけども。

「盟主に借りがあってな、それを今返せと言ってきやがった」

「ふーん、そうかよ」

 コムギは小さな羽をパタパタと動かす。振り上げたこぶしをどうしていいかわからないようだ。

「そしたら孫と、かつての弟子が勝負相手ってんだからな。久々に驚いちまったよ」

「なに? 弟子?」

 コムギの爺さんは目線を動かす。そのダークブラウンの瞳にはテトラが映っていた。

「驚いたのはこっちよ。何十年前から死に損ないやっている訳?」

「テトラが弟子ぃ?」

 コムギは腰を回してテトラを凝視する。

「その女はな、コムギが赤ん坊のころ面倒見てくれたんだ。俺が料理を教えてやる交換条件にな」

「えっ!?」

 その「え」はコムギと、俺のものだった。

 ヤンキーが雨の日に捨てたれた子猫を拾うシチュの比じゃないギャップだ。テトラが赤ちゃんの面倒を見ていた? 絶対あり得ない。

 テトラは珍しくばつの悪そうな顔をしていた。

「くそじじい。わざわざバラさないで」

「嘘だ、絶対無理でしょ、赤ちゃんの面倒? テトラさんが?  コムギさん……無事で良かった」

「殺すわよ」

 コムギの目は困惑しつつもキラキラしていた。

「実質、私のママ……?」

「殺すからね本当に」

 テトラは目を瞑って怒りを抑えている。これ以上言ったら軽く殴られかねない。

 コムギの爺さんは咳払いをして空気を変えた。

「それで弁当屋どうした。まさか潰したんじゃねぇだろうな」

「違う! き、休業中だ」

「休業? あいつはどうした、調理員の」

「……逃げた」

 祖父の顔がどんどん険しくなるにつれ、コムギの攻勢も反比例していく。虚言の吐けない性格だから取繕って体裁を保つ事も出来ない。

「お前、まさかまだ火が怖ぇのか? あれだけ訓練してやったのに」

 そこで勢いは完全に鎮火した。さながら親に悪戯が見つかった子供か、悪さをして先生に怒られる小学生だ。視線は少しづつ下方にずれていきついには俯いてしまう。

 その様子を見て祖父は錆びた臼のようにゆっくり首を振った。

「やっぱりお前じゃダメだったか」

 コムギは拳をぎゅっと握った。 

 確かにコムギは異常に火を怖がるとはいえ、継いだ弁当屋をなんとかしようと、苦手な物を克服しようとしている。爺さんに顔向けできるようにって頑張っている。

 何も知らないくせにその言い方はあんまりなんじゃないか?

「ちゃんと成長してます、コムギさんは」

 祖父、テトラ、黙って聞いていたカロテ等が俺を見る。

「孫を満足に育てられなかったあなたが、文句を言える立場じゃない」

 俺の行動にひゅう、とカロテの軽快な口笛が響く。

「……と、お、思います」

 俺は何を考えているんだ。人間が悪魔に物申すなど言語道断だ、殺されても文句は言えない。

「何様だおめぇ」

 鼓膜に低音が響く。これ以上臆している事を悟られないよう、俺は沈黙を貫いた。

 テトラが俺とコムギの前に出る。

「私もこいつに同意見だわ。文句ある? クソジジイ」

 今にも笑いだしそうなくらい、どことなくテトラの声は上機嫌だった。

『大変お待たせしました。決闘のメンバーが集結した所で、これから会場の皆さんに細かい説明を致します。テトラ弁当さん、定位置についてくださいね』

 突然、会場中にヘイゼルの声が響き渡る。叫んでいる訳ではなく拡声器に中てたものと似ていた。

 探してみるとキッチンを象る三角形の外れ、会場の中心から少しずれた所にヘイゼルが一枚の紙を持って立っている。隣にはもう一人悪魔が立っていて、ヘイゼルの口元に手を当てていた。この拡声器みたいな現象はその悪魔の魔法か。

 定位置に、と言われて俺達は自分たちのキッチンへぞろぞろと戻っていく。勝ち誇ったテトラとは対照的に、コムギの爺さんは万引き犯でも追いかけるような形相をしていた。


「言う時は言うじゃない。見直したわ」

「今も手が震えてますけど」

「だからこそよ。私が言ってもあのジジイには響かないわ。あの悔しそうな面、ざまぁないわね」

 テトラはクスクスと笑った。響いた、のか? ただただずっと険しいだけにしか見えなかったぞ。

「おい、ユキヒラ」

 コムギが聞き逃しそうな音量で俺を呼んだ。

「わりぃ。ありがとう」

 言ったと同時にそっぽを向いてしまう。尻尾がぐるぐるに巻いている。コムギからお礼を言われる日が来るとは……。

「な、何か揉めてたけど……大丈夫?」

 俺らが足早に去ってしまい、置き去りにされていたザラメがおずおずと聞いてくる。遠くからおろおろと見守っていたらしい。

 会場にはずっと声が響いていた。打ち合わせで話した内容を言い終え、ヘイゼルは短く咳払いする。

『最終事項の前に、決闘の立ち合い兼選考員である理事会を招集します。どうぞ、皆さん』

 ヘイゼルが告げると、二階席へ抜けるドアからぞろぞろと悪魔が出てくる。

 その中にはダスメサの言う通り……アイツが居た。

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