第39話『ユキヒラへ』

 配達から帰ってきて、仕込みとお料理教室を終え、家の家事を終わらせてから、ささっと夕食を作る。この激務も数か月こなしていれば慣れたものだった。

 コムギは特訓で疲れたらしく、俺の部屋で気絶している。自分の部屋がないから、ぶっ倒れた時は仕方なく俺の部屋を使わせているのだ。

 俺は作った料理を食卓へ並べた。ひき肉に豆腐を混ぜてカレー風味にした物。トマトと牛乳とコンソメで煮込んだ鶏肉と野菜のスープ。人数分余っていない白身魚に香草と塩を掛けて焼き上げた物。

 後はナッツ類や適当に切り分けたパンが並ぶ。テトラの前にだけ甘いカクテルが置かれている。

「た、食べようか」

 ザラメは食事の前に皆に尋ねる。ヤトコの所在が分かっている今、ザラメは俺達と一緒に夕食を取るようになっていた。

「いつも確認しなくていいわ。いい加減慣れなさいよ」

「毎日、決まった時間に誰かと食事をするって、なんだか嬉しくて……」

 ザラメは取り皿に皆の分を分けながらそれを言い、照れくさそうに笑った。

 ちなみに取り分けるのは俺の役目だと思うのだが、私がやると言って聞かない。これが女子力か。

 最後に取り分けられたクルミは勢いよくがっついた。

「この食事風景、失くしたくないな。ここにヤトコちゃんもいたら、凄く幸せ」

 ザラメはモグモグと口を動かしながら言った。

 ヤトコか。もしこの勝負に勝ち、どうにかしてザラメの元にヤトコが戻ってきたとしても、ここの絵にあの人間が佇む想像ができない。

「あんたの下僕になったら、私の手下って事になるわ。調理員が増えるのは良い事ね。もう百食くらいは受注できそう」

 ヤトコとはとても性格の合いそうにないテトラが、とんでもない提案をする。

「まさかとは思いますけど、それが目的でヤトコさんを引き入れようとしてるんじゃないですよね?」

「もちろんザラメのためよ。売り上げの事なんて微塵も考えてないわ」

 口の端をペロリと舐め、口角を上げた。ザラメもさすがに苦笑いする。

 いつの間にか大量の食事をクルミが食べつくしていく。

 毎回複数人で食事を囲むというのは、俺も人間界では経験がない。ザラメの言うように、この光景は失い難い居心地の良い物に思えた。


       ※


 夕食が終わりザラメは帰宅し、クルミも既に部屋で夢の中だ。色々と寝支度を済ませたが、今日は珍しくコムギがまだ復活してこない。

「テトラさん。コムギさん起こしてきてくれませんか?」

「嫌よ、自分で起こして」

「コムギさん寝相悪いんですよ。テトラさんの時みたいに毛布と間違われたら最悪死にます」

 毛布のくだりを聞いて、テトラの尻尾がぴくんと動いた。

「……じゃあ今日はリビングのソファーで寝なさいよ。私の毛布貸してあげるから」

 テトラはわざわざ自分の部屋から掛け布団を持ってくると、なぜか逃げるように部屋へ戻っていった。

 様子がおかしかったな、どうしたんだろう。

 それにしても、今日は久しぶりにテトラと結構喋った。カロテの前での出来事が功を成したのかもしれない。

 これは仲直りが成功したと考えよう。

 結果的に俺が一方的に折れただけのちょっと釈然としない終わり方だったけども……これでいいだろう。気まずいままよりマシだ。

 普段はコムギが寝ているリビングのソファーは座る分にはまぁまぁ広い。だが大人の男一人が寝るには少し窮屈だ。

 布団を広げるとテトラの香りが空気を支配し、不覚にもドキっとしてしまう。今日はこの妖艶な香りに包まれて寝るんだ……至福か?

「ん?」

 毛布を広げた時に何かが落ちて来た。布団に挟まっていたようだ。手のひらサイズの茶色の封筒で、作りからそれが手紙だと分かる。

 手紙には宛名があり、丁寧な字で「ユキヒラへ」と書かれていた。

 テトラがわざわざ貸してくれた布団から出て来た俺宛ての手紙。さっき逃げるように出て行ったのはこれか。

 俺は神妙な面持ちで手紙の封を切った。

 内容は至極シンプルだった。


 ごめん


 たった一言、そう書かれていた。

 更に追伸で下に小さく文字が綴られている。


 手紙はクルミに薦められただけで、私が書きたいと思った訳じゃないわ。


「はは。手紙でも素直じゃない」

 何度も短い手紙の文字を往復する。

 今日、俺がカロテの部屋で和解を試みてからこれを書いている暇はなかったはずだ。もっと前に書いていて、いつ渡そうか迷っていたのかもしれない。

 このタイミングを逃したらいつ渡すつもりだったのか。本当に世話のかかるご主人だ。

「気持ちわりーな、何ニヤニヤしてんだよ」

「ぅっ」

 心臓が飛び出るかと思った。

 すぐ隣にコムギが居た。俺はこいつの入室に気付かないくらい手紙に食いついていたらしい。

「お、起きたんですか。丁度良かった。寝床交換しましょう」

「それはいいけどよ」

 前かがみの体を起こしてお腹をさする。よく見ると泣きそうな顔をしていた。

「腹と背中がくっつくぞ……飯は?」

「ありますよ。今温めますね」

 腹が減って起きてくるとか、動物かお前は。

 食事を出して寝ようとしたら独りで食べさせる気かよ、と我儘を言われてしまったので、俺はコムギの遅い夕食に付き合わされることになった。

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