第37話「はんばーぐで、てをうとう」
ザラメが復帰してからも休むことなくコムギの特訓のは続いていた。
「はい、行きまーす」
「無理だって!」
コムギはクルミに動きを封じられ、烈火の如くジタバタしている。右手はザラメが押さえているので、左腕だけが自由な状態だ。
手が空いている俺は目の前に蝋燭の火を持っていく。
今までは遠くからだったり油だったりしたけど、実際に火を目の前で見せるのは今回が初めてだった。最近は慣れて来ていたけど、コムギはまた注射を嫌がる幼児みたくなっている。
「大丈夫ですコムギさん。ザラメさんが腐っている時の、あのキノコが生えそうな薄暗くて気味の悪い部屋の事を思い出してください」
「い、言い方酷くない……?」
ザラメの家に行ったあの時、コムギは自分で蝋燭を消した。遠くで火を眺める事すら危うかったころに比べれば猿から人並みの大進歩だ。
慣れさせればこっちのもの。蝋燭を増やして行けば、ガスコンロに立つのは余裕だろう。料理の知識と天性の舌は持っているので、後はどうとでもなる。
「覚えてますか? コムギさん目の前で息を吹きかけて消したんですよ。丁度これくらいの距離です」
「たたた確かにそうだけどあれは勢いもあんだろ!」
蝋燭の小さな灯を見つめながらブルブル震えている。
「今日はこの火を指でつまんで消してもらいます」
言葉にならない程の驚倒。電気を流されたくらいにコムギの体がビクっと跳ねる。
「バカか!? 私が傷物になったら責任取ってくれるんだろーな!」
「こんな感じです」
俺は蝋燭の紐の部分をつまんで消して見せる。熱いのは上の方なので躊躇しなければ意外と簡単に消せてしまう。コムギは口を大きく開けて愕然としていた。
俺は蝋燭に火をつけ直しもう一度コムギの目の前へ持っていく。
「まっ、心のじ、、、ちょぃ持っ……」
「コツは根元を掴む事です。上から行ったり躊躇すると火傷するんで気を付けて下さい」
強制的にザラメに右手を前に出させてもらう。コムギは手首を曲げて蝋燭から必死に遠ざかろうとする。往生際が悪いな。
「ほれ」
「きゃあ!」
一瞬だけコムギの右手に蝋燭の火を翳める。熱を感じて泥水でも被ったように目を瞑った。涙目でプルプル震えているのを見ると何かいけない事をしている気分になってくる。
「――ぁっつ!」
「あっ、すいません!」
コムギが暴れ続けた結果、俺の予想外の方向へ手が飛んできて火が思い切り当たってしまった。近づけたとはいっても当たる距離ではなかったし、調子に乗りすぎた。
「一旦離して下さい」
俺はすぐにコムギの右手を確認する。悪魔とはいえ怪力なだけで、さすがに火傷はする。狼狽しながら確認すると手刀の一部分が少し赤くなっていた。
かなり軽度とはいえ、本当に火傷させてしまったらしい。
「あの、ごめんなさい。当てるつもりは……」
コムギは俺の手を乱暴に振り切り、右手を大切そうに胸に抱える。
「待てって言ったじゃん! バカ! 鬼畜! この悪魔たらし!」
凄い大声だった。目の前で叫ばれて思わず片目を瞑ってしまう。親の仇の様に俺を睨むと、心配する間もなく厨房から出て行ってしまった。
大けがをしたわけじゃないが、さすがに悪い事をしたな。
「悪魔たらし……。ユキヒラ君、コムギちゃんにも何かしたでしょ。もう少し自覚持った方がいいよ」
ザラメがぼそっと言う。いや、何もしてないぞ俺は……多分。
上手くいくかと思ったけど急ぎ過ぎたのかもしれない。コムギを立派な料理人に仕上げるには、もうすこし時間がかかりそうだ。
「ゆきひら、あくまたらし」
コムギを呆然と見送った後、クルミが面白そうに声をあげた。
「クルミさん、それヘイゼルさんの前で絶対言わないで下さいよ」
「はんばーぐで、てをうとう」
「どこで覚えて来るんですか、そう言うの……」
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