第28話「赤ちゃん出来ちゃう」
バトラとヤトコが訪れてから数日経った。ずっとふさぎ込んでいたザラメは、今日ついに無断欠勤した。
俺が知る限り休むのは初めての事だった。
「店頭用の弁当、盛ってないですよ」
「もう、後で私がやるわよ。あんたはそっち片づけて」
今日は久しぶりにきりきり舞。一人いないだけでここまで忙しくなるとは思わなかった。
ザラメの昨日までの様子を考えるとかなり心配だ。もしかしたらこのまま来なくなってしまうのではないか、とさえ考えが過る。
テトラは心配よりも忙殺されて苛立っているようだ。
忙しいのは弁当を積み終わったあとも続く。ザラメがやっていた店番に人員を回すと配達に帳尻合わせが求められる。
諸々の理由から、店番は俺とコムギに任せられた。
テトラは配達に行く前、紙切れ一枚を俺に渡す。乱暴に突きつけられたそれには住所が書かれていた。
「ザラメの家よ、それ。弁当が売切れたらザラメを引き摺り出して来なさい。抵抗するなら縛り上げて」
「家に居なかったらどうするんですか?」
「街中探すのよ」
シンプルに嫌だ。
テトラはもたもたしているクルミをわきに抱えて出て行く。猫が抱っこされてぐにゃりと体が曲がるようだ。
一度出て行ったテトラは早々に戻ってきて、顔だけこちらに出した。
「ちなみに私は今日中に説教しないと気が済まないから」
それだけ告げ、配達車は忙しく出て行く。
「あれ」
カウンターに置いてある売り物の弁当をみて気付く。いつもは十個以上あるのだが、今日はたったの五つしか置いてない。
店頭用の弁当を今日盛ったのはテトラ、数を間違えたってレベルじゃないし、わざわざ店頭販売やらせておいてこの個数。
相変わらず素直じゃないな。
「コムギさん、今日はちょっと外に出る事になりますよ」
コムギの頭の上にクエッションマークが見える。さっさと売りさばき、出来れば一人で行きたい所だが、人間だけでうろつくのはアウトだ。
「んじゃ今から行こうぜ」
「いや、さすがに五つくらいは売らないと……」
「だからこそさっさと行くんだよ。外の方が都合いい」
「どういう……?」
コムギは弁当を袋へ雑に詰め込んでいく。中身が崩れるのでもうちょっと丁寧に扱って欲しい。
「特別出張販売だよ」
コムギはニカっと口角を上げた。
※
「安いよ安いよー! あのテトラ弁当が今日限りの出張販売! しかも残りはあと五つ、早いもん勝ち!」
その高々な口上が鳴り響いたのは飲食街の少し手前。その台詞は全て詭弁だ。
安くもないし「あの」と付けられるほど有名でもないし、今日限りも残り五つもギリギリの所で詐欺。
しかし、弁当はモノの数分で売り切れてしまった。恐るべしコムギ。
「売るの上手いですね」
手ぶらになった俺の手には飲み物が二つ。ザラメの家に向かいながら、俺達は飲食店街の広場で小休止していた。
「まーな。ずっとやってたから」
腰に手を当てて自慢するかと思いきや、遠くを見ながら目を細める。意外な反応だ。
「ずっと?」
「私、爺ちゃんに育てられたんだ。親死んでるから。爺ちゃん弁当屋だから、売れ残ったやつをこうやって捌いてたんだよ」
あっさりと重い内容を言われた。
「そのお爺さんは……ご健在ですか?」
「おう。でも年だったからな、仕方なく三代目を私に引き継がせて、今は旅にでちまった」
自由な爺さんだな……。
でも生きていればいずれ会える。
その点は素直に羨ましいと思っていると、コムギは手を差し出してきた。一瞬何かわからなかったが飲み物の催促だ。そう言えば俺が持ったままだった。
「爺ちゃんに面目ねぇから、ウチの店を潰す訳にはいかないんだ」
「じゃ、これからも特訓頑張らないとですね」
「ぉ、ぉぅ……」
鼻息の荒い発言から一転、尻尾がくてんと重力に負ける。
コムギは遠くにゴキブリを発見したような顔をしていたが、飲み物のストローを指でいじりながら、急にもじもじする。
「あのな……お前には、その、感謝してる」
「感謝?」
「数日で火に近づけるまでになった。私一人じゃ、絶対無理だった」
俺の事を睨む。でも前のような敵意は感じない。喜びの中に悔しさが小さじ一杯って表情だ。
「単純に嬉しいんだよ。ありがとうな」
睨み顔から今度は照れを隠すために笑った。眩しいくらいに純粋で、コムギが俺に向ける初めての笑顔だった。
コムギは不器用ながらに素直な気持ちを真っ直ぐぶつけてくる悪魔だ。お馬鹿だから偏見もあまりない。
ヤトコと違って、俺は本当に運がいいらしい。
「でも最初はマジで殺そうと思ったくらい――ぶわっ」
コムギは飲み物を口に含んだ瞬間、勢いよく噴出した。
「にがい!」
「あ、それ俺のだ。すいません」
コムギはジュースか何かだったはずだが、間違って俺のブラックコーヒーを渡してしまったらしい。べー、と舌を出して目を強く瞑っている。
「うえー」
口を拭いながら俺にコーヒーを押しつけてくる。それを受け取ってもう片方の飲み物を渡した。あまりに苦そうにするので間違ってエスプレッソでも入っているのかと俺もストローに口をつける。
「あっ、おい……」
普通のコーヒーだった。
ふとコムギを見ると、なぜか顔を真っ赤にして唇を震わせている。
「そ、それ、私が」
それ、と言って俺が持つ飲み物を指す。私が? なんだ?
「間接キス?」
「言うな!」
トマト色になりながらぷるぷると震えて悶絶している。コムギはコホン、と少し乱れた髪を整えながら咳払いした。
「ったく……男とは言え、貞操観念持てよ。逆だったら赤ちゃん出来ちゃう所だったぞ」
「は?」
とんでもない性知識のなさを暴露された気がした。いや、それとも悪魔はそんな事で子供が? と思ったが、さすがにそれはないか。コムギが乙女すぎるだけだろう。
「さぁ、そろそろ行くか。ザラメを引き摺り出しに!」
コムギはすでに飲み干したカップを投げ捨てて言う。俺はそれを拾って近くのごみ箱に捨てた。
どうか家にいてくれよザラメ。町中を探し回るだけは、本当に勘弁だ。
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