第27話 貴方は今日から私の下僕にするわ

 通常であれば支部の食堂は朝、昼、夕の三食とも賑わっているはずだったが、今日は閑古鳥が鳴いている。

 バトラは厨房までヤトコを引き連れる中で、何度も悪魔達から声をかけられた。よくやく帰ってきたか、もうあいつらの飯はごめんだよ。

 支部の悪魔達はバトラへのあいさつの次は、そのような言葉がヤトコにかけられた。対するヤトコは特に反応を示さず、悪魔達を無視してバトラについていった。

「挨拶はどうしたこのグズ! いつも敬意を払えって言ってるだろ!」

 バトラとヤトコが厨房に入った途端、罵声が飛んできた。バトラが居ると分かると息を飲み、空中で彷徨っていた拳をすぐ後ろに隠した。

「これは、バトラ様。失礼しました」

「構わないわよ。いつも通り振る舞って頂戴」

 料理番の一人はにやりと笑った。ここの料理番はヤトコを除いて全員で三名、勿論全員悪魔である。

「ヤトコが作ったご飯が食べたいの。厨房を借りるわ」

「いや、そんな雑魚より俺達の方が旨いですよ」

 奥へ行こうとしたバトラは足を止め、ゆっくりと振り向き刀のような視線を刺す。

「意見した? 今。私に」

 料理番は息が止まりドッと汗が流れる。ただ振り向いて眼が合っただけなのに一度死んだ気さえした。そのまま二人が通り過ぎ、料理番はようやく溜息が吐ける。

 料理番の悪魔はヤトコの背中を歯ぎしりしながら睨んだ。


 食材を確認しヤトコは手際よく料理を作っていく。

「私の好みは聞かないのかしら。嫌いなものを出したら殺すわよ」

「問題ない。嫌いなものも好きにしてみせる」

「へぇ、言うわね。それなら私、向こうで待ってるわ」

 自信家の言葉にバトラはにんまりと笑った。尻尾をふるふると揺らしながら、食堂の方へ出て行った。

 料理も終盤、仕上げにもう一度火を強くしようと目を離した瞬間、ヤトコは背中を強く押された。掴んでいたフライパンがガス台から転げ落ち、中身を思い切り浴びてしまう。

 熱い、と悲鳴を上げようとして堪えた。

「おっと悪い。狭いからよ、この厨房。お前が居なければもう少し広いんだけど」

 背中を押した悪魔が言う。

 ヤトコは火傷した太ももを手で押さえ、痛みを我慢する。

 こぼしてしまった物を見た。もう一度作り直さないと、そう思った瞬間、液体音が響く。

 ボサボサの髪が一時的に滴り、服もずぶ濡れになった。大量の水を別の悪魔に被せられ、全身が水浸しになっていた。

「火傷しなかったか? これで大丈夫だろ」

 水が入っていた入れ物を投げつけられ頭に当たる。鈍痛と熱い感覚がヤトコを襲った。

 髪から落ちてくる水滴には赤い色が混じっていた。ヤトコは水滴を目で追う。

 ふらふらと拙い脚力で立ち上がり、もう一度ヤトコはフライパンを握った。


       ※


 バトラは出来上がった料理を目の前にする。本部で食べる豪勢な物ではなく、たったの一品だった。

 出て来たのは揚げ魚の餡かけのみ。白身魚と翡翠色のソース、彩りにしては出来が良すぎる、丁寧に飾り切りされた野菜達。

「私、舌がいいの。お姉様に褒められたこともあるわ」

 隣に立つヤトコはびしょ濡れのまま、頭の傷を手で抑えていた。バトラはそのことに関し、何も聞かない。

「あなたの故郷では、どうやって食事に敬意を示したの?」

 ヤトコは傷の痛む頭で考えた。

「食べ物に向かって手を合わせて、頂きます、って唱える」

「あぁ、聞いたことがあるわ」

 バトラは静かに手を合わせた。

「いただきます」

 魚を小さく切り取り口へ放り込む。

 目を瞑り味覚を集中させた。

 バトラはうん、や、ふーん、など、感嘆詞を零す。自然に顔がほころんでいるのは、本人も気づかない。

 尻尾がふわりと垂れ下がって、食事は終了した。

「合格ね」

「当然ね」

「ふふっ、口が減らないわね。気に入ったわ」

 バトラは目線を彼女の後ろへ移し、厨房で屯している料理番の悪魔達へ手招きする。 

「あなた達、これを食べなさい。勉強になるわよ」

 料理番達の三人は見合ったあと、ずかずかと食堂へ入った。途中、棒立ちしていたヤトコを跳ね飛ばして、バトラの前までやって来た。

 ヤトコは背中を強く打ち、息を殺してうずくまる。

 バトラは苦しそうにするヤトコをしり目に、料理を指さした。

「ちゃんと敬意を払って食すのよ」

「わかってますよ」

 料理番達は眉間にしわを寄せながら、素手で魚をぐちゃぐちゃに取り分け、それぞれ口に入れた。

 最初に飲み込んだ一人は咳払いをして舌を出した。

「よくわからねぇ味だ。こんなの俺でも――」

 そこから先の言葉は続かなかった。

 料理番は勢いよく床に突っ伏し、頭蓋は砕けて瞬く間に血を拭き出す。

 料理番が「バトラに殴られた」と誰もが気づいた時、更に二つの穴が床に開いた。

 雷鳴に似ていた。

 強烈な破壊音が三つ立て続けになる。料理番達は全員頭を砕かれ、床で仲良く果てている。

 バトラの右手は返り血で染まっていた。

 ハンカチを取り出し、丁寧に血をふき取る。三つの死体に向かい、その汚れたハンカチを投げ捨てた。

「食事への挨拶はどうしたの。敬意を払えって言ったでしょ」

 もう聞こえていない悪魔達に言い放った。

 ヤトコは表情をこわばらせ、三つの死体から目が離せなかった。

 バトラはおびえるヤトコに歩み寄り、視界から死体を隠す。

「立ちなさいヤトコ。貴方は今日から私の下僕にするわ。いいわね」

 ヤトコの前に出された、救いを差し伸べる悪魔の手。

 艶やかな女性らしい手は、たった今三つの命を奪ったとは思えない程に、ヤトコには綺麗な物に映った。

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