第6話「今日からここに泊めてくれ」

 厨房に着いたコムギは隅から隅まで眺めた。料理を習いに来たというより、監視カメラでも探しているようだ。

 さて、何から教えたらいい物か。いや、その前にコムギのレベルを知らなければならない。それにしても料理を教えるのはザラメ、クルミ、そしてコムギで三人目か。

「とりあえず実力を見たいんで、下処理を手伝って貰えます?」

「おう。簡単だ、見てろ」

 コムギは慣れた手つきで人参の皮を向き、大体の煮物に適した大きさに切っていく。しかも頭の方と細い方で大きさをちゃんと揃えていた。おぉ、切り方はわかっているらしい。少し雑だが速度も速い。

「切裁は問題ないですね。普通に上手い」

「ったりめぇだ!」

 褒められたのが嬉しいのか、腰に手を当てて踏ん反り返る。

 とりあえずここまで切り込みが出来るのだから、ある程度のレベルなのだろう。どこから教えたらいいか逆に困るパターンだ。一つ料理を作らせて、それに対してアドバイスする方向でいくか。

「コムギさん、得意料理は?」

「ねぇよ」

 即答されてしまった。流石にここまで包丁の扱いが慣れていて、ない訳ないだろう。ってか、それ以前に飲食店の店主だろお前。

「最近作った料理はなんですか?」

「最近? えーと、和え物だな」

 和え物は基本を押さえていれば誰が作ってもあんまり味は変わらない。教える必要があるのはメインの料理だ。副菜が絶品でも主菜が不味いと話にならない。

「出来れば主菜を見たいんですけど」

「あー、サンドイッチ……の味付けとか」

「そういうのではなく。肉、魚、揚げ物、みたいな」

「ない」

「まさか、一度も作った事ないんですか?」

「なんだよ。喧嘩売ってんのかお前」

 口調を勇ましくする事で話題をずらそうとしているな。

 本当に料理自体を作ったことがないのなら、逃げ出した調理員に丸投げだったってことか。

 それにしてもなんでやった事がないんだ? やる気はあるのに。

「じゃあ、簡単な炒め物から始めますか」

 とりあえず考えるのは後だ。切込みだけは普通にできる訳だから、その先から教えていこう。野菜炒めくらいならすぐ出来るはず。

 味付けは好みで良いし、とにかく簡単だ。みそ汁の具くらい割と食材も何でもいい。一番最初に通る道と言っても過言ではない、と勝手に思っている。

「い、炒め?」

 コムギは急に覇気が無くなった。何かを恐れているような……テトラに睨まれた時の顔をしている。

 俺はささっとキャベツを少量切り、人参の横に並べた。

「知ってるかもしれませんが、炒めるのは火の通りにくい方から。その前にフライパンを温めておきます」

 俺は火をつけ、油を引く。その瞬間、隣にいたはずのコムギの姿が見えなくなった。どこにいったのかと見まわしてみると、離れた場所で小さくなっているのを発見。 

「あの、何してるんですか?」

「何って、避難だよ。危ないだろ」

 部屋の隅で体育座りをしながら、持ち出した銀のボウルを頭から被っていた。地震の避難訓練を思い出す光景だ。

「避難って何から?」

「馬鹿かお前。火だよ、その火!」

 コムギはガス台に灯る小さな火を指差し、火事を見つけた時みたく叫ぶ。

「もしかして火が怖いんですか?」

「ばばばバカ野郎、怖くねぇよ、危ないだけだ」

 明らかに怖がっている。悪魔なのに火が怖いのか……変な奴だ。

 異常に怯えるコムギを見て、俺の中の悪戯心がちょっとだけ主張し始めた。

「ちなみに、昼食のステーキは調理過程でこういう事もやったんですよ」

 空のフライパンで出来るか分からなかったが近くのアルコールを振りかけてフランベしてみる。

「ぎゃあ!?」

 見事上がった火柱に対し、コムギは叫び声と芸人顔負けのリアクションをした。ボウルを盾のようにしてこちらに突き出し、目を瞑ってガタガタと震えている。ここまで怯える悪魔も珍しい、これは弱みを握れたかもしれない。

「おま、人間の癖に魔法でも使ってん……わぁああ!」

 もう一度上がる火柱に、ボウルを床に落として縮こまるコムギ。ちょっと可哀想になって来たのでそろそろ火を止める。逆ギレされたら怖いし。

「とりあえず料理が出来ない理由が分かりました。まず火に慣れるところからですね」

 そしてそれは、調理以前の問題だ。火に慣れるって何かの修行みたいだな。それはもう俺が担当する分野じゃない気がする。

「火……」

 コムギは放心したまま遠くを見ていた。この悪魔に料理を教え込むのか、中々先が長そうだ。主に、調理開始に至るまでが。

「今日はこの辺にしましょう」

 コムギは俺の声掛けで放心状態からハっと我に返る。

「あっ、そうだ、言い忘れてた。まぁ、お前でもいいか」

 コムギは先ほどまでの調子に戻り、埃が付いた服の裾を掃って立ち上がった。ガス台の方をチラチラみて火を警戒しながら、俺の肩をポンと叩いた。

「今日からここに泊めてくれ」

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