第5話「教えろ下さい」

「やっぱ旨ぇ。さすがは姉御だ」

 金を返してきたコムギは、俺達と一緒に昼の食卓を囲っていた。

 メニューは極簡単な物だ。牛肉が余っていたので適当にハーブと塩で焼き、即席で作ったケチャップベースのソースをかける。付け合わせに野菜多めのポテトサラダと数人分の具なしコンソメスープ、主食にパンをこしらえた。

「このソースの作り方は?」

 コムギはパンをガジガジと齧りながらテトラへ問う。テトラはティーカップをテーブルに戻し、俺を親指で示した。

「あんた勘違いしてるけど、この料理も弁当も、作ったのはこっちよ」

 ここまでくれば当然だが、ついにネタばらしされてしまった。コムギは壊れた機械のように首を回して俺を見る。生まれて初めて瞬きをするかのように、ゆっくりと瞼を開閉させた。

 そして、

「はー?」

 と、バカみたいに声を漏らした。

「この人間が?」

 俺と料理を交互に見る。無言のままもう一度ステーキを食べ、むむむ、と唸った。

「あっ、また冗談だろ」

「本当よ」

 紅茶を口にするテトラの言葉にコムギは脱帽する。テーブルに備え付けてある布巾で口を拭き、俺の事をキっと睨んだ。

「悪魔が人間に教えを乞うってか……」

 台詞からして、一般的な悪魔の価値観のようだ。人が猿に教えを乞うようなもので普通はあり得ない。

「姉御は料理しないのか?」

「最近はしないわね。あとその呼び方止めないと挽肉にするわよ。うざったい」

「名前は?」

「テトラよ」

「テトラの姉御!」

「あんた自殺しに来たの?」

 テトラは本日何度目かの溜息を吐く。全員から漏れてもおかしくない吐息だ。

「そういやお前、人間のくせになんで同席で飯食ってんだ?」

「す、すいません」

 強い口調ではないけど、コムギは不機嫌を隠さずに呈する。

 これが普通の悪魔の反応だ。人間の俺は離れてか、後で食うべきだったのだ。ザラメやヘイゼルなどが如何に例外的で、寛容か思い知らされる。

 俺が急いで皿を下げようとすると、テトラが俺の手に触れた。

「座ってていいわ」

 テトラは氷山のような視線をコムギに向ける。声をかければこちらが凍ってしまいそうだった。

「あんたが人間をどう思おうが勝手だけど、この人間に料理を教わるのが嫌なら今すぐ消えて」

「なんだよ、いきなり」

 コムギは人間に対するテトラの対応に驚き、冷たい視線から逃げるために俺へ一瞥くれる。俺を睨むのは完全に八つ当たりだ。

 コムギはおもむろにフォークを持ち肉に突き刺した。四分の一は残っている肉を一気に頬張り、ハムスターみたいな頬になる。モグモグしながら睨み続けられるのは奇妙な気分だった。

 コムギは肉を飲み込み水で流し込むと、椅子を倒さんばかりに立ち上がった。

「人間、悔しいけどお前に料理を教わってやる。ウチの店を助けろ!」

 口の周りにソースを付けたまま、半ばヤケクソで叫ぶ。

「何様よあんた。言っとくけど私の気が変わったら即追い出すからね」

「ぐっ」

 コムギは注意を受け、体を強張らせる。そしてまた俺を悔しそうに睨む。またか。ご褒美になる人種を覗いて、女の子に睨まれるのは精神衛生上よろしくない。

「そういえば、同業者なんですか?」

「あぁ。良い質問だ、人間」

 コムギはウチの店ってこの前も言っていた。料理を教わりたいということは飲食店なんだろう。コムギは椅子を雑に戻し、座って腕を組んだ。説明の前に水を飲もうと手を伸ばすが、既に水は入っていなかった。

「ウチはテトラ弁当と同じ、悪魔病院に弁当を卸してたんだ」

「お店の名前は?」

 特に驚きもせずテトラはさっきまで唸りながた見ていた資料を手に取る。もしかしたら件のライバル店だけではなく、色々な店のデータが載っているのかもしれない。

「コムギ弁当だ」

「まさか、あんた店主?」

「そうだぞ」

「世も末ね」

「なんだよ。文句あんのか」

 いや、俺もそう思う……。

 テトラは紙の上で目を滑らせる。何度か往復した後、一番最後の紙で眼球運動を止めた。

「先月の売り上げ、二百九十八個。一日平均十個くらいね」

「そんなもんだったっけ。なんで知ってんだ? 凄いな」

 自分の店の売上も把握してないのか、こいつは。

「ちなみに今月はまだゼロだ。病院撤退したし、そのせいで調理員が辞めたからな」

 コムギは笑っているが、全然笑い事じゃない。調理員が逃げるのもしょうがない。店長がこんなのとか同情する。

「もう私がやるしかないんだ。だから前々から旨いと思ってたテトラ弁当を参考に……あっ、別にお前を褒めてないぞ」

 どう考えても俺を褒めてるんだが。面倒くさい悪魔だな。

「他に従業員はいないんですか?」

「いない。私一人」

「もう店畳んだらいいじゃない。それで全て解決よ」

「それは出来ねぇ」

 得意げに話していたコムギは表情を一転し、珠玉な物を抱えるようにしてテトラを睨む。

 自身が睨んでいた事に気が付いたのか、コムギは縮こまって皿を眺める。皿の上にはポテトサラダから器用に取り出された玉ねぎが散っていた。

「爺ちゃんから受け継いだ、大事な店なんだ」

 コムギはその玉ねぎをフォークでいじりながら言う。いじけた子供のようだ。テトラは軽く嘆息を返した。

「どうでもいいわ。だったら頑張りなさいよ。少しは教えてあげるから」

「恩に着るぜ! テトラ!」

 コムギは無理矢理テトラの手を掴み、目を輝かせる。興奮を表すようにポニーテールがぶんぶん揺れていた。

 勝手に許可するのは良いけど、教えるのは俺なんだよなぁ。

「ちなみに、利益が出たら徐々にお金を入れるのよ。それが教えてあげる条件」

 そしてお金はしっかり取る。強かと、いやがめつい……まぁ、迷惑料かな。

「じゃあ人間、早速教えろ。厨房に来……」

 コムギは尊大な態度で威張ろうとし、テトラの視線を感じてすぐ恐懼する。言葉に詰まってしまい、酸素不足の魚みたく口をパクパクさせた。

「教えろ下さい」

 チグハグな言葉が出てくる。プライドが高いって大変だな。

「仕込みにはちょっと早いですけど、今からやって大丈夫です?」

 面倒ごとは早めに片づけたい。俺は厨房を使ってよいか、テトラに確認を取る。

「別にいいわよ。私もやることあるし」

 テトラは資料をヒラヒラと振った。

 もう少ししたら手伝いでザラメも来るし、その前にコムギの実力のほどを見ておいてもいいだろう。

「じゃあ、すぐに案内します。ちょっと待っててください」

 これからほぼ初対面のアホそうな悪魔と二人きりか。正直、不安で仕方がない。

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