第48話 下僕の労働は理不尽の連続だ。
俺はコーヒーを置き、深呼吸した。
「実は毒殺って言うのは大げさで……あの時は、カルダさんが好みそうな表現をしただけです」
どういう風に説明したらいいか迷う。
「人間には……人によって、食べたら死ぬ食べ物があるんです、アレルギーって言うんですけど」
テトラは「貧弱ね」と簡単な感想を零した。
「それを俺は、間違ってとある子供に提供してしまって……その子は亡くなってしまいました。毒殺したようなものです」
ずるずると酒を啜るテトラが、どんな気持ちで聞いているかは考えないようにした。
「俺が家族に謝罪に行った時「人殺し」って言われました」
俺は自分の声が少し震えている事に気が付いた。でも震えを止める術はない。自責と共に一生つきまとう問題だから。
「あんた、運がよかったわね」
「え?」
間髪入れずにテトラは言葉を返す。
「悪魔は食べ物くらいじゃ死なない。安心してここで弁当を作り続けるといいわ」
いや、そういう問題ではないぞ?
「……ちょっとは気遣うとか、してくれないんですか」
「そう言う事は自ら克服する物よ。あんたなら大丈夫」
ぶっきらぼうな台詞だが、声は柔らかく温かい物だった。無責任に言った台詞じゃなくて、テトラなりの応援のように思えた。
「それだけ?」
「それだけって……そうですけど」
「何よ、期待して損したわ。もっと大量に人間を殺したのかと思ったのに」
テトラは心底つまらなそうに肩をすくめる。そしてさらっと恐ろしい事を言う。改めて相手が魔界の住人なのだと感じた。テトラは空になったグラスを俺に見せつけブラブラと揺らす。おかわりを要求しているようだ。
「注いできます。ちょっと待ってください」
俺は酒を取りに行くついでに、トイレにも寄った。
帰って来るとテトラは真剣な顔をしていた。おもむろにポケットに手を入れ、ボロボロのブレスレッドを取り出した。
「本当の毒殺ってのはね、これくらいえげつないのよ」
俺が持って来た酒を飲み、話を続ける。もう終わった話題かと思っていた。
「この前の毒の霧は、私の魔法なの。あの辺の土地も長い間元に戻らない。自分で自分の大切な物まで壊しちゃうくらい、強力よ」
「あの時くらい、外して出かければ……」
「あんなにてこずると思わなかったわよ。それに」
「それに?」
「外したくなかったの」
テトラは顔を隠すように、グラスを口に持って来る。
俺は、その魔法の話もカルダから聞いていた。
「ブレスレッド、クルミでも直せなかったわ。さすが私ね」
悲しそうな自嘲だった。
ブレスレッドは所々が解れ、変色し、錆びている。辛うじて原形を留めている金属の塊は本来の使われ方をしたら数秒で跡形もなく壊れてしまいそうだ。
テトラは触れるか触れないかと言う距離を指でなぞる。遠くにある星に手を伸ばすような仕草だった。
「それは大事に取っておきましょう。直す方法を探せばいい」
「……そうね」
テトラは優しくブレスレッドを持ち上げポケットへしまう。
同時に、今度は俺がポケットから小包を出した。テトラが何か言う前に俺が口を開く。
「という訳で今度はこれ、プレゼントします」
既知感のある展開に、テトラは数回瞬きする。
「…………いつ、買ったのよ」
前とほとんど同じ反応だった。無表情だが、尻尾がくねくねしている。
「今日の買い出しです」
予定にはなかったけど、偶然が重なって買うことができた。
これはさっき俺がトイレに行くついでに、念のため部屋から持って来ておいたものだ。手の平サイズの小包をテトラは開けていく。出て来たのはブレスレッドとセットだったネックレス。選んでいる余裕がなかったので、とりあえず欲しがっていたこれにした。
テトラはネックレスをまじまじと見つめる。反応がないと逆に怖い、もしかして覚えてないのだろうか。
テトラは立ち上がって俺の横まで来た。ネックレスを握りしめたまま無表情で俺を見下ろす。そそて真横にドカっと座り、上半身だけ背中を向けた。後ろ向きに、握っているネックレスを差し出してくる。
「着けて」
もう片方の手で首を指差す。少し下を向いているので、髪で隠れていた細くて白い首が姿を現した。俺は驚きつつも、ネックレスを手に取る。
「し、失礼します」
妙な緊張だ。テトラはネックレスが付けやすい様に髪を持ち上げた。風呂に入りたての良い香りと綺麗なうなじが嫌でも目に入り、ドキっとしてしまう。
「着けましたよ」
テトラはこっちを向いた。真横に座っているので距離が近い。
「どう?」
「可愛いです」
よくブランド殺しなんて言うけどこの場合はその逆だった。仮にこれがただの安物だったとしてもテトラならブランド品に変えてしまうだろう。
「そ、ならよかったわ」
テトラはおいしいものを食べた時見たく、にっこり笑った。
そのまま、二人して沈黙してしまう。テトラは俯きがちで、何故か顔を隠している。俺も俺でテトラの行動がいきなりすぎて混乱している。下手な冗談とかを言ってもいい雰囲気じゃない事だけは分かった。
「ユキヒラ。助けてくれて、ありがとう」
一瞬何の事かわからなかったけど、毒の中から連れ出した事だろう。勿体ぶってそんな事を言い出せなかったのか。
「お互い様です。俺も何度か救われてますから」
「ご褒美に、一つだけ何でも言う事聞いてあげる」
漫画とかで聞くような、夢のような台詞だった。
字面だけは全く卑猥じゃないのに、脊髄反射でちょっとやらしい妄想をしてしまうのは俺だけじゃないはずだ。あふれ出てくる欲望を必死に抑えたセリフがこれだった。
「ほっぺにキス、とか」
童貞丸出しのキモイ願望だった。
テトラはちょっとだけ目を見開き、溜息を吐く。
「何でも良いって言ってるのに、それだけ?」
落ち込んだような、イラついたような、複雑な物言いで眉をハの字にする。
「目、瞑って」
俺がぎょっとしていると、逸らしていた目線を俺に向け、急に真剣な顔になる。
血流が一気に早くなるのを感じた。顔の距離が近づき、ギリギリの所でテトラは目を瞑る。
数秒もしない内に、唇に柔らかい物が当たった。
……唇。だと。
一回しているはずなのに初めての感覚に思えた。俺が唇を離すタイミングが分からないでいると、テトラの方からそっと顔を引いた。
テトラの顔が見られなかった。長い髪が前に垂れているので、多分テトラもこっちを見ていないんだと思う。
「あの……」
喋ろうとした俺の顔を、ぐいっと横に向けさせる。悪魔の力に抵抗できる訳なく、俺はそのままの体勢で少し笑った。
「結構照れ屋ですよね」
「うっさい。何も言わないで」
テトラは俺の顔を押しのけたままソファーから立ち上がった。
「もう寝るわ」
ギリギリまで顔を見られないようにして手を離す。俺が正面を向いた時には、既にテトラの背中しか見えなかった。
そんなに今、顔見られたくないのか。俺から逃げるテトラなんて想像もしなかった。
「おやすみ、ユキヒラ」
「おやすみなさい」
テトラは殆ど俺を見ることなく出て行った。どんだけ照れているんだよと思ったが俺も多分顔は赤くて、動揺を出さないことに必死だったので人の事は言えない。
人?いや、悪魔か。
※
後日理事長選出がありヘイゼルは無事に理事長に当選した。
理事長派からの嫌がらせがあるかと懸念していたがそんな事はなく、病院の体質改善に取り組めている。
実際の理事長一派は極少数で実際は不満を多く持っているものがほとんどだった。権力と工作だけで半分まで票を集めたのは逆に凄い事だけど。
数件しか居なかった弁当屋も徐々に参入し、職員食堂の負担も減ったとか減らないとか。手が足らないのは何処の世界も難しい問題だな。
「ほら、次は精神病棟よ」
今日も配達に来た俺たちは、次の病棟へ向かう。
「今でも一番行きたくない場所ですね」
「文句言ってないで台車に乗せて」
ご主人の命令により保温弁当を優しく乗せる。一つが重いので、十数個持つ作業が意外としんどい。
「少し手伝って欲しいなー、なんて……」
「それはユキヒラの仕事でしょ」
最近優しいからと思ったがそれはそれ、これはこれのようだ。もう慣れたけど。
俺に尻尾があったら今どんな風に動くのかなぁとか思いながら、先導するテトラについて行く。人間界に戻れるのはまだまだ先になりそうだ。
今日も今日とて、下僕の労働は理不尽の連続だ。
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