第45話「じゃあね、ユキヒラ」

 道は何度も分かれていて、俺は頭の中でマッピングしながら進んでいた。行き止まりだったり道が狭くなって通れなくなっている場所もあった。あいつ本当に適当に作りやがったな。

 ギリギリの狭い道だ、転んで少しでも毒に触れれば即アウト。カルダですら腕が腐食していたのに人間の俺はひとたまりもないだろう。

 と言うかこの毒霧を掻き消すカルダは何者なんだ。あいつもかなりヤバい悪魔なんじゃないのか。

「テトラさん!」

 叫んでみるが、反応はない。外から見た感じではそれほどこの霧は広がっている訳じゃないので、しらみつぶしに探してもすぐ見つかるはずなんだが。

 再び分かれ道が立ちはだかる。

 カルダは数分は開けられると言っていた。猶予はほとんどない。俺は地割れを起こしている地面が気になり、右に曲がった。

 少し走ると地面に何かがある。そのだと分かった時、内臓を絞られた気分になった。

 足取りが重くなる。時間がゆっくりに感じる。目の前の光景から背ける様に細めてしまう。思い切って、目を開いた。

 目下に横たわっているか弱い女性は血だらけで、惨い姿だった。

 こんな姿になってしまう彼女を想像できなかった。いつもの負けん気、高飛車な様子などどこにもない。弱弱しく地に伏せ、顔に生気がまるでない。

「テトラさん」

 俺は彼女の名前を呼び、体を揺らす。

 反応がない。

「起きて下さい」

 朝に言ういつもの台詞。こいつはとにかく寝起きが悪い。

 いつもならこの辺で、もぞもぞと動き出す。

「……………………」

 テトラは微動だにしなかった。

 殆ど服を着ていない様な状態だ。

 自然と胸に目が行った。

 肺は動いていない。

 呼吸をしていないんだ。

「そんなに肌露出させて、今度こそ襲っちゃいますよ。起きて下さい」

 こんなにあっさり死ぬのかよ。

 散々振り回しといて、別れの挨拶もなしか。

 せめて最後に一言いいたかった。

 震える手で彼女の肩に触れた。

 まだ、温かい。

「……うっさい。そんな、勇気、ないくせに」

 掠れる声がした。間違いなく目の前の女性から。

 俺はぼやけていた視界を袖で拭う。

 永遠に眠っていたはずのテトラと眼が合った。

「あんた、なんで、ここにいんの」

 テトラは目だけで周りを見渡し、迫ってきている毒霧を見る。

「よ、良かった……俺もう死んだかと思って……」

「逃げて、死ぬわよ」

 テトラは喋るのもままならないらしく、途切れながら要点だけを言う。

「ほっといたらテトラさんが死んじゃうでしょう。この周りの毒、消せないんですか?」

 この魔法のことを俺が知っている事に驚いたのだろう。テトラは閉じかけている目を少し開き、無言で首を振った。

「じゃあ、こうするしかないですね」

 俺は脱力しきったテトラの腕を引っ張り、落とさないよう注意しながら背負う。宿屋で抱えた時より、軽くなっている気がした。

 テトラは少し嫌がる素振りを見せたが、俺の腕を振り払う力すら残っていないみたいだった。

「嫌、降ろして」

 せめてもの抵抗に小言を囁く。

「いや、降ろしません」

 掴まっている力がほとんどないので、しっかり支えてないと落ちてしまう。走る事は難しかった。テトラの右腕をマフラーのように首へ巻き付け、少しでも上半身を固定する。

 細い体の中で一番柔らかい部分が俺の背中へ押しつけられる。

「おっぱいってこんなに柔らかいんですね」

「……バカ」

 いつもだったら殺すわよと続くのだろうが、何も言わない。

「ごめん」

 テトラが突然の謝罪をする。一瞬何の事か分からなかったが、この状況の事だろうか。

「これ」

 テトラの右腕が俺の首から離れ、手首を見せてきた。テトラが俺に確認してほしかったのは、ボロボロになったブレスレッド。俺があげた時とは似ても似つかず、今にも千切れて右腕から落ちてしまいそうな程劣化していた。

「また買いに行きましょう」

 テトラは少し黙ってから俺の背中へ顔を埋める。少しくすぐったかった。

 既に屈んで歩く程に狭まった道を、俺は這うように歩いた。

 テトラの蚊にも負けそうな声が、耳にかろうじて届く。

「何かを貰ったの、生まれて、初めてだったの。本当に、嬉しかった」

 途切れ途切れの消えそうな言葉を、俺は注意深く聞き取った。

「あんたや、ついでに、ザラメも、感謝してたわ。楽しかった」

「よくわかんないですけど、死ぬ前の台詞みたいなの止めてくれませんか」

 既に四つん這いでも進むのがキツい状態だ

 もうすぐだ、もうすぐで出口なのに。

 もう目の前なのに。

 くそ、ここまで来たのに。

 多分、間に合わない。

「じゃあね、ユキヒラ」

「――ぅわっ!?」

 俺の体が宙に浮き毒霧の外まで吹き飛ばされる。地面と体が摩擦した後、痛みを忘れてテトラを確認した。

 テトラは最後の力を振り絞り、俺を外へ押し出したらしい。さっきまで喋っていたのが嘘の様に、伏したままピクリとも動かない。

「テトラさん!」

 毒霧の入り口が閉まっていく。

 テトラがどんどん見えなくなっていく。

 その時、高くて鋭い、指を鳴らす音がした。

 爆炎が一瞬だけ見えたと思うと、再びテトラの姿がはっきり見える。人一人分の通路が再び形成されていた。

 その穴は、見る見るうちに入口は狭くなっていく。

「急げ」

 俺は声に背中を押され、空回りするタイヤの様な手足を使って飛び込む。背負っている暇はない、テトラを肩に担いで全力で駆け抜けた。

 俺とテトラが毒霧を抜けた瞬間に入口は閉じた。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 俺はテトラを担いだまま、霧の中へ出ることができた。

 右足が冷たいと思って見てみると、靴の底の部分が溶けてなくなり、踵が顔を出していた。後コンマゼロ秒遅かったら……息を整える事を忘れてゾッとする。

 突然甲高い拍手が鳴り響き、さらに癪に障る声が俺を我に返した。

「あははは。のめり込んでつい手が出てしまった。素晴らしい、舞台化決定」

 カルダは何故か仰向けになったまま拍手をしていた。

「あの、なんで倒れてるんですか?」

「そりゃ疲れたからさ。さすがの僕も、魔王の魔法をかき消すのは骨が折れる」

 思えばこいつは間近までついてきそうなものだったが、来なかったのではなく余裕がなくて来れなかったのか。

 俺は一緒になって倒れていたテトラの様子を見る。反応はないが、今度は胸が動いているので、単純に気絶しているらしい。

 でも安心はできない。さっきまで死にかけていたんだから。


       ※


 カルダに圧倒されていた警備課の悪魔が急いで寄ってきた。

「テトラさんを、お願いします」

 そして俺も限界だった。テトラを警備課に引き渡し、そのまま倒れ込む。完全に体中の力が抜け、精神的なストレスが俺の自由をかっさらっていく。

 俺はカルダと同じような恰好で大の字になった。いつの間にか雨は止んでいた。日の光が遠くから差している。

 カルダは少し離れた所から俺の名前を呼んだ。

「もどかしくて咄嗟に手を出してしまった。僕はハッピーエンドが好きなんだ。また面白い物を見せてくれ、ユキヒラ。君がお気に入りになった」

「助けてくれてありがとうございました。でも俺はあなたが嫌いです」

「なるほど、相思相愛だねぇ」

 うるせぇ。気色悪い。

 とにかく、テトラは救い出せた。ひと段落と言う事にしよう。

 ……と思ったが、一つ忘れている事に気が付く。テトラの安否と同じくらい重要な事だ。

 ステビアが居ない。

 テトラと共に残ってくれたステビア。テトラがこの毒の中に居たと言う事は彼女も? しかしヘイゼルは何も言っていなかった。もしいるならカルダだって何か反応を示したはずだ。

「後で確かめないと……」

 すぐにでも動きたいが、今は体が言うことを聞かない。数分だけ休んだら即出発しよう。

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