第44話 やっぱり、コイツは悪魔だ。
「ユキヒラ、そろそろ速度を落とすことをお薦めするよ」
カルダに言われて我に返る。いつの間にか草むらがなくなり荒野が見えていた。ここは草原だったはずで、こんな景色は知らない。
一瞬道を間違えたかと思ったが一本道を間違えるはずもない。来る時とは天候も変わり、小雨が降っている。
俺とテトラが別れた現場まで近づくと、複数の悪魔が一定の土地の周りを陣取っているのが見えた。
全員が白と基調とした赤いラインが入った服を着ており、守衛に居たステビアの仕事着と一緒なので、恐らく警備課のものだろう。
向こうもこちらに気付いたのでゆっくりと停車する。俺もカルダも降りてその悪魔達へ近づいた。
「人間……例の弁当屋か?」
雨で濡れている警備課の悪魔は、俺が何者か察しているようだ。ヘイゼルが連絡しておいてくれたのだろう、説明の手間が省けた。
「そうです。あの、テトラさんは?」
「恐らくはこの中だろう。触れただけで死ぬ毒の霧だ」
この中、と警備員が指した先は紫色の濃霧で囲われており、数メートル先が見えないくらい闇が濃い。空間を支配する絶対的な壁を前に、俺は一歩後ずさる。
「ごほっ、げほっ」
突然、粉を吸い込んだような感覚に襲われた。咽ると同時に目や皮膚がピリピリしてくるのを感じる。
カルダが俺をひょいと持ち上げ、濃霧から更に後ろに遠ざけた。
「少し離れた方がいいね。人間にはこの距離でも少々キツいよ、アスタロトの猛毒は」
「アスタロトだと?」
カルダの発言に、警備課が揃って声をあげ騒めく。
「僕はかつて実物を見た事がある。この毒霧は忘れられるじゃないよ」
「ノーウォークの仕業、ですか?」
「まさか。君の主だろうね、猛毒の魔王アスタロトは。僕の腕を折るくらいの実力を持っていたし」
「猛毒の……」
魔王、なんて言われてもよく分からない。理解が追い付かない。
俺が混乱していると、カルダは毒霧に近づいて手を伸ばした。慌てて警備課が止めに入る。
「あんた何してる、我々の装備でも歯が立たないんだぞ」
その制止を全く聞かず、カルダは左手を濃い紫にかざす。そのまま霧の中に手を入れると、軟体動物が磨り潰されるような不快な音がした。
「熱い。これは間違いないよ」
カルダの左手は溶け始め、腕の方まで毒が浸食して来ていた。他人毎の様にそれを観察すると、その侵食している自身の腕に向かってシャボン玉を揺らすくらいの息を吹きかける。
火炎放射器めいた勢いの炎がカルダの口から出て、周囲を明るく照らし雨すらも蒸発させた。炎に包まれた後のカルダの腕はいつの間にか完治していた。
「消毒は有効みたいだね。希望はあるよユキヒラ」
「貴様は何者だ」
警備課はカルダに対し、身を構えた。
得体のしれない巨大な怪物に遭遇したように警備課の悪魔達は沈黙する。俺もこいつの底なしの異常性には飽きる事がない。
カルダは警備課が存在していないかのように振る舞う。
「ユキヒラ。この中へ探しに行くかい?」
「できるんですか?」
この近づくだけで気分が悪くなる霧の中に、入っていく術があるとは思えない。
「僕が魔法を使って数分の間は通り道が作れるよ。僕は、ここで見守ってるから」
毒を無効化した今のカルダの炎、こいつの言っている事は確かに可能かもしれない。それができるなら断る理由なんてないけど、一つ疑問がある。
「何で俺なんですか? 警備課の方とか、カルダさんが行った方が確実なのに」
カルダは首を振って肩をすくめる。
「君が一人で、この危険の中、大事な者を救いに行く。それが今ここで一番輝く葛藤じゃないか。僕はその光景が見たいんだよ」
……やっぱり、こいつは悪魔だ。
興味本位で付いて来た、くらいに思っていたがこうなることを見越していたのだろう。俺が悩み、抗うシーンを見たいだけのクソみたいな変態野郎だ。
「ほら、早速ここで借りを返してよ」
カルダは俺の肩を掴んだ。ワクワクしながら、純粋な目でこっちを見ている。今はこいつが死神にしか見えない。
もしかしたら途中でわざと魔法を解除して、中で殺されるかもしれない。それでも俺は、テトラを助けに行くしかない。この状況でテトラを救えるのは俺だけだ。
「道を作ってください」
「それでこそユキヒラだ。素晴らしいよ、皆拍手」
カルダは一人で拍手して、高らかに笑う。俺がコイツを狂っていると思うのはおかしい事ではないらしく、警備課の連中もニュースで残酷な事件を見たような反応をしている。
「じゃ、早速」
カルダが指を弾くと蛇のような獄炎が目の前に現れた。その真っ赤な蛇は毒霧を食い進み、人が一人通れるくらいの道が出来る。
「道が狭いのは意地悪じゃないよ。さすがの僕も正確な場所が分からない以上、これくらいの道を何本か作るのが限界さ」
眼をキラキラさせながらカルダは言う。
「いってらっしゃい、ユキヒラ」
カルダは俺にウィンクをして、口動かすように指をパタパタさせる。
俺は額に垂れてくる雨を拭い、毒霧に空いた炎のトンネルへ足を踏み入れた。
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