第40話 ……しまった。



 死ぬほど急いだ。

 急がないとマジで死ぬから。

 人生において出したことのない超スピードで駆け抜けた俺は、予定より十五分も早く着く事が出来た。

 幸いにも悪魔が追ってくる事はなかった。もしかしたら現在進行形で来ているのかもしれないが、病院にたどり着いたらこっちのものだ。

 向こうは結構な数だったけど、テトラとステビアは大丈夫だろうか。

 俺が子供病棟の前に車を止めるとヘイゼルが出迎えてくれた。俺は窓を開け、ヘイゼルに軽く会釈する。どうやら点滴はもう外れているようだ。

「お疲れ様です、ユキヒラさん。あれ、お一人……そっか、成程」

 俺が説明をする前に、皆まで言わずともヘイゼルは察した。すぐに小型の連絡装置を取り出し二人の救援を要請する。

 さすが、こちらが頼むまでもなかった。

「テトラさんが心配かもしれませんけど……ステビアも居ます。今はこちらに集中しましょう。緊急事態ですので、私、手伝いますね」

「ありがたいです。勝負する場所は何処ですか?」

「職員食堂前の広場で同時に売り出します。乗っても?」

 ヘイゼルが隣の席を見て言う。俺は無言で頷いた。

 ヘイゼルは小走りで回り込み、ぎこちない動作で車へ乗り込んだ。俺は指示通りに車を進める。

 少し進むと広場が見えた。花壇や芝生が生い茂り、真ん中には小さな噴水が設置されている。ちょっとした飲食スペースやベンチも備えられていて、無機質な建物に囲まれた憩いのスペースとなっていた。

「ここです。あの辺りに停めて下さい」

 広場の中に車は入れないので、その手前、通行の邪魔にならない程度に端へ停める。

 ついに到着してしまった……。正直テトラがいないのは心細いし「テトラ弁当」の看板を背負っていると思うと気が滅入る。

 ヘイゼルが用意してくれた販売用の机などを借り、売り場を設営する。とても簡易な物で長机一つと日よけの大きい傘だけだ。

 俺達の隣りで職員食堂も同時に売り始める事になっているらしい。この日の為に大きく宣伝したらしく、至るところに看板やポスターが貼ってあった。

「こんなもんか」

 設営はヘイゼルもいたのですぐに終った。すぐ近くに車もあるので、見かけは移動販売のそれだ。

 ヘイゼルは俺の顔を覗き込んできた。

「ちなみに今日のお弁当はどんなものか、拝見しても?」

「どうぞ。自信ありますよ」

 すぐ後ろにある弁当が敷き詰められた大きな箱を手で示す。試食用に元々余分に入っているし、一つくらい開けてもいいだろう。

「やぁ大将。よく逃げずに来たねぇ」

 弁当箱に触れようとした時、後ろから声をかけられた。この独特な喋り方と雰囲気は忘れることができない。

 振り向くとボサボサの長髪を見せつけている悪魔が居た。料理長だ、肩に大きめの箱を乗せている。恐らく弁当が入っているのだろう。

 隣にはギャル悪魔、リアンが箱を担いで歩いている。リアンは俺を見つけると眠そうな顔でウィンクをした。

「おっひさ~」

 俺は軽い挨拶を職員食堂組へ返す。ヘイゼルも事務的に口角を上げて出迎えていた。

 ゆっくりと、だが雑に床へ箱を置き、料理長とリアンの二人は設営を開始した。俺達の場所とは一メートルも離れていない。

「あの、ありがとうございました」

 俺は料理長へ頭を下げる。保温弁当箱を作るきっかけを与えてくれたことに対しての礼だ。がちゃがちゃと手を動かしながら、料理長は無言で手を挙げる。礼には及ばない、って所だろうか。

「アニキ、元気だった?」

 リアンは何気なく聞く。アニキ、とは紛れもなくカルダの事だ。クソみたいなやつでした。とは口に出せない。

「元気でしたよ。火事が起きるくらいに」

「また何かやらかした? あいつ変態だから。ご愛敬だよ。あは」

 人の闇を覗く変態性や同胞を殺してしまう愛嬌があってたまるか。

「あの偉そうなのが見当たらないねぇ。余裕ぶっこいてサボりかい?」

 料理長は頭を掻きながら俺を睨んだ。

「いや、それは……」

「理事長派の妨害ですよ。今回の弁当対決の開催、実はついさっきまで危うかったんです」

 なんと説明してよいか口籠る俺に、ヘイゼルが助け舟を出してくれた。

 料理長は眉をピクっと動かし、俺の三倍くらいの肺活量で息を吐く。尻尾の不機嫌さから見て恐らくそれは溜息だった。

「しつこいねぇ。組織の頭としての矜持を忘れたようだね、アイツも」

 悲しそうに首を振る。それは心底幻滅しているように見えた。口ぶりからして料理長は理事長と知り合いなのかもしれない。

 いつの間にか向こうの設営も負わり勝負まであと五分もない時間となった。これだけギリギリに来たんだ、向こうの弁当はほぼ出来立てと考えていいだろう。

 売り出すのは、午前十一時から午後一時までの二時間。売り上げは大事だが単純に多く売れた方が勝ちではなく、買ってくれるお客さんに双方を試食をしてもらって、どちらの弁当が好評か投票してもらう。

 売れた数も、投票数も、同じく一票とするので最大で四百の票を競う事になる。売り上げだけじゃないのは、希望があるぞ。

「ユキヒラさん、そろそろ出しましょうか。いくつにしま……わぁ、これはまた豪華ですね」

 ヘイゼルが容器を開けて弁当箱を初めて目にする。そう言えば料理長の挨拶に中断されて見せていなかったな。

 最初は赤い容器で大丈夫だろうかと思ったがこうしてみるとインパクトがあって悪くない。所々に見られる黒い模様と金色のアクセントが高級感を醸し出している。

「ありゃ、ボスー、これ敵に塩を送りすぎちゃったんじゃない?」

「何言ってんだい、弁当は中身が肝だろう。それにいいのかその弁当箱、一つ忘れてないかい」

 一応感心してくれる二人だったが、料理長が疑問を呈した。

「何がですか?」

「どう見ても使い捨てじゃないねぇ。職員なら回収できるけど、今日売るのは一般客だよ」

「あっ」

 ……しまった。

 我ながら阿呆すぎる、こんな簡単な盲点を。勝負は今回に限ってだから、一般客に売る事を完全に忘れていた。

「ヘイ、ヘイゼルさn、ごめ、あ、すいまsねn」

「ユキヒラさん落ち着いてください。売り上げだけじゃないですから、大丈夫です、希望はまだまだありますよっ」

 ヘイゼルは両手を控えめに前に出し『ぐっ』とガッツポーズをしてくれた。ヘイゼルに気を使わせるくらい俺は狼狽してしまう。

 しかし希望があるとしても、値段が高い上に容器を戻さなきゃいけないとか弁当として不完全すぎる。動揺する俺をなだめながら、ヘイゼルはいそいそと五個弁当を並べた。小銭も揃え売る準備を万端にする。いかん、俺も仕事しなくちゃ。

 程なくして時間が定刻を走り去っていく。

「それでは今からお弁当の販売を開始します。そちらも準備は宜しいですか?」

「あぁ、問題ないね」

 ヘイゼルは料理長の返答に無言で頷き、とうとう双方の弁当の売り出しが始まった。

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