第39話「アスタロト」

※今回三人称です。

※暴力表現があります。


――――――――――――――





 周囲は暗雲が連なり、雨が降ってきそうだった。

 ユキヒラは暗くなっていく空を見上げながら、車の中で震えて待機していた。

 草原の中に一筋だけ走る舗装された道路。長い距離を迂回すれば障害物達を避けて通れそうなものだが、テトラとステビアから離れてしまうのは得策ではないと判断した。

 相手の数は十四、二で割れば七になる。ただし単純な算数ではない。

 ステビアが五体、テトラが九体を相手している。入り乱れているが数はそう分かれていた。ステビアはほぼ互角、テトラに至っては有利に進めている。

 このままではいずれ崩されると思い、ノーウォークの悪魔達は一度距離を取った。

「おいなんだあの人型の女は、聞いてないぞ」

「警備課の課長が居るからってこの人数を仕掛けたのに、押し負けてる。冗談じゃない」

 テトラという思わぬ戦力に予定を狂わされたらしい。凶悪な姿をしている悪魔達は突発井戸端会議をしながら慌てふためいている。

 息切れが治まったテトラとヘイゼルは、最初と同じ距離でノーウォークと対峙した。

「豚、あんた課長だったの?」

 敵の会話は二人まで届いていた。ステビアは太い腕で汗を拭い、攻撃を受けて軽傷を負った左膝を無意識に摩る。

「偉く、強く、美しい悪魔。それが私です。それよりもテトラさん、あなた規格外の強さですね。正直ここまでとは存じておりませんでした」

「偉く、強く、美しい悪魔。それが私よ」

「偉い、を辞書でお引きになる事をお薦め致します」

 ステビアは呆れた笑いと疲労を混ぜ、一つの空気にして吐き出す。

「何故変身なさらないのですか」

 ステビアに促されるがテトラはすぐ答えずに、腕に巻かれたブレスレッドを眺めた。

「……別に。このままでも勝てるでしょ」

「なるほど。訳ありですか」

「うっさいわね。すぐに終ったらつまんないから。それだけよ」

「そう言う事にしておきましょう」

 テトラは大きく舌打ちをした。

「向こうの実力は大体わかったわ。連携も取れてない。ちょっと本気出してユキヒラを行かせるわよ」

「そもそも私は全力でしたが」

「じゃあ百二十パーセント出して」

 テトラはユキヒラの方を向く。両者は目が合うと自然に頷いた。ユキヒラは合図の内容を予想し、ゴクリと喉元を鳴らす。

(多分次が、行くチャンスか……)

 ユキヒラは緊張で手が冷えきり、油汗もかいていた。手が真っ白になる程ハンドルを握る。信仰心など持ち合わせていないが、神に祈ったりもした。こんな時だけ頼るなど逆に罰が当たりそうだな、などと思いながら。

「行くわよ」

 テトラが凄まじいスピードで、まだ混乱している敵陣へ突っ込む。一気に三体の悪魔を蹴散らし、襲い掛かる悪魔を次々に突き飛ばした。ダメージよりも敵を遠くにやることを意識している攻撃だった。

 一帯がユキヒラの車のすぐ横を通り過ぎていき、当たるのではないかと肝を冷やす。テトラの死角に迫る敵をステビアがすかさず守り、倣って目的地とはあらぬ方向へ出来るだけ遠く投げ飛ばした。

 ものの数秒だった。まだ数名の悪魔が残っているにせよ、散り散りになって防壁はこれまでにないくらい薄い。

 チャンスだと思い、テトラはユキヒラの名前を叫んだ。

 車内にまで届く声。初めて聞く彼女の叫び声に足を動かされ、アクセルを思い切り踏む。砂埃を吐いてスタートしたユキヒラはそのまま二人の間を走り抜けていった。

 そして、その背後を守るためにテトラとステビアが立ちはだかる。

「さて、たまには私も良い所見せないとね。あんたは無理しないでいいのよ」

 ユキヒラを見送り、テトラは首の骨を鳴らす。

「お戯れを。警備課の頭として無様な姿はお見せ出来ません」

 それよりも幾分大きな音でステビアは首を鳴らした。

 ノーウォークの悪魔達はユキヒラを目で追いながら、頑強な双璧をどうにかしなくてはと困却するのだった。


       ※


 戦闘が長引くにつれ、ノーウォーク達はテトラとステビアの動きに慣れいく。数が多い分、スタミナの消費が分散され二人の方に疲労は多く蓄積していく。

 特にステビアは脚部の損傷が原因で傷を増やし続けていた。

 相手も相応の傷を負っていて、戦闘不能に持ち込んだ悪魔は六名。二人はステビア、四人はテトラが戦力を奪い、残りは八匹の手負いの悪魔だった。

「そろそろ、悪魔型になられては如何です?」

 ステビアは息を切らしながら、背中を向け合うテトラに提案する。

「何よ。もしかして限界?」

「まさか……と、虚勢を張りたい所ですが」

 ステビアは痛みで左足の動作が鈍くなっていた。

「だらしないわねぇ」

「私の名誉の為に申し上げておきますが、あなたが規格外なだけですよ」

 テトラは渇いた笑いをして見せるが、自信も無傷ではないし息が上がってきている。今ステビアが倒されてしまっては、全員を足止めするのは難しい。

 リーダー格の悪魔が合図する。ステビアへ一斉に攻撃が仕掛けられた。

 テトラの援護があっても一撃、二撃と攻撃は確実にステビアの体を抉っていく。守る事に集中し、敵の刃はテトラにまで及んでいた。

「私はお気になさらず。敵の数を減らすことに集中してください」

 ギリギリの所で攻撃を躱しステビアは言う。

 躱し、守り、攻撃。人では目に負えないスピードで器用に身体を操る。

「足手まといは―――」

 不本意です、ステビアからその台詞は出てこなかった。二人が見落とした打撃が頭部に当たりステビアは気絶してしまった。

 その光景に目を奪われた瞬間、テトラは悪魔に地面へ抑え込まれる。悪魔型八人の全力では、身動きが出来ない。

「そろそろ大人しくなっておけ」

 リーダー格の悪魔は、押さえつけながら拳を振り下ろす。無防備のテトラの腹部に凄まじい一撃がめり込んだ。腹部への衝撃を通り越し、地面に蜘蛛の巣状のヒビが入る。

「ぅ―――」

 テトラは朝食が戻って来るのを感じ、堪える。久々に感じる激痛に、笑う余裕を忘れる。

「化け物だな、死ぬどころか気絶もしない。もう一撃行くぞ」

 再び同じ威力の打撃が腹部に直撃する。

「――かはっ」

 朝食ではなく、鮮血がテトラの口から吹き出した。それを見て押さえつけている悪魔の一人が「ひゅう」と口笛を鳴らす。

 その後何度も何度も同じ部分への攻撃が繰り返された。テトラは最初反撃をしようとしていたがその気力もなくなり、気絶して項垂れる。下が地割れのようになった辺りで、ようやく攻撃が止む。

 抑えていた悪魔達も手を離した。

「なんだったんだコイツは。どこかの用心棒か?」

「何故だか知らんが、悪魔化しなかった事に救われたな」

 テトラを倒した悪魔達は疑問、驚嘆、愚痴をそれぞれ零す。テトラの凄まじい力を抑えていただけで全員が疲弊していた。

「さて」

 気絶したテトラを見て、リーダー格の悪魔が呟く。

「落とし前は体で払ってもらうか」

 捉えられ、もがいた事と、何度も激しい攻撃を受けてテトラの肢体が際どく覗いている。その姿に欲情を隠さない一言を漏らした。

「やめとけって。時間がない」

「じゃあお前らは先に行ってろ。自慢じゃないがすぐ済むさ」

「ちっ。行くぞ」

 リーダー格の悪魔を残し、他の悪魔達は痛む体を引き摺って病院の方角へ向かう。

 テトラの太腿に汚らわしい手が這った。

「そそるね」

 その手が股の間へ行く前に、何者かによって止められる。

「下衆、が」

 意識を取り戻したステビアが女性の手で制止する。彼女はダメージによって悪魔の姿を保つことができなくなり、人型に戻っていた。

 リーダー格の悪魔は目を見開く。

「人型は美人じゃないか。前菜に、たまには反応のあるやつもいいか」

 標的はテトラからステビアに映る。意識が朦朧としているステビアは抵抗も出来ず力のままに押し倒された。

 しかし、反射的に手が止まる。今度は誰が止めた訳じゃなく、生物としての本能だった。

(何かいる……?)

 リーダー格の悪魔は背後に気配を感じるが、恐怖で振り向けない。

 ステビアはリーダー格の悪魔越しにテトラ――と思われる悪魔――を見ていた。そしてステビア自身も、体が震えている事に気が付く。

 テトラの姿は豹変していた。

 全身が紫紺と金色に覆われ、蛇と鎖のキメラの様な無数の触手は悪魔の髪。蒼い肌に紅い瞳、羊型の角が二本頭に生え、妖艶で物騒な爪が心臓の鼓動に合わせてピクピクと動いている。

 テトラの滝の如くに溢れ出る異常な殺意は、強制的な死を誘った。

 ユキヒラを追おうとしていた悪魔達も、遠くから気がついた。耳元で獅子に叫ばれたような悍ましい気配だった。

 悪魔型になったテトラの周りは、大地をどんどん腐食していく。空気も例外ではない。

 その空気を吸い込んだ瞬間、リーダー格の悪魔は地を転げまわり悶絶した。

「……!、、、っ!」

 喉と肺を毒によって腐食され声も出ず、数秒待たずして全身から血を拭き出して憤死した。近くにいたステビアはマズいと感じ、動かない体に鞭を打ってテトラからゆっくり遠ざかる。

 悪魔型になったテトラはギチッと音を立て残りの悪魔達を見た。

 ノーウォークの悪魔達はスナイパーと眼が合った気分だった。数百メートルは離れていたはずのテトラが突如、目の前に現れる。一人の悪魔は頭を掴まれ、悲鳴を上げる事もなく即死した。

 脱力した悪魔を地に投げ捨てる。その悪魔は腐敗したように溶けていく。

 ノーウォークの悪魔達はすべてを忘れて逃げ回る。その逃走には意味がなく、虐殺が待っていた。

 瞬間移動したように各悪魔の元へ歩み寄る。触れるか、息を吹きかけるだけで即効性の毒が全身を死に追いやる。テトラにとっては眼下の蟻を一匹ずつ潰すよりも簡単な作業だ。

 テトラが移動した後の地面や空気は霧の様な猛毒に侵され、誰も近づけない空間が広がっていった。

 最後の一人は死を覚悟し自分の順番を待った。仲間が溶けていくのを確認してテトラを睨みつける。

 そして思考なく名前を呟いた。

 魔界に住む悪魔なら一度は見聞きする、毒を操る大悪魔、かつて魔界を三分した魔王の一人でもあるその名前、

「アスタロト」

 悪魔は目の前に来たテトラを認識した瞬間に、抵抗する事無く果てた。

 テトラはぐちゃぐちゃになっていく最後の悪魔を見届けると、敵がいない事を確認し人型に戻った。

 周囲の花や木は枯れ果て、動物や虫の死体が転がり、空気は淀み腐っている。平和な草原は一瞬にして魔界らしい絵図に様変わりした。

 汚染されたのは周囲だけではなかった。自分の身に着けている物も例外なく腐食している。

 服はほとんど溶け、腕に身に着けていたブレスレッドも形を保てていない。

 テトラはすぐに大量の吐血をし、猛毒の大地に倒れ込む。薄れゆく意識の中でユキヒラの無事を想い、ゆっくりと目を瞑った。

 とうとう降り出してきた雨が周囲を濡らし、晒されるテトラの目から雨粒が数滴垂れた。

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