第36話「あんたの過去。教えてよ」
次の日、カルダが積むのを手伝ってくれたので、弁当箱をすぐに積み終えた。そういえば自然過ぎて気付かなかったが、テトラに折られた腕は既に治っていた。恐ろしい回復力だ。
「そうだ、君の名前は?」
カルダは別れ際にそんなことを聞く。自己紹介は俺達にではなく「俺」だけに求めている。名乗りたくなかったが、仕事はしてもらったし仕方がない。断れる身分でもない。
「ユキヒラです」
「ふぅん。可愛い名前だ。壊れたらいつでも言ってくれ、すぐ新しいの作るよ。あぁそうだ。悪魔病院の食堂と勝負するってお弁当、気が向いたら食べに行くからね」
またウィンク。俺はダイヤモンドより硬度のある苦笑いを返す。
俺は逃げる様に車へ乗り込んだ。ようやくこの悪魔から離れられると思うとほっとする。俺以外の三人はすでに車に乗り込んでいた。
テトラは窓を開け、怠そうにカルダへ口を開く。
「弁当箱の支払いは悪魔病院のヘイゼルね」
「あぁ。それより、僕の可愛い陶器達を大事に扱ってね。ノーウォークなんかに破壊されないように」
カルダの言葉が俺にも届く。テトラは適当な返事をして、虫を振り払うように手を振る。
俺はそれを合図にアクセルを踏んだ。
職人の街がどんどん遠ざかり、小さくなっていく。それが何だか自分の装備をはぎ足られていくみたいで、急に防御力が無くなってしまった不安を覚える。
こうやって外に出てみると、いつ襲われてもおかしくないと状況だと気付き、例の組織が気になってくる。ノーウォークね……漸く実感とやらが沸いて来たらしい。
俺は見晴らしのいい景色の隅から隅まで確認し、少しだけスピードを上げた。カルダはもう見えなくなっていた。
温泉街まで何もなく、俺達はここでもう一泊した。放火犯の事を自警団にバラしてやろうかと思ったが、職員食堂との勝負に勝った後の事を考えたらやめておいた方がいいと結論に至る。
もう滅多にお目にかかれないだろうと思い、お土産や珍しい食材を少し買った。そしてとくに思い残すこともなく温泉街を出た。
既に数時間は走り、もう少しで「テトラ弁当」まで帰れると言う所だ。カルダに別れを告げてから車で寝る事のなかったザラメも、慣れたのか今はぐっすり眠っている。クルミはザラメの膝枕で眠っていた。
帰りではテトラが車内で寝る事はなかった。警戒している雰囲気ではないが、今もしっかりと目を開いている。
「何だかんだ、ちゃんと見張りしてくれてるんですね」
テトラは「別に」と言って尻尾を揺らす。
それが照れ隠しなのか分からないが、起きていてくれる事は心強い。俺なんかよりよっぽど野性染みている、もとい五感が鋭いので異変はすぐに気づく。
「ねぇ、眠くならないように話して」
俺が封を切ったからか、テトラは会話を続けた。
「いきなりですね。じゃあ……カレーパンはよく考えたらかなりイカれてる料理って話でもしましょうか」
「あんたの過去の話が聞きたいわ」
今日の夕飯の話でもするような雰囲気で、突如ぶっこんできた。毒殺、の事か。
ずっと気になっていた事なのだろう。ちょっと思い出した、って雰囲気でもない。
「言いたくなかったら、言わないでいいわ」
やけに気を使うな。このまま喋ってしまうのも癪だ。なら、俺もずっとモヤモヤしている事を交換条件にしてしまおう。
「俺にキスしたのは、勢いですか? それを教えてください。そしたら教えます」
「は? 何様よ」
確かに。下僕如きが主人に交換条件を出すなどどうかしている。ここ数日で前よりも更に打ち解けた感じがしてしまって本来の身分を忘れていた。魔界ではこれが命取りなのに。
テトラは黙殺を決めた後、舌打ちした。
「わかったわ。教えてあげる」
テトラは真剣な顔をしてこっちを見た。
「ユキヒラ――」
「あ、待ってください。ちょっといいですか」
「……何よ」
俺は表面上クールに見せているが、さっきから車が大きく振動する度に悶絶しそうになっていた。
「小便が漏れそうなんで、一旦停めます」
真剣な雰囲気が音を立てて崩れた。
別にワザとじゃない、実はテトラが話し出す直前に、トイレに行こうと思っていた。タイミングが悪すぎたのだ。そしてこの大事な話は、絶対にすぐ終わらない。言い出すなら今しかなかった。
テトラは当たっていた宝くじが、実はハズレだったような顔をする。
「あとちょっとで着くでしょ。我慢しなさいよ。大体あんた、今私が大事な事……」
「いや、一時間はありますよ。自分の下僕が粗相する所見たいですか?」
「ちっ。わかったわよ。さっさとしてきて」
今日一番大きな溜息を吐く。俺はそれ以上悪態をつかれる前にさっさと降りた。
「覗かないで下さいね」
「殺すわよ」
テトラは珍しくちょっと赤面した。意外と純情だな、こいつ。
俺は丁度いい叢に隠れて用を足す。水圧でバサバサと草が悲鳴を上げ、土はジョボと下品な声をあげる。跳ね返りが怖いのでちょっと腰を前に出した。
我慢していたせいか全然止まらない。全部で一リットルは出そうな気がする。そうすると細かい比重はさておき、体重が一キロは軽くなった事になるな。と、死ぬ程どうでもいい事を思いついてしまうのは小便している間の余暇のせいだ。
終わったのでチャックを閉めていると遠くから車が走ってくる音が聞こえた。恐らくかなり大きい車だ。俺は音のする方角を見る。
この短い旅でも車には何度かすれ違ったが、一番デカい。何かの貨物車だろうか。
方向は温泉街の方からだ。つまり俺達の後ろを走って来たらしい。
テトラ達が乗っている車へどんどん近づく。あと数百メートルという時に、その大型車は速度を上げた。普通は避けるために速度を下げるもんじゃないか?
嫌な予感がした。
後方の車の勢いは止まらず、どうやら避ける様子もない。
頭に『ノーウォーク』の単語が過る。
あの大型車は、このまま俺達の車にぶつかる気だ。
俺はテトラに知らせるため、急いで車に向かって走った。
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