第33話「私にとってはどうでもいいわ」

「あんた、何言ってんの?」

 テトラはカルダの質問の意味が解らず、冷笑を含んで返答する。まともに取り合っていない。

「僕は今まで大勢の人間に会って来たから、知ってるんだ。魔界に来る人間は同胞を殺したか、もしくは殺された者がたどり着く世界なんだよ。君も、例外じゃないだろう?」

 俺は床を見つめていた。

 今思えば、何の事かと白を切れば良かったのにそんな余裕もなかった。殺したか、殺されたか。そうなんだ。それなら、俺は魔界に来る資格があった訳だ。

 眩暈がする。

「ねぇ、ユキ――」

 テトラが振り向こうとしたことが分かったので、俺は慌てて肩を押し、顔を隠した。

「今、こっちを見ないで下さい」

 テトラの肩を掴んだことで自分の手が震えている事が分かった。テトラは何も言わず、こちらを振り向くことを止める。

「そう言う反応だ。悪魔は絶望しても、何処か肝が据わっていて、つまらないんだよ。芸術作品が人にしか作れない所以だ。できれば、顔を見せてくれないかな」

 俺に手を伸ばそうとしたカルダの手は、テトラによって遮られた。

「私の下僕って言ったわよね。これ以上は私に喧嘩を売る事になるわよ」

「人間の下僕を飼うってことは、君にも歪んだものがあるだろ? 仲良く分け合おうよ。貴重な動物なんだし」

 ベキ、と言う音がした。

 テトラが掴んでいるカルダの腕が折れ、軟体動物のように重力に従う。

「その喧嘩、買ったわ」

 人間の俺でもビリビリした感覚が肌をなぞる。これは放っておくと手が付けられなくなる。俺やザラメ、クルミまで危ない。ビビっている場合じゃない。

「僕は仲良くしようって言ったんだけどなぁ」

 カルダは腕が折れているのにほとんど動揺しておらず、いたいなぁ、とボソっと台詞を吐く。俺は急いでテトラの横に出て、掴んでいる腕に手を添えた。

「テトラさん、もう大丈夫です。すいません」

 見慣れた俺でも竦んでしまう程の嚇怒。テトラとこの悪魔は壊滅的に話が合わない、サシで語らせたらダメだった。

 テトラは俺を見て、カルダの腕を振り払う。カルダは反動で後ろに数歩後退し、倒れるかと思ったら体制を持ち直した。一々行動が嘘臭くてピエロのようなやつだ。

「僕は結構強いよ」

「上等ね」

「テトラさんストップです、殺したら弁当箱が作れません。せめて弁当箱を作ってもらってから殺しましょう」

 じりじりと二人の距離が縮まっていたが、俺のこの一言でテトラの足が止まる。

「あんたにしては面白いこと言うわね。一理あるわ」

 カルダは折れてない方の手で服をパタパタと仰いでる。ふぅ、と溜息を吐いた。

「僕は殺されないけどね」

 テトラは未だに尻尾がぐねぐねしているが、爆発はとりあえず防いだ。カルダを睨み、腕を組んだままコキと首をならす。本気でやり合うつもりはなかったかもしれないが、誰かが止めなければ体裁が保てなかったのだと、信じたい。

 そういえばと確認すると、ザラメはクルミに覆いかぶさったままプルプルと震えていた。テトラの戦闘に備えての行動だろう。でも態勢はきっと逆の方が良い。

 俺は一呼吸置く。

 逃げてはいけないのに、考えないようにしていたことがある。

 その狡い生き方は、いつも心を苦しくしていた。

 罪に向き合う。潮時だ。

「あの」

 俺に呼ばれると思っていなかったのか、カルダは不意を突かれた顔をする。

「俺は、加害者です」

 殺したか殺してないかの質問に対し、加害者と言えば後は分かる。殺した、とはどうしても口にしたくなかった。

 カルダは突然拍手を始めた。

「絶望や葛藤から逃げたいと思いつつ、それでも立ち向かおうとする姿、まるで舞台を見ている様だ。それで、殺した方法は?」

 こいつ……どこまでも悪魔だ。種族の話じゃない。人間の言う本当の悪魔だ。虫唾が走る。

 真実をそのまま伝えようとしたが、どう説明したらいいか迷ってしまう。どうせなら確実に仕事を請け負ってもらえるよう、多少こいつ好みの言い方にした方が適切かもしれない。

「毒殺です」

 嘘、ではない。大分誇張しているけど。俺は胃が絞られる気分だった。カルダは悦に入った表情をしている。テトラから息を飲む音が聞こえた。

「毒殺かぁ。人は見かけによらないね。うん、面白い。何より君の表情から葛藤が垣間見えて素晴らしかった。合格」

 全く嬉しくない拍手が鳴りやまない。ぐちゃぐちゃとした気持ちで、舌打ちしてしまいそうだった。

「……それで、請け負ってくれますか?」

 拍手を早く終わらせたくて、俺から質問してしまう。

「あぁ、勿論。ご要望を聞かせてくれ」

 俺は頭の中に入っている設計図を思い出し、詳細に伝えた。それを脳内に手記しているのだろう目を瞑ったまま空中に何かをなぞっている。抽象画家が絵を描く前はこんな風なのかもしれない。

「そうだな、二時間後くらいにまた来てよ」

「に、二時間? そんな短時間で?」

「魔法で作るんだよ。そんなものさ」

 カルダは手をひらひらとさせ何事もなかった様に店の奥へ消えて行った。

 腕が折れているのに本当に作れるんだろうか。魔法で何かを錬成する所を見た事がないから不安しかない。

 これで一応話はまとまった。が、俺はテトラ達へ振り向けないままでいた。


 観光には向かない町で二時間も潰すのは容易な事じゃなかった。町に一軒だけあった宿を予約し、後はダラダラと部屋の中で過ごした。会話が弾まなかったのは俺の毒殺発言のせいだろう。

 クルミは温泉街での残りを貪り食っていたが、ザラメはずっとそわそわしているし、テトラも口数は少ない。連日こんな事ばっかりだな。

 数日にも感じる二時間が過ぎていった。俺は身支度をするのに立ち上がった。

「あ、あのっ」

 ザラメが俺を呼び止める。しかし、目線は定まってない。俺は何を言われるかと緊張してしまい、次の言葉を誘導する事も出来ない。

 しばらくして、ふぅ、とザラメは息を吐く。それは熱い物をゆっくり冷ますような短い吐息だった。

「ユキヒラ君が殺した人間って言うのは、女性?男性?」

「は?」

 俺は言ってから飽きっぱなしの口を押える。俺の殺人経験など不問で、飛び越えた事を聞いて来た。とはいえこの状況で答えないわけにもいかない。

「男の子、です」

 俺は魔界に来る前、何も知らない無垢な可能性を摘んでしまった。

 ザラメは俺を見つめる。嘘を吐いていないか確かめるように。

 テトラは寝転がったまま天井を見つめていた。

「そっか。ご、ごめんね引き留めて」

 失いかけていた眼の色が戻る。

 また、一番を取られたんじゃないか、とでも思ったのだろう。狂気的ではあるけどここまでブレないのは正直羨ましい。

 俺は特に何も言ってこない悪魔達の価値観に、複雑な気分になっていた。なぜだかわからない。責めてほしかったのかもしれない。

 あのカルダが言ったように、人間は悪魔みたく据わっていない。常に心は遊歩する。

 俺は重い足取りで御手洗いに向かった。

 昨日の宿とは違って、あまり良い印象を受けない個室だった。

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