第18話 もうこの際、地獄に落ちるなら一番深い所に落ちてやるさ。

 辺りが暗くなる時刻、俺とテトラは自分たちの住処へ帰り着いた。一日中歩き回って肩も足もクタクタだ。

「先にお風呂入れてくれる?」

 テトラは着替えるため、その捨て台詞を残して部屋に戻る。このままソファーに倒れ込めないのが辛い所だ。忘れかけていた自分の身分を思い出す。諸々の荷物を置き棒になった足に鞭を打って風呂場へ。こりゃ明日は筋肉痛間違いなしだ。

「あれ……」

 風呂場の照明が付いている。いつも俺が最後に入るので、昨日は間違いなく消したはずだ。近づいてみると何者かの気配がした。

 え、空き巣? 風呂場に?

 これはテトラに報告しに行くべきか。

 とりあえず俺は静かにドアの隙間を開け、恐る恐る中を覗いてみた。

「…………」

 口をいっぱいに膨らませたクルミが居た。

 全身に入っていた力が一気に抜ける。疲労している体には追い打ちの様な緊張だった。

「何してるんですか、こんな所で」

 扉を開けるとクルミは大きな隕石でも見た顔をして驚く。そして手元にささっと何かを隠し、何も言わないまま顔をふるふると左右に動かした。

 つまみ食いか……。

「夕飯、待てなかったんですね」

 クルミの昼食は用意して行ったけど、足りなかったみたいだ。

 つまみ食いはテトラにこっぴどく叱られる。大方、我慢できずにつまみ食いを始めた時、運悪く俺達が帰ってきてとりあえず風呂場に逃げ込んだ、そんな感じだろう。

 ごくん、と大きな音が聞こえる。

「ごめん」

「俺は良いんだけど、テトラさんにはちゃんと謝ってくださいね」

 クルミはしゃがんだまま、俺の袖をくいっと掴む。珍しくちょっと泣きそうな顔だ。

「いっしょに」

「え? 一緒に?」

「あやまるんだ」

「い、良いですけど」

 その言い方だと俺が駄々こねて諭されてるみたいだな。クルミは俺の許可が下りると、ほっとしたのか隠していた食べ物を食べ出した。こいつ全然反省してねぇ。

「ちなみにクルミさんの夕飯は暖かい釜めし弁当ですよ。お腹いっぱいにしないでくださいね」

 クルミは口に色々と突っ込みながら頷く。

「あと、風呂洗いたいんで出てくれます?」

 クルミは元気にうなずくと、まだ手を付けていないパンを持って俺と場所を入れ変わる。さすがに食べながら謝るのは愚行だとわかっているのだろう、脱衣所で俺の事を観察しながら、残りのパンを食らいつくすつもりらしい。



 何だかんだ時間は過ぎ、クルミはこっぴどく怒られ俺もとばっちりを受けた。理不尽だ。

 その後、三人で朝食と同じようにテーブルを囲んでいた。普通の晩飯に加えてクルミの前には釜めし弁当が置いてある。俺はそれを資料に、テトラへプレゼンをしていた。

「保温できるお弁当、ね。一体いくらすんのよ。それ」

 テトラが棘のある声で俺を突き刺す。予想通りの反応に、俺は苦笑いを返す事しかできない。

「相場がわからないんでなんとも……」

「ご飯用、おかず用、汁用で少なくとも三種類。それを二百セット。職員がいつ食べ終わるかわからないから翌日回収として、翌日分を考えて更に二百セット、計四百以上の保温弁当箱を買う、と。しかも洗浄業務まで増える訳ね」

 改めてまとめられると、財政的に中々厳しい事を提案したと思い知る。

「確実に美味しくなるので、金額を上げていいと思います。ゴミが出ないのも病院にとっても利点かも。それに使い捨て容器はずっと購入する必要がありますけど保温容器は壊れない限り買い替える訳じゃないので……その面でもいずれ採算が取れる、はず」

 俺はなんとか途切れないように言葉を紡ぐ。テトラは不機嫌そうに黙々と食事を進めた。まだ押しが足りないな。

「もし弁当屋参入が本格的に決まった時に、ライバル店が増えるじゃないですか。その時にもこの保温作戦は大分有効な戦略になると思います」

「相手が真似したら一緒じゃない」

「出来立ての味なら負けないんで、大丈夫です」

「言うわね」

 つい虚勢を張ってしまった。そんなこと言って、味で負けたらどうするつもりなのか。でも今は一週間後を生き延びる方が先だ。その先の話なんて二の次、嘘も方便。

「却下」

 テトラは俺に告げた。くそ、ダメか……。

「と、言いたいところだけど一理あるわね。明日、値段を調べてからまた考えるわ」

「ほんとですか?」

「考える、って言ったのよ。決定じゃないわ」

 よし! それでも十分だ、言ってみる物だ。まだ安心はできないけど、これでオーケーが出れば延命に強い希望が持てる。

「あんたね、保温容器を四百セットも買って、仮に負けた時は覚えときなさいよ」

「ははっ、あー、はは……そっすね……」

 考えないようにしていた、一番最悪の結末を突きつけられる。

 もうこの際、地獄に落ちるなら一番深い所に落ちてやるさ。

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