第17話 「呆れるくらい美味しそうに食べるわね」


「二名でお待ちのテトラ様、どうぞ」

 釜めしって雰囲気ではない、バーの店員染みた穏やかな接客で名前を呼ばれる。人間の俺が入店する瞬間も動ずることなく頭を下げた。

 ペットと入店する客にそのペットにも敬意を払う、そんな感じだ。この悪魔、その辺の人間より接客を心得ているぞ。


 俺達は二人用の個室へ通された。店内の作りは個室がほとんどで、照明が暗く、全体的に静謐。ただの鎌めし屋っぽくないなと思っていたら夜はバーになるらしい。成程、お洒落居酒屋と言われた方がしっくりくる。

 テトラは肘をついて怠そうな目でメニューを見下ろす。俺ももうひとセットあるメニューを手に取った。店頭で紹介されていたよりもはるかに多い種類がある。

 へぇ、お持ち帰りの弁当もやっているらしい。……って、ちょっと待て。

「たっか!」

 値段まで見ていなかった。セットで一万近くするやつまであるぞ。バリバリの高級店じゃないか、道理で客があまり並んでなかった訳だ……。

「みっともないわね。値段で騒がないでよ」

 守銭奴のお前には言われたくないぞ。

「美味しくてあんまり待たないで食べれる店、ここしか知らないのよ」

「そんな理由で……?」

 そんなに稼ぎないだろウチの店。いや、初の外食で俺に見栄を張りたかっただけの可能性が高い。金は大事だがそれ以上に面子を気にするのがテトラ、もとい悪魔だ。ま、いっか。他人の金で食う高い飯は旨い。

「私は決めたわ。あんたは?」

「えっとー……」

 値段にビビってメニューをちゃんと見ていなかった。ざっと見た所、イクラか鰻で迷い、鰻の方にすることにした。値段的にも無難だ。いや、それでも十分高いんだけども。

 俺が決めた旨を伝えると、テトラは呼び出しボタン的な物を押す。数秒くらいで店員が入室した。グラスが二つ乗ったトレーを持っていて、俺とテトラの前へそれを置く。

「私これ、鰻の」

 テトラは店員にメニューを見せながら言う。……しまった、十数種類あるのに、まさかのメニュー被り。出来れば多くのメニューを見たいので、俺は咄嗟にメニューを変更する。

「俺、こっちのイクラのやつで」

 店員は静かな声で「かしこまりました」と言うと一礼してすぐに出て行った。

 知らない人が出て言った後の微妙な沈黙が流れ、俺は水を一口流し込む。

「実は、メニュー被ったんですよね。俺も鰻にしようかと思ってました」

「へぇ、じゃあ一口あげるわ。その代わりあんたのも一口頂戴」

「いいでしょ。お互いにあーんします?」

「ぶっ殺すわよ」

 ちょっとした冗談だったのだが、尻尾をビクっと動かし食い気味に言われる。しかも殺すの上位互換「ぶっ」まで付くとは、そんなに拒否らなくてもいいのに。ちょっと傷つくだろ。


 くだらない会話が途切れない程度の時間で、料理が運ばれて来た。

 めちゃくちゃ良い香りだ……。釜めし弁当、提供できれば勝てるかもしれない。やっぱり冷たい物より暖かい弁当の方が良いなぁ。

 釜の蓋を開けると山盛りのイクラと、少しのウニとサーモン、彩りで出し巻き玉子とさやえんどうが添えられている。これ鼻も目も一度に満足するやつじゃん最高かよ……。

「はい、あんたの分」

 俺がよだれを我慢しながらたっぷりのイクラを眺めていると、その上に一口大に切り分けられた鰻が乗った。口をつける前にテトラが分けてくれたらしい。

 パンパンに張った美しく光るイクラの上に、肉厚のフワフワした鰻がコラボする。

「贅沢……。俺、初めてテトラさんの下僕で良かったと思いました」

「あんた今日調子乗ってるわね……。そっちのも早く頂戴よ」

 俺は木製のスプーンで零れそうなくらいのイクラを掬い、テトラの釜の上へ乗せる。こっちもこっちで素晴らしい光景だ。

 テトラが手を付けてから俺も手を伸ばす。掬う度に湯気があがり、食欲をそそる香りが密室に充満していく。

 一口運ぶとつい目を瞑ってしまう。強いダシとかイクラの風味とか、恐らく炊く時にご飯に付けられたこのキノコの香り。山と海のコラボは最強ってはっきり分かる。

 味をずっと感じていたくて、いつもより長く鼻から息を漏らしてしまう。

「呆れるくらい美味しそうに食べるわね」

 我に返ると、テトラは実際に呆れた顔で俺の食べる姿を観察していた。でも尻尾はくねくねして嬉しそうだ。

「それで、どうなのよ。何か思いつきそう?」

 テトラは小さく切り分けた鰻を釜の辺りで口に運び、少し上目遣いで言う。暗い照明のせいだろう、髪を耳にかける仕草が色っぽく見える。そして俺に負けず劣らず、テトラも顔がほころんでいた。こいつは美味しいものを食べる時だけ、シャボン玉みたいな笑顔を見せる。いつもそうしていたらいいのに。

 俺は何度も咀嚼したイクラとほかほかのご飯を飲み込み、胃の辺りを指差した。

「正解が、ここまで来てますね」

「つまり全然来てないわね」

 テトラはあからさまに溜息を吐く。いや、それは俺が吐きたい息だぞ。

 実は胃の辺りを指刺したのは冗談で、何かあと一歩あれば閃きそうな気はしている。アイディアと言う物は実は突然やってくるものじゃない。たくさん考えた下地があってこそ生まれる物だ。

 で、たくさん考えた事はやった。今もやっている。思考を途切れさせないようにまた一口運ぶ。……うん旨い。形容詞いらない。ただ旨い。

「釜飯かぁ……」

 俺は四千円するイクラの釜めしを見つめる。これが冷めても旨いだろうか。いや、十分上手いけどやっぱりこの出来立てには当然敵わない。温め直しても一緒だ。

 そういえばこれ、食べても食べも温かいな、あんまり冷めない。あぁそうか、釜自体が熱いから、冷めるのも時間かかるんだ。鉄っぽい容器で保温されているから。

「…………あっ」

 俺は口の中でイクラが弾けるのを感じた。

「何よ、その顔。家のカギはかけて来たわよ」

 テトラは都会で変な人を見かけたような顔をする。

「昨日、俺の言う事を何でも聞いてくれるって言いましたよね」

「言ってないわよバカ。多少の無理ならって言ったの」

「じゃあそれ、後で聞いてください」

 テトラは口に運ぼうとした手を止めて一度降ろす。俺が何か思いついたと察したのだろう。真剣な顔ではないが少なくとも怠そうな表情は消えていた。そして、

「いいわ。期待しているわよ、ユキヒラ」

 と、子供が親に遊園地へ行く約束をしてもらったような顔で言った。

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