第13話 うん、エッチだ。眼福。



「テトラさーん。おはよーございま-す」

 俺はご主人であるテトラの寝室の前で、大きすぎず小さくない絶妙な声を出す。現在午前六時。この時間に起こせとの命令だ。

 返事はない。ただの屍のようだ。俺はもう一度、強めに三回ノックする。返事はない。ただの……ってふざけてる場合じゃない。

「だから早いって言ったのに……」

 昨日の夜、そんなに早く起きてどうするのかと聞いたが『うっさい』と一蹴されてしまった。大体、仕事の日だって起こすのは八時くらいだ。それでも寝起きは最悪なのに、起きられる訳がない。

「うーん。どうすっかな」

 もう少し経ってから来てみようか。いや、起こされた記憶がないとかいちゃもんつけられたら困る。いつもは返事があってから入るのだが、今日はもう部屋に入ってしまおう。

 これは緊急事態なのだ。仕方のないことなのだ。決してやましい気持ちはない。

「失礼しまー……」

 起きていないとわかっていても、恐る恐る扉を開ける。

 まだ薄暗い部屋の奥、ベッドの掛け布団が一人分膨らんでいる。これが昨日寝坊したら殺すなんて言っていたやつの成れ果てだ。すぅすぅと寝息さえ聞こえる。

 悪魔の癖に、寝顔は天使。本人の前では口が裂けても言えないけど。

「……ん」

 テトラはもぞもぞと動き出した。お、やっと起きるか。と、思ったら三度寝がえりをうち、布団を抱き枕に再び動かなくなる。寝ぐせが悪いのか寝巻の半ズボンが太もも付け根辺りまで見え、上の寝巻が開けて肩が露出している。

 うん、エッチだ。眼福。

 ……じゃなかった。起こさないと。

「テトラさん、もう六時ですよ」

 軽く体を揺らしてみる。小さい肩で俺の手を弱く払い除け、くすぐったそうに漏らして枕に顔をぐりぐりと埋めた。ダメだこりゃ、起きる気配がない。

「テトラさーん!」

 大きめに声を上げる。全然起きない。ここまで起きないとちょっと面白くなって来たな。どこまで起きないか試してみよう。

 とりあえず頬を軽く突いてみる。白い肌がムニムニと動くだけで、何度かやっても反応がない。顔以外を刺激すれば起きるか?

「…………」

 ふと無防備な体の方に目が行ってしまうが、さすがに体に触れるのはマズイ。男なら起きてる時に正々堂々と触るべきだ。違うそうじゃない。

 とりあえず、次の手段として耳をくすぐってみた。

「っ」

 お、羽と尻尾がピクリと動いた。耳は効くらしい。よし、もっと悪戯するか。いつもコキ使われている仕返しだ。俺はテトラの耳に軽く息を吹きかけてみた。

「っ……」

 体がビクッと動いて、今の刺激から逃れる様に背中を丸める。追撃だ。

「はぅ、、、っ」

 今度は布団を払いつつ、吐息交じりに体を震わせた。

 ……………………もうやめとこう。これは俺の下半身に良くない。朝っぱらから俺のアンパンマンが元気百倍になってしまう。悪戯はやめるんだバイキンマン(意味不明)。

「――っと?」

 いきなり俺の視界は暗転し、勝手に膝から崩れ落ちるような感覚。そして突然、シャンプーの香りと全身に感じる柔らかい何か。

 一瞬何が起こらなかったがわからなかったが、とんでもない事態になったと把握。悪戯が過ぎたせいか、テトラは寝ぼけて俺を抱き枕にしてしまったようだ。

 布団をもう一度被ろうとしたのだろう、かなり強い力で引っ張られ強く絞めつけられている。

 お、テトラって意外と着やせするタイプ……大きくて柔らかい物が顔に――

「ぁいででで」

 俺の背中から「ミシ」と嫌な音が鳴る。きっと眠っているから無意識なのだ、布団は柔らかいが残念な事に人間には骨がある。転生したら美人が使うお布団になりたい。

 これではライオンにじゃれつかれ死んでしまう飼育員さながら。複雑骨折で間違いなく逝く。さっさと全力で起こすしかない。

「ちょ、テ、テト――」

 ……いや待て。この状況でテトラが起きるのも不味い。プライドの高いこいつだ、ベッドへの侵入を許したと知ったらただでは済まないだろう。今日が命日になる可能性がある。

 ――グキ。

「―――ぁ゛っ!」

「痛い痛い痛い! テトラさん! 死ぬ! マジで死んじゃう! 起きて起きて!」

 俺は自由な手でテトラの背中を必死に叩く。もう本気でバッシバシ叩く。起こしたら云々とか言っている場合じゃない。

「……ぅぐ!」

 声が出なくなるくらい体を絞められた辺りで、俺は死を予感する。布団と間違えられて抱きしめられて死ぬ、最悪の死因だ。これならまだクルミに弁当と間違われて食い殺されていたほうがマシだ。いやそうでもないな。

 意識が遠のきかけた時、それ以上力が強くならない事に気づいた。むしろ少しずつ弱まっていく。変形しかけた骨や血管が戻り、体が痛みから解放される。

「た、助かった?」

 俺は自由が効くようになった顔を持ち上げる。するとテトラと眼が合った。

 ……眼が合った?

「あ、テトラさん、おは、おはようございます」

 咄嗟に挨拶が出てしまった。テトラは半分目を開けたまま俺をじっと見ている。何が起きているか把握できていないのだろう。瞬きの回数が多くなり、徐々に目が見開いていく。

 テトラは色々混じった表情で俺を見つめた。そして、

「――な」

 と一言、小さく声を出した。顔が見る見る内に赤くなっていく。そしてすぐに俺をベッドから落とした。

「ぁいてっ」

 ベッドはそんなに高くないが、肩から落ちればそこそこ痛い。だがさっきの痛みに比べたら風が撫でたレベルだ……。てっきり壁まで突き飛ばされるか、撲殺されるかだと思っていたが、随分弱めの拒否だった。

 俺は体を手で掃って急いで立ち上がる。早く言い訳を、と思ったがよく考えたら真実を話せばいいだけの事だ。やましい事はしていない。俺のアンパンマンに誓ってしてない。

 テトラを見ると布団に包まって姿が見えない状況になっていた。

「あんた、私の部屋で何してんのよ」

 迷っていたら先手を打たれてしまった。まぁいいか、自分から言い出すより信憑性が高い。

「えっと、全く起きないんで仕方なく部屋に入ってですね、近づいたら毛布と間違えられたんです」

 よし、簡潔だし嘘は言っていない。これで事なきを得てくれ。まだ死にたくない。

「……た」

「え? なんですか?」

 布団がフィルターになってよく聞き取れない。

「何かした?」

 何かした、と言うのは状況的に「私の体に何かエッチな事した?」と言う意味だろう。国語は得意だ。そういう意味ではもちろん何もしていない。あのイタズラはノーカンだ。そうだろバイキンマン。

「いや、我慢しました」

 言って、すぐに口を押える。してませんとだけ言えばいいのに焦って欲求が口に出てしまった。馬鹿か俺は。

「と、とりあえず、もう六時ですよ。朝ごはん作って待ってますから」

 何か言われる前に早口で付け加えた。そのまま去って良いか微妙な空気なので一応了解を待つ。テトラはじっと固まったままで、表情も尻尾も見えないので何を考えているのか全くわからない。

「わかったから、早く行きなさいよ」

 数十秒の沈黙の後、くぐもった声でテトラは言った。俺が出て行くのを待っていたらしい。

 よし、とりあえずはこれで直前の死を免れたぞ。

「二度寝、しないで下さいね」

 今度は襲っちゃいますよ、と言いかけてまだ冷静じゃない事を痛感する。

「うっさい。早く出てけ」

 これ以上は本当にキレられる気がしたので、俺は何も言わずに部屋を後にした。

 ラッキースケベどころかハプニングデスになる所だった。寝ているテトラの部屋には二度と近づかないと心に誓おう。

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