第11話 人間が教える悪魔の為のお料理教室

 あれから三日たったが、俺のつまらない思考回路は何の成果も得られなかった。仕込みでもしながら、一応まとめた物を思い出してみる。


 まず条件。恐らく出来立てに近い物でないと勝負にならない。

 弁当案その1。店でほとんど作って現地で完成させる?

 →スペースとか盛り付けの問題。そもそも、二百食だから時間的に無理がある。


 弁当案その2。温かい物でなくてもいいかもしれない。

 →寿司?助六弁当。でも職員食堂のあのボリュームに対抗するとなると、いなりずしと巻きずしだけと言う訳には……。

 煮物とか天ぷらなど二品くらい加える事になる。そうすると結局温かい物か、ダメだ。


 弁当案その3。客がさくっと作れるものを販売する?インスタント的な。

 →時間がない悪魔が弁当を買いに来るのにその面倒くささはNGだ。って言うかそれは弁当じゃないか。


 弁当案その2とその3を混ぜたやつとして。

 サンドイッチ→ありだけどボリュームとインパクトに欠ける。

 冷やし中華(冷やし系の麺)→熱い時期限定なのと、応用が利かないから美味しくても認めてもらえないかもしれない。弁当屋じゃなくてラーメン屋か?とか言われそう。


「万策尽きた……」

 二百食の壁が邪魔過ぎる。考えればもっと出てくるはずだが、何せ時間がない。その焦りがアイディアを余計に枯渇させている気がする。誰か頭を捏ね繰り回してくれ頼む。

「わぁ。やっぱり凄いね」

 俺がぼうっとしながらキャベツを切っていると、手伝っているザラメが俺の手元を見て目をキラキラさせていた。

「凄いって、何がですか?」

「手元を見ないで、千切り」

 俺は明後日の方向を見ながらキャベツの千切りをしていたので、それを見てザラメは感嘆したらしい。慣れだぞこんなの。

 ザラメは俺より前からいる従業員だけど、調理は苦手だ。テトラに憧れて練習はしているものの、教わる相手がいなくて一向に上手くならないらしい。テトラに教わろうとしたが、高額な授業料を取られるので断念したと聞いた。血も涙もない。

 そこで、毎日ではないけど仕込みと調理の時に俺が出来る範囲で教える事が習慣になっていた。人間が教える悪魔の為のお料理教室。

「ちょっとやってみます?」

「い、いいの?」

 包丁を渡してまな板の前へ立ってもらう。俺が教えた通りに左手を猫の手にして包丁を構える。基本中の基本だが、ザラメは最初片栗粉と砂糖の違いが分からないくらい酷かった。

 ザラメは体が小さいので大きめの牛刀は重いかなと思ったが、そこはやはり悪魔。箸を持つように軽々と使い回す。そんなにすると危ないぞ。俺が。

「えっと、こう?」

 初めて子猫を触る様に優しい仕草で包丁をまな板へ下す。キャベツは5ミリ幅くらいにスライスされた。うん、千切りにはちょっと太い。でも、最初は皆こんなもんだ。上出来上出来。

「良い筋してますよ」

「ほ、本当? えへへ」

 ……ただ、さすがにちょっと遅すぎるかな。そうだ、一度慣れている人の感覚を味わってもらった方が良いかもしれない。

 俺はザラメの後ろから手を回して、手を重ねた。

「手、借りますね。切る感覚はこんなんです」

「え、ちょっ、あっ……!?」

 ザラメの手を持って早い切菜を体験させる。半分くらい切った所で手を止めた。ザラメはうんともすんとも言わず、じっとキャベツを眺めていた。あまり参考にならなかっただろうか。

「切る感覚、何となくわかりました?」

「…………」

「ザラメさん? おーい」

「……ぁ、うん、だ、大丈夫」

 ザラメは何故か上の空だ。うーん、余計なお世話だっただろうか。

「俺もう一個包丁とまな板持って来るんで、続けて練習していいですよ」

「わ、分かった、ありがとう……」

 心なしか、顔も赤い。大丈夫か?


 ※


「あれ、クルミさん?」

 包丁まな板を取って戻ってみると、いつのまにかクルミが幽鬼の如く厨房に立っていた。神出鬼没悪魔。字面では神なんだか鬼なんだか悪魔なんだかわからん。悪魔だけど。

「クルミちゃん、暇だったから見に来たんだって」

「探検みたいな感じですかね……」

 一応クルミは住み込みでここに居るが、普段どこで何をしているか分からない。いつのまにか居るし、いつのまにか居ない。まるで無意識を操っているかのようだ。存在感が薄いだけなんだけど。

「ごはん」

 クルミは俺を見てボソっと放つ。厨房に来たのは、きっとつまみ食いを企んだのだろう。昨日も現行犯で逮捕した。

「今日はビーフシチューですよ。牛肉、余ったんで」

 クルミは一度目を見開き、眠そうな目に戻る。好物だったらしい。肉好きだもんなこの子、こりゃ、作る量を増やしておいた方がいいか。

「見て見て、ユキヒラ君っ。ちょっと早くなったよ」

 ザラメは俺の真似をして不器用に包丁を動かす。おぉ、確かに早い。いや、でも余所見はするなよ。危ないぞ。

「慣れるまでは手元見てください、危ないですよ」

「だいじょ――痛っ」

「えっ、大丈夫ですか?」

 ほれ、言わんこっちゃない。まな板の上に包丁がガチャリと落ち、ザラメは切ってしまった指を口に咥える。

「指、見せて下さい」

 うわ……結構ぱっくりいってる。少し抑えたくらいじゃ血が止まりそうにない。

「大丈夫だよ、これくらい。悪魔はすぐに治るから」

「ダメです。救急箱取ってきますから、傷口押さえてて下さい」

 悪魔の傷の治りがどうなのかは知らない。でも俺が教えて、すぐに放置したせいでザラメが怪我をしてしまった。責任を感じてしまう。

「ご、ごめんね、ユキヒラ君……」

 痛みなのか申し訳なさなのか、嬉しそうに切っていた顔から一転激しく落ち込んだ様子になる。見てるこっちまで不憫になってきた。

 わたわたしている俺とザラメの間に、急にグイとクルミが割り込んだ。

「いたい?」

 クルミの顔は眉が少し下がり、心なしか心配しているように見える。

 だがちょっと今は構っていられない。とりあえず救急箱を、と思った瞬間、クルミがザラメの指を咥えた。

「ひゃ!?」

 齧った訳ではないらしくザラメが手を引っこめると、指はすぐに抜ける。おいおい、なんで指咥えたんだ、まさかクルミは吸血でもするのか?

「……あ、あれ?」

 たった今咥えられた指を見て、ザラメが驚いた顔をしている。

「治ってる、指。ほら」

 ザラメが俺に、先ほど切った部分を示す。確かに傷は無くなっていた。あんなに深い切り傷だったのに、一瞬で。ザラメは少し興奮しながら、指とクルミを交互に見た。

「もしかして、クルミちゃんの魔法?」

 クルミは理解しているのかいないのか、小さく頷いた。

「珍しい……治癒の魔法なんだね。あ、ありがとう、クルミちゃん」

 治った指を胸の辺りに持って行き、ザラメは礼を言ってクルミの頭を撫でた。クルミは目を細めて気持ちよさそうにその手を受け入れる。

 ……職員食堂で見た分かりやすい魔法とは違って、こういうのもあるのか。魔法って滅多にお目にかかれないから、面食らってしまうな。

「ビックリしましたけど……とりあえず、良かったです。今日はビーフシチュー、多めに作りますね」

「おー」

 と寝息で消えてしまうくらいの音量でクルミは呟き、口角が少しだけ上がる。なんて事ないメニューだが、喜んでもらえると作り甲斐はある。

 ザラメは治った指を星でも眺めるように見つめていた。悪魔にとってもこういう魔法は珍しいんだろう。色々な魔法があるって事は、人間界に帰れる魔法とかないのだろうか? と、一縷の望みと共に俺の本来の目的を思い出す。

 今晩、魔法についてテトラに聞いてみようかな。

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