第2話 ここ最近はプライドなどない。


 弁当が乗った台車を押し、病棟の中に入る。見た限り建物の作りは俺が知っている病院と大差ないように見えた。

 この世界は、不思議と人間界と同じようなものが溢れかえっている。今日乗ってきた車もそうだ。ただし、素材は不明。原動力は魔力?らしいけど、何がどうなって作り出され、どう供給されているかなど、細かいことは下僕の俺に知りようがない。

 というか、気にする程の生活の余裕がない。


 当然だが、病院の中は悪魔だらけだった。こども病棟だから、小悪魔がほとんど。子供とはいえ悪魔に変わりないので、全く油断できないのが怖い。

「あ、人間さん」

 点滴のスタンドを押しながら、小学生くらいの小悪魔が俺を指差している。

 見た目はただの女の子だが格の高い悪魔かもしれないので、手を振るのではなく下僕らしく軽く一礼しておく。小学生へ腰を直角に曲げ、綺麗なおじぎ。ここ最近はプライドなどない。

「広いわね。エレベーターどこ」

 建物もさることながら、エレベーターまである。本当にどうなってるんだろうなこの世界は。

 テトラは腕を組んで掲示板を睨んでいる。院内のマップを見ているのだろう。

 俺も後ろから覗く。一番に見つけたのは選挙ポスターだった。でかでかと【清き一票を!】と貼られている。魔界なのに清きってのはどうなんだ。

 ごちゃごちゃとお知らせがある大量の掲示物の中から、隅っこで静かにしている院内マップを見つける。と、入口のすぐ近くに設置されているのがすぐにわかった。

 今更だけど、人間の文字じゃないのに何故か読めるのが不思議でならない。脳内がこの世界用にフォーマットされた感じ。恐らく、言葉も。

「エレベーター、ここです。すぐそこですね」

「ん。そうみたいね」

 俺の指を見た後、テトラは何故かエレベーターとは真逆の方向に歩き出した。

「あの、逆ですけど」

 テトラはピタリと止まり、踵を返して俺の横を通り過ぎた。

「……もしかして、方向音痴?」

 図星だったのか、テトラは何も言わずに少し速度を上げて歩く。自信満々に間違えてちょっと恥ずかしかったのだろう、少し顔が赤かった。台車を押すこっちの身になって欲しいが、文句を言うと倍で返ってくるのでやめておく。


       ※


 まずは三階までエレベーターを上る。

 ナースステーション的な所に付くと数人の看護師っぽい悪魔がこちらに目を向けた。見た目はテトラと同じで人型だ。

 そういえば、悪魔は人型と悪魔型を使い分けるらしい。守衛の豚さんみたいなのが悪魔型。人の姿でないと処置も難しいのだろう、みんな人型だ。

「テトラ弁当よ。配達に来たわ」

 テトラがやる気ない声で告げる。

「その辺に置いといてー」

 忙しそうにしている一人の看護師が、俺たちの目の前にある台へ水を向ける。テトラから顎で指示される前に、俺はいそいそと弁当を積み上げた。残念ながら下僕根性が染みついて来たみたいだ。

 えーと、確かここは、十四個だったっけ?

「じゃ。またよろしく」

 テトラが接客業の神の生まれ変わりとしか思えない挨拶を残し、エレベーターへ戻っていく。こいつ商売向いてないな、とつくづく思う。


       ※


 次の四階でも同様に弁当を配る。テトラは仁王立ちで俺がせっせと働くのは納得いかないが、慣れてしまえばなんでもない。下僕根性万歳。

「お弁当屋さん、一個足りないわ」

 ナースステーションを去ろうとしたその時、看護師が声を上げる。俺が個数を確認すると、どうやら本当に一個足りなかった。

 病棟に入る前に二十五個積んだのは何度も確認したから、恐らく余分に下の階に置いてきてしまった。テトラも同時にその事に感づき無言で俺を睨みつけてくる。

 くそ、急いでいたとはいえこれは俺の失態だ。何も言えん。

「面倒だし私待ってるわ、取ってきて」

「はい……」

「早くしてね」

「……え、俺一人で?」

 待ってくれ。ここを普通に歩いていたのは、テトラって後ろ盾があったからだぞ。一人でここを歩くなんて冗談じゃない。

「守衛のブタさんが危ないとか何とか……」

「大丈夫よ。何の気配もなかったし。ほら、早く行った行った」

 気配ってなんだよ、野性動物かよお前……。

 テトラは呑気に欠伸をしながら手をひらひらと振っている。くそ、もうさっさと行ってしまおう。最後の配達が夕刻になったら洒落にならない。

 仕方なく俺は一人で廊下を歩きだす。テトラが横にいたときはなんとも思わなかったが、やけに冷たい空気が肌をなぞっていく。ただの病院のはずだが、時限爆弾でもしかけられているような恐怖が襲ってくる。

 うん、ダメ、怖いからやっぱついて来て……とは、口が裂けても言えない。

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