第1話 悪魔の下僕の朝は早い。

 小学生くらいの小悪魔が、俺に向かって指を指した。まん丸な双眸の目尻をキリっと上げ、意地悪な笑みを浮かべる。それは悪魔的な微笑だった。

「ユキヒラさん。あなたには食堂の料理長と、料理勝負してもらいたいんです」

 子供のくせに仙人のような落ち着きで爆弾を投げつけて来た。何言ってんだ、この幼女は。

「な、なんで俺が?」

「それはあなたが料理の上手い人間さんだからですよ。期待していますね」

「答えになってないんだけど……」

 有無を言わさないその理由は、ただただ理不尽としか言いようがなかった。


       ※


 ――数時間前。



 悪魔の下僕の朝は早い。やる事もマジで多い。多分うどん職人よりキツい。

 太陽と仲良く起床し、顔を洗う。すぐに部屋と厨房の掃除。次に主人であるテトラを起こす。うるさい、と怒られる。理不尽。

 仕込んでいた食材で下調理を終わらせ、朝ごはんを作り、二度寝したテトラをもう一度起こす。大体「うっさい」と怒鳴られる。理不尽。

 起こす事を諦めてリビングで朝ごはんを盛っている辺りで、テトラは目を擦りながら降りてくるのでタオルと歯ブラシを渡してやる。その間に朝食を完璧にセットした辺りで、大体洗面所からテトラが戻って来る。

「……ごはん」

「はいはい、もう出来てますよ」

 まだねむねむ状態の彼女は亀より歩くのが遅いので背中を押して椅子を引いて座らせる。まるで要介護悪魔。入浴介助なら喜んでやるんだけどな。


 ここまでがルーティーン。あとは朝食のメニューによってこいつの要望が変わる。今日は時間がないのでパンケーキとコンソメスープだ。ちゃんと毎朝手作り。誰も褒めてくれない。

「……フォーク」

「目の前にありますよ」

「かけるやつ」

 多分、メープルシロップの事を言っている。テトラは寝起きのIQが2になってしまう。俺が取ってやると「かけて」と呟いた。適量垂らしてやるとようやくモソモソと食べ始める。老犬でも飼ってる気分。



 ――そして、なんやかんやドヤされつつ弁当を作り終え、取引先である大病院へたどり着いた。

 ここは病棟が九つもある。これからそれぞれの病棟の職員へ約百個の弁当を届ける訳だけど、これが睡眠中トイレに行きたくなるくらい面倒くさいのだ。

 悪魔は精神構造にズレがある。常に腫れ物に触れる気持ちで接しないといけない。ウチの主人に関しては特に顕著だ。

「とりあえず、ここから行くわよ」

 テトラは『こども病棟』と書かれた看板を指差す。

 俺が適当な所に配送用の乗り物を停めると、テトラは守衛の元へ歩いていった。何も考えずにそれを眺めていたら、俺の方を振り向いて人差し指をクイと曲げる。お前もさっさと降りてこい、って事だろう。犬か俺は。

 ちょっと気に入らない仕草だが、下僕の俺は従わざるを得ない。わん、とでも言ってやろうか。



 テトラは守衛に手を振る。窓ガラスの向こうに座っていた猪みたいな顔をした悪魔が近づいてくる。ガタイが大きく、威圧感のある悪魔だ。そのパンパンに張った制服を苦しそうに伸ばし窓を開けた。服が破けそうなくらいムッチムチ。多分全部筋肉だろう、恐ろしい生き物だ。

「こんにちは。ご用件をお伺い致します」

 見た目の割に丁寧な口調。しかも声を聴くまで分からなかったが、女性だ。

「弁当屋よ」

「少々お待ちくださいませ」

 守衛は取り付けられているおもちゃのような小さな機器、電話?を取る。電話は普通のサイズだが、守衛がデカいだけだった。三度ボタンを押し耳の大きさに見合わない受話器を当てる。恐らく内線。


 数分ほど待たされると守衛の鋭い眼光が此方を向いた。

「お店のお名前をお伺いしても宜しいでしょうか。別のお弁当業者様も配達にいらっしゃるようで」

「テトラ弁当よ」

 テトラは細く長い尻尾をうねらせながら端的に応える。これはちょっとイライラしている時のうねりだ。こいつの気の短さは、数カ月一緒に居れば嫌でも身に染みる。

 待つ事さらに数分。守衛は受話器を置き深々と頭を下げた。

「大変お待たせしました。三階に十三個、四階に十二個、注文された職員がいるとの事です」

「そう。許可証ちょうだい」

 丁寧に教えてくれたにもかかわらずウチの主人は不愛想に返す。掌をクイっと曲げて、守衛に通行許可証を渡せと煽っている。

 この無礼な振る舞いに対し守衛は動じることなく淡々と業務を遂行する。こういうのには慣れているのだろうか。それとも腹の中は怒り心頭なのか。どちらにしろ仕事のできる豚さんだ。

「こどもとは言え病気の悪魔が闊歩しております。人間の方は特にお気を付けください。すぐ持っていかれますから」

 いや、何をだよ……怖すぎる。テトラは許可証を二つ受け取り、ドヤ顔を守衛に向けた。

「心配ないわ。私がいるもの」

 凛とした佇まいで告げる。頼もしい限りだが、少しは遠慮を教えてやりたい所だ。

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