第8話 一難去ってまた一難

「よく聞け、どんな化け物だろうが、デカ物だろうが、必ずこんななまくらでも攻撃できる箇所があるんだ!関節と目を狙え!ここからじゃ目にはとどかねえ!二人で協力して関節を狙うんだ!」


レンには関節とピンポイントで狙えるような技術は皆無だった。つまり、今レンにできることと言えば化け物の注意をこちらに向けることくらいだった。ここまで来ればヤケクソだ。


「ダン!引き続き俺が囮になる!お前が関節を攻撃してくれ!」


「・・・!分かった!死ぬなよ!」


さて、こうなればもう今まで通り逃げることに専念するしかない。やること自体はさほど変わらない。


「のろまな化け物ォォォ!こっち向けぇぇぇぇ!」


ギロリ、獲物を狙う目がこちらに向けられる。背筋が凍るような目だった。


「グルルルルル・・・」


蛇に睨まれた蛙よろしくその場に硬直しそうになるほどの迫力。レンは早くも囮になるという選択をしたことを後悔し始めていた。


「・・・やっぱ向かなくて良いです・・・うわだぁぁぁぁ!」


獣の頭でもバカにされていることは分かったのだろうか、今まで以上に執拗な攻撃だった。一つ一つが一撃必殺。避けたとしても壊れたステージの破片が飛んでくるので傷だらけだ。全身に生暖かい血の感覚を感じ、泣きそうになるのをこらえながら縦横無尽に駆け回る。


そこでレンはあることに気がついた。レンがこの化物を引き受けたときから感じていた違和感の正体だ。いくら飼われているとはいえ、ダンはともかくレンのような動きでかわせるような攻撃なのだろうか。いくらなんでも遅すぎる。


(あいつ、遊んでやがるのか・・・!)


しかしそれなら好都合、引き続き舐めてくれているのならダンが化け物の死角に回る隙ができる。そう思ったのも束の間、ラッキータイムはそう長くは続かない。流石の化け物もこの遊びに飽きてきたらしく、本気でレンを仕留めに来たのだ。むしろ良くもった方である。そうなってからは早かった。一瞬で距離を詰められ、背を向けて逃げようとした瞬間にものすごい衝撃がレンに襲い掛かって来た。


「ぐえっ!」


押し潰されそうな感覚を味わいながら、うつ伏せ状態のレンは目だけを動かし後ろを見る。そこには生臭い息、ドロッとしたよだれと共に地獄への入り口が広がっていた。


「あああああ!ダン!まだかぁぁぁ?!」


まさに牙がレンに触れるその瞬間だった。


「ナイス囮だぜ!レン!」


化け物の死角からダンが突進、そのままレンを押さえている足とは反対側の前足関節の裏に深々と剣を突き刺し、引き抜く。刃こぼれだらけになったなまくらでも、そのくらいの力はあった。


「ギャインッ!!」


化け物も獲物を前にして完全に油断していたとみえ、特に避けることなどもせずにまともに攻撃を受け、短い悲鳴と共にバランスを崩して倒れた。


予想をだにしない展開に観客たちに不穏な空気が漂い、反対に二人には希望が見え始めていた。


「レン!そこだ!一気にいけぇぇぇ!」


ダンが叫ぶ。自由の身となり肺に一気になだれ込んでくる空気にむせかえりながら、レンはすぐさま行動をおこし、自分を押さえつけていた足の裏側へまわる。まだ立ち上がれない化け物に追撃を加えるべく、その手に持つ剣を力一杯突き刺した。肉を断ち、深々と突き刺さる感覚が手に伝わると同時に化け物の体が重々しい音をたてて崩れ落ちる。


「とどめだァァァァァァ!」


ダンがその手の剣を化け物の目に突き立てる。刀身が長いのが幸いしてかその剣は頭蓋を貫通、脳まで達し致命傷となった。


「グギャァァァァッ!」


会場にこだまする断末魔。ダンはその手の剣をより深く突き刺し、捻ることで確実にとどめをさした。


「か・・・勝ったぞ・・・!」


静まり返る会場。レンは化け物の前足から剣を引抜き、ダンから少し離れた場所に立つ。


「えー・・・勝者は、奴隷の二人組であります!」


一瞬のこと、先ほどまで優勢だった化け物が死に至り、呆気に取られていた司会が慌てて宣言する。


「マクベス様・・・いや、マクベス、俺たちは自由の身ということで良いんだな?」


ダンのその声はあくまでも冷静であったが、歓喜の感情を抑えきれない様子であった。


「ククク・・・まさかこのような結果になるとは思いもしなかった。そうだな。君たちは勝てば自由の身、そういう約束だった。」


マクベスもまた静かに答えた。


「しかしだ、?」


「な・・・?!」


次の瞬間、近くにいたダンの体が消えた。


「ギャァァァァァっ!」


上を見上げると先程倒した化け物よりもさらに巨大な化け物がダンの体を食いちぎるのが見えた。辺りに血の雨が降る。目の前に広がる光景を形容するのであればまさしく絶望だ。


「あ・・・あぁ・・・」


突然のことでレンは動けない。その傍らにダンが落ちてくる。


「クソが・・・!分かってたはずだった・・・。油断しちまった・・・。どこまで俺を・・・!!」


「ダン!おい!」


「あぁレンか・・・?まったく・・・ついてねえよな・・・状況は絶望・・・だが、お前・・・だけでもどうにかして・・・生き残ってくれ・・・俺はもう・・・」


「おい!・・・ダン?!もういいんだ喋るな!」


「なあ、お前は・・・俺の代わりに・・・世界を見て回ってくれよ・・・。この世界は・・・もっと・・・綺麗なはずなんだよ・・・この目で・・・見て・・・」


その言葉と共にその目からは生気が失われ、ダンは動かぬ人形となった。あまりにも呆気ない。人とはこんなにも突然、こんなにも簡単に壊れてしまうものなのか。彼の死により会場のボルテージはまた一気に上がる。


「そうだ!」「殺せぇ!」「もっと血を見せろー!」


レンは心底この場にいたくないと思った。売られる人間を「商品」としてしか見ず、1人の勇敢な男の死さえも愚弄する。こんなものが異世界なら、自分が生きてみたいと思った理想の世界なら、もうそんなものは見たくないとさえ思った。


だが、今のレンには死ねない理由がある。彼は言った。この世界はもっと綺麗なはずだと。自分が生き残れるかは分からない。だが生きなくてはならない。そして世界を見て回るのだ。それが亡き戦友と交わした最後の約束だったから。


最早通常の感覚、常識なんてものは頭にない。そんなものを持っているならばまずこの絶望から目を背けてしまうだろう。汚くてもいい。生き延びるのだ。レンは涙をふき、恐怖心を必死に押さえ込む。


「来いよ、デカブツ。」


そういって彼は精一杯相手を挑発したが、目の前にはデカブツがもう1体。先程の1体ですら二人がかりでやっと仕留めたのだ。どう考えても1人で相手にしてどうにかなるような勝算はない。


「まだ・・・手は動く。足も・・・動く。肋骨は・・・何本かいっちまってるかもな・・・動けないほどじゃないが・・・」


足の震えが止まらない。本能的に死が近づいていることを知っているのだ。


「そいつは災厄をもたらすに違いないんだ!今すぐ殺せ!」


観客の1人がそう叫ぶ。周りの観客もそれに同調しているようだ。だが、レンには聞こえていない。いや、正確には周りの声に耳を貸す余裕などないといったところだろうか。


何か仕掛けるとしてもレンは満身創痍だ。動きにキレもなければ普通の男子高校生だったこともあって元々の技術もない。ある程度身体の使い方を知ってはいてもそれで太刀打ちできる相手ではないことは目に見えていた。


あれほど頼もしかったダンはもういない。レンにできることは逃げ回りながら少しでもダメージを与えていくことだけである。しかしその動きはもう目に見えて遅くなっている。できることは少なかった。


「こんなところで死ねない・・・!ダンと約束したんだ・・・!」


それでもレンは立ち向かう。逃げ場はないのだ。蛮勇と言われようが何と言われようが、立ち向かうしか選択肢がなかった。剣を握る手に力が入り、恐怖と緊張のためか自分の心臓の音がばかでかく感じる。


「ウオオオオオオッッ!」


戦いが始まった頃のように頭で分かっていても足が動かないなどということはなかった。不思議と痛みも和らいでいるような気がしていた。誰も回復魔法をかけてくれる人間がいない今それは100%気のせいなのだが恐らくはアドレナリンが出まくっているが故の現象なのだろう。


レンの頭には生き残るという文字しか浮かんでいない。何をどうしたら良いのかすら分からないままレンは進む。ダンがそうして見せたように化物の攻撃を掻い潜りながら進む。もちろんそんなものは付け焼き刃。加えてダメージによる機動力の低下。完全に回避できるはずもなく、痛々しい傷は増えていく。


仲間が一匹死んでもなお、この化物たちはレンを舐めている。それこそがレンがこの状況を切り抜けるための唯一の光明だった。


ふらふらになりながら足元までたどり着き、ダンがして見せたのと同じように渾身の力で関節に剣をぶちこもうとする。


しかし仲間がやられた手で二度もやられるほどこの化物の知性も低くはなかった。目の前にあったはずの足が消える。消えたと思った瞬間上から物凄い衝撃が加えられる。


「カハッ」


身体の空気が全て抜けたような感覚。上から押さえ付けられる。しかし次の瞬間には押し潰されるような感覚が消え、肺が空気を求めて目一杯に膨らむ。咳き込み、目の前が涙で滲んだ。すぐに動かなければと思うものの体が動かない。しかしあるはずの追撃はない。遊ばれている。脅威となるべきはダンの方。確かにダンが死んだ今、レンにこの状況を覆すほどの力はない。最早目の前は朦朧として、足に力を入れようとも自分の足ではない感覚がした。


最早猫にいたぶられるネズミ状態だ。逃げようとした瞬間に横殴りの衝撃がレンを襲い、吹っ飛ばされる。


「ガハッ!」


全身の骨と内臓がミンチにされた感覚だ。脇腹の傷が広がる。逃げたい一心でどうにか剣を杖代わりにして立ちあがり、無様に足を引きずりながら壁にもたれ掛かる。目の前に化け物が迫ってきているが、最早レンには避ける術はない。


「せっかく拾った命なのにさ・・・!助けてくれよ・・・!誰でもいい・・・!ゲフッ誰か・・・!」


今まで押さえてきていた涙が溢れる。なんなんだ、この世界は。どこまで俺を馬鹿にすれば気がすむんだ。嫌だ死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない。


響く怒号、笑い声。この世界にはレンの死を嘆くものなど一人もいない。むしろ喜んでいる者が大半だ。せっかく異世界に来たというのにこれではあんまりじゃないか。何も成し遂げることなく、虫ケラのように死んでいく。元いた世界と同じように。


レンは絶望のうちに目を閉じようとした。


ガシャーーン


その時だ。まるでこの陰気な世界をぶち壊すような音だった。皆何事かと音のした方向に意識を向ける。2階の高さにある窓が割れたのだ。そしてそれを認識した瞬間、化け物の首に深々と何やら光る槍が突き刺さる。あれほどの化け物が悲鳴のような鳴き声をあげ、苦しそうに暴れながら絶命した。


レンは割れた窓をただただ呆然と見つめた。外から吹き込む風にはためくカーテンは解放の旗印を思い起こさせる。差し込む光が眩しすぎてよく見えないが、確かにそこには人影があった。そうして登場の派手さとはうって変わって、ゆっくりゆっくりと優雅にそいつは地上に降り立ったのだった。

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