上凪総真
「総真!」
二週間ぶりに家に帰ったヤドリギは、リビングで一人夕食を食べていた僕を見つけるとそう名前を呼んだ。僕はたったそれだけのことにとても驚いた。なぜなら、ヤドリギに名前を呼ばれた事は、僕が物心ついてから一度たりともなかったからだ。
「……どうしました?」
ヤドリギは、数秒の躊躇いを見せた後、突然床に膝と手を付き、頭を下げた。その行動に僕は我が目を疑った。
「今まで、すまなかった。俺の復讐を、勝手にお前に押しつけていた。お前は俺が憎いだろう。俺を恨んでいるだろう。今更許してくれとは言わない。でも、どうか、俺に協力して欲しい!」
僕は混乱した。今までのヤドリギとは、言動があまりにも違ったからだ。それに僕は、ヤドリギの事を憎んでも恨んでもいなかった。だからその言葉の真意を汲み取れなかった。
「そのような事を言われなくても、ヤドリギの指示であれば僕は何でもしますよ」
「そうじゃないんだ。俺の指示ではなく、お前の意思で、生きて欲しいんだ」
「……僕の、意思で?」
ヤドリギは顔を上げ、僕の目を見た。その表情からは、揺るぎない決意と意思のようなものが伺えた。
「そうだ。お前はもう自由だ。俺が今まで押しつけていた使命はもうない。これからはお前が自分で考え、自分の足で、お前の未来を生きるんだ」
「そんな事、急に言われても……」
僕の意思? 僕の未来? そんなもの、今の僕には何も見えない。
「そうだよな。でも、ゆっくりでいいんだ。自分が何をしたいのか、自分にとって何が幸福なのか、それを、見つけていって欲しい」
「ゆっくりでいいのなら、分かりました。やってみます。……それで、協力して欲しいというのは、何ですか?」
ヤドリギは立ち上がり、首に下げていた何かを取りだした。見慣れない形状だが、何かの鍵のように見える。
「その前に、総真に伝えておかなくてはならないことが、沢山ある。食事を終えたらでいいから、カカシ部屋の奥の部屋に来てくれ。鍵は開けておくよ」
そう言ってヤドリギは、リビングの筆立てから青のマーカーを取ると、カカシ部屋へ入って行った。
残された僕は暫し呆然としていたが、ヤドリギの話を聞くために、中断された食事を再開した。
*
カカシ部屋の奥の白い扉を開けると、ヤドリギが小さな木製のテーブルに置かれたノートに先程のマーカーで何かを書きこんでいるのが見えた。部屋には見た事のない無骨な機械が二台佇んでいる。
「おう、来たか」
「……ここは、何ですか?」
「お前を未来に送る為に作った部屋だ。でももう必要なくなった」
僕を未来に送る? 意味が分からないが、必要ないというのなら問いただすまでもないだろう。
ヤドリギは手元のノートから視線を僕に移した。
「さて、じゃあ語るとするか。俺とお前の、長い長い歴史を。時間がかかるかもしれんが、大丈夫か?」
「ええ、問題ありません」
僕は床に座り、ヤドリギの話を聞いた。その話は、あまりにも現実離れしていて、初めはお伽噺でも聞かされているような気分だった。だけど、とても興味深く、驚きと納得に満ち溢れ、僕はすぐに夢中になって聞き入った。
何よりも、ヤドリギの苦労と苦悩、そして、今までの全てのヤドリギが守ってきたという一人の人間をどこまでも大切に思っている気持ちが痛い程に伝わってきて、僕はヤドリギに――未来の自分に、同情せずにはいられなかった。
「……これが、俺の全て。そして、お前の過去の全てだ」
「え? ヤドリギは、僕の未来なのではないのですか?」
僕の疑問に、ヤドリギは微かに笑って答えた。こんな優しい表情、今まで見た事もなかった。
「お前は間違いなく、俺の未来だよ。何故ならお前は、俺の……今までの、一万九千九百九十九回の上凪総真が、悩んで苦しんで、絶望に打ちひしがれながら、少しずつ積み上げてきた答えの、その全ての先にいるんだからな」
そう言ってヤドリギは、机の上に置かれていたノートを僕に手渡した。それは何十年、何百年も使い込まれたようにボロボロになっていた。
「……これは、何ですか?」
「今までの俺達の、全ての記録だ…。絶望と憎悪の輪廻を打破するために、試行錯誤を繰り返してきた歴史だ」
表紙を捲ると、すぐに青く太い線が目に飛び込んだ。何か下に書かれていた言葉を打ち消すように、ページいっぱいに大きな×印が引かれている。×印の下には「殺せ」等の文字が見えるから、かなり物騒な事が書かれていたようだ。その上から、同じ青いマーカーで新しい文字が大きく上書かれている。
「その過去の重みを背負わせるつもりは無いんだが、総真にも知っていて欲しいんだ。俺達が、どんな道を歩いて来て、どんな答えに至ったのか……」
「ヤドリギの、至った答え……?」
「俺達の失敗は全て、一人で何もかも解決しようとしていたことだ。それは俺も、俺を育てたヤドリギも、世界を管理する神も、このループを作りだした最初の上凪総真だってそうだった……」
ヤドリギは、部屋の中央に冷たく鎮座する二台の機械を眺めて言った。
「周りの誰も信用できなくて、過去の自分さえ信じられずに、本当の事は告げないまま騙して欺いて、利用しているだけだった。でも、それではダメだと気付かせてくれる人がいたんだ。お前も知ってる霧島と――」
「内川……という人ですね?」
先程渡されたノートの最後のページには、青いマーカーで小さな一本の横線が引かれていた。それまでのページには無数の「正」の字が書かれているから、これは二万回のうち一度だけ実行されたアクションということだと読み取れる。
そこには、こう書かれていた。「内川に相談する」。
「ああ……そうだよ」
ヤドリギは懐かしく愛おしいものを思い浮かべるような、優しい微笑みを浮かべて答えた。
「だから俺は……総真、お前を信用して、信頼して、協力をお願いする。聞いて、くれるか?」
それは、ヤドリギから与えられる使命ではなく、ヤドリギからのお願い。越えるべき存在だった人から頼られている事が、誇らしく感じる。
この人が今まで歩いて来た果てしない道のりに、背負い続けてきた宿命に、大切なものを守り抜こうとする意思に、尊敬の念すら覚えた。
「ええ、もちろんですよ、ヤドリギ――いや、上凪、総真」
「ははっ、ありがとう、上凪総真」
未来か過去か、よく分からないけれど、目の前のもう一人の自分の名前を呼ぶのは、何だか気恥ずかしかった。
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