未来の私の事
内川は、近くの公園に俺を連れて行き、ベンチに座って俺の話を聞いた。
客観的に見れば、空想癖のある男の怪しい妄言にしか聞こえないような話だが、内川は笑うこともなく真剣に聞いてくれた。
俺が今までしてきた事、ヤドリギの事、俺の時間軸での内川との邂逅、屋上での約束。
未来での自分自身とのやりとり、世界が経験した破滅、自分に課せられた使命。
全てを静かに聞いた後、内川は口を開いた。
「そんな事が、起きてたんですね……」
「信じられないだろう? こんな、馬鹿げた話……」
「馬鹿げてなんていません!」
内川は少し怒ったように声のボリュームを上げてそう言った。
「あなたが、……あなたの世界の未来の私を、とてもとても大切に思ってくれてるのが分かって……、嬉しかったんです。だから、馬鹿げてるなんて、言わないで下さい」
「そうか……。すまない」
「それにしても、私、ちゃんと先生になってたんですね。ふふっ、嬉しいなぁ」
「教師になるのが、夢なのか?」
「はい!」
内川は笑顔で返事をすると、ベンチから立ち上がって俺の前に立った。
「生徒のみんなを幸せに導く! それってすごくやりがいのある素敵な仕事だと思うんです!」
幸せ、か。やはり内川は、この単語が好きなようだ。
「って、こんな夢語ってる場合じゃないですよね……。あなたの話によれば、世界を統治する神様の維持のために、私が殺されちゃうんですよね」
「不安な思いをさせて、本当にすまない……。でも、俺が必ず守るから」
「うふふっ、それなら安心ですね。それに、想定しない脅威よりも、来ると分かってる脅威の方が、対策の立てようがあるじゃないですか。やっぱり話してくれて良かったですよ」
「そう言ってくれると、助かる……」
「うーん、それにしても」
何かを考えているような仕草で、内川は右手を口元に当てて黙った。
「……どうした?」
「卒業するまで待っててーって、そんな約束するなんて、未来の私はよっぽどあなたの事が……好きだったんでしょうね」
「えっ?」
その言葉に驚くと、
「――えっ?」
俺の驚きを見て、内川が驚いた。
「……それは、好感の持てる人間という意味で、か?」
「うーん、まあそうなんですけどちょっと違うかなぁ。近くにいるだけで胸がドキドキしたり、ぎゅって苦しくなったり、暖かい気持ちになったりするやつです。恋とか愛っていう……もーう、こんな事言わせないで下さいよぅ!」
内川が顔を赤くして虚空を叩いた。
内川が……俺を? あの約束は、そういう事だったのか?
じわじわと顔が熱くなってくるのを感じた。何だこれは。何だそれは!
「えっ! もしかして、気付いてませんでした?」
「だって……、そんな事、言われなかった……」
「これは……驚きの鈍感さんですね……。未来の私に同情しちゃいますよ」
「う、すまない……」
頭を下げて謝ると、内川はクスクスと笑った。
「じゃあ、次の質問に答えられたら、許してあげます」
「……何だ?」
内川は両手を後ろに回し、真剣な表情で言う。
「あなたは、未来の私の事……好きでしたか?」
胸が締め付けられるように感じた。
聞かれているのは、「好感の持てる人間」ではなく、内川の言う「近くにいるだけで胸がドキドキしたり、ぎゅって苦しくなったり、暖かい気持ちになったりする」「恋とか愛っていう」やつなんだろう。
あの屋上で内川と話して、幸せを求めて、胸が苦しくなったり、高鳴ったり、その幸福な笑顔を見て、暖かい気持ちになったりもした。
これは、紛れもなく、疑いようもなく――
「ああ、どうしようもなく……好きだったよ」
内川の目を真っすぐ見据えてそう答えると、目の前の少女はくるりと後ろを向いた。
「うん……。それが聞ければ、十分です。私は、あなたを全力で信頼して、全身全霊で、あなたを助けます。あなたを、その苦しみから、救い出します」
「内川……」
ベンチから立ち上がり、一歩踏み出す。どんな言葉を告げれば、この感謝を伝えられるだろう。
少し手を伸ばせば触れられる距離で、内川は急に振り向き、笑顔で言った。
「だからっ」
その小さな細い手を上げ、人差し指を俺の胸に当てて。
「あなたの名前を、教えて下さい。こっちの私は、まだ名前も聞いてないんですよ?」
夕日が空をオレンジ色に染めていた。花壇の花がそよ風に揺れていた。
いつか内川が教えてくれた世界の美しさが、そこら中に溢れていた。
ヤドリギと、俺。
俺と、俺が育てる次の世代の上凪総真。
俺たちを取り巻き、縛り続ける、因果の鎖。
もしかしたら俺たちは、世界や人類を救うためなんかじゃなく、偽りの神を殺すためなんかでもなく、この小さな、一人の人間を守るためだけに、気の遠くなるような回数のタイムトリップを繰り返してきたのかもしれない。
俺の生きる意味が、俺が俺に課した使命が、この人を守り続けることであるなら――
そうだとしたら、悪くない。
かつての校舎の屋上で、内川が世界の暖かさを教えてくれた日のように、自然に微笑む事が出来た。まっすぐに、大切な人の目を見て名前を告げた。
「俺の名前は、上凪、総真だ」
内川は嬉しそうに笑って答えた。
「はい! かみなぎ、そうまさん。覚えました! 私の名前は、覚えててくれました?」
「もちろん」
もちろん、覚えていますよ。あなたの名前も、あなたの暖かく幸福な人格も。
目の前で微笑む内川が愛おしく、手を伸ばして頭を撫でた。内川は始め少し驚いたようだったが、くすぐったそうに目を細めていた。
「あ、あの……かみなぎさん?」
「何だ?」
「ちょ、ちょっと、恥ずかしいんですが……」
そう言われて、慌てて手を離す。公園で遊んでいた子供が、静かにこちらを眺めている事に気付いた。
「あ、ああ……すまない」
「い、いえ……」
押し黙っていると、内川がこらえられなくなったようにクスクスと笑いだした。それを見て、何故か自分も笑えてきた。
しばらく俺達は、夕日の燃える公園で笑い合った。こんなに笑ったのは、生まれて初めてかもしれない。
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