完全防音のこの部屋で

 総真が作った夕飯を咀嚼しながら、これからの事を考えていた。


 神は殺す。それは変わらない。あいつが俺の世界の内川を殺した事実は消えはしない。

 総真の育成をしつつ、この世界の内川を守らなくてはならない。何が理由か知らないが、内川を殺したのは自分の指示だと奴は言っていた。この世界でも同様に、内川を殺そうとするだろう。それだけは何があろうと防ぐ。


 ……だが、それは前のヤドリギもやっていた事だ。俺もそれを真似るだけでは、同じ事の繰り返しになってしまわないだろうか。


 黙々と食事をとる目の前の子供に声をかける。


「おい……」


「はい?」


「……お前は、何のために生きているんだ?」


 総真は一つまばたきをした後、答えた。


「それはもちろん、ヤドリギを越えるためです」


 そうだ。俺を越え、神を殺す為だ。

 でもそれは、俺が押しつけた復讐心、俺がお前に背負わせたエゴに過ぎない。


「ある人間が……、人は幸せになるために生きていると言っていた…。お前にとっての幸せとは、何だ?」


「僕にとっての幸せ……?」


 総真は微かに表情を変え、驚きの色を見せた。


「……分かりません。この会話に何か意味があるのですか? ヤドリギが意味のない雑談をするとは思えませんが」


「お前は……俺の信者か何かかよ…」


 どうすべきなのか、分からない。

 俺達はこのループを、もう二万回も繰り返しているんだ。

 同じ事の繰り返しになってしまうのか。それとも、もっと強くなれば何かが変わるのだろうか。



 総真が眠った後、カカシ部屋の奥、冷凍冬眠装置のある部屋に入り、ヤドリギが残したノートを捲った。

 眩暈がする程に書き連ねられた「正」の文字。これだけの回数を、俺達は失敗し続けているんだ……。内川を、失い続けているんだ……。


 今日内川に会ってから燻っていた復讐の業火が、再び勢いを増す。


(神を殺せ)


 幾重にも書き重ねられた怨嗟の文字が、網膜と思念に刻み込まれた憎悪の言葉が、俺の全身を、全霊を、縛り、締め付け、早く進めと叫び背中を叩く。

 こんなループ、これで最後にしてみせる。内川を守り、神も殺す。その為には、今までとは違う手段を探さなくてはいけない。


 ノートを捲り、これまでのヤドリギが行ってきた試みを見直していると、最後のページに折り畳まれた紙が挟まっている事に気付いた。

 ……そうか。十年程前、過去に飛ばされた時に、事故の衝撃で忘れ去っていた手紙か。そういえば、読んでいなかったな。

 三つに折られた紙を開き、中を読む。走り書きのような汚い字だ。



   悪いけど、勝手にお前のノートを見させてもらった

   お前がこんなにループしてたなんて驚いたよ

   苦戦しているようだから教えてやる

   お前が神様を殺したいと願うなら

   きっとそれはあいつの思う壺だ


   全部聞いただけの話だが

   初期段階ではお前も計画に盲目的に従順だったらしい

   でもループを繰り返す内に、ユキちゃんの存在がお前に

   個の人間としての意義を芽生えさせてしまった

   少しずつ神の存在維持が困難になり

   そこからプロトソーマはお前の復讐心を

   利用するようになったようだ


   お前一人で何とかしようとするな

   もっと周りを頼れ 信頼して 相談しろ



 手紙はこれで終わっていた。差出人の名前も無いが、きっと霧島だろう。俺が気を失っていた間に書いたんだろうか。


 乱雑な筆跡から、兵士やあの老人には気付かれないように急いで書いただろうことが読み取れる。という事は、この情報は霧島にとってリスクのあるもの。そして、あの老人達にとって知られたくないもの……ということか。


 いくつか気になる点はあるが、最大の関心はここだ。


 「お前の復讐心を利用するようになった」。


 これはどういう事だ。プロトソーマというのは俺が会ったあの老人の事だろう。俺の復讐が、あいつに神の存在維持のためいいように利用されているというのか?


 ……確かに、神を名乗ったあの男も言っていた。自分を殺しに来る自分自身を利用し、次代の神とする……と。


 まさかその為に、内川は殺されたのか? 俺に、ヤドリギに、復讐心を抱かせ、神を殺す為に育てた若い自分を、未来に送りこませる為に。そんな、馬鹿げた理由の為に!


「うああああああ!」


 溢れだす怒りの衝動に身を任せ、座っていたイスを壁に叩きつけた。激しい音が鳴ったが、完全防音のこの部屋は僅かな振動さえも外に漏らさなかっただろう。


 いつか俺を越えた総真を未来に送り復讐させるために作った部屋。冷凍冬眠装置。これらも、全て仕組まれたものなのか。


 それならば、俺は、どうすればいいんだ。


 未来にいる神を未来に行かずに殺す事はできない。だが奴らはあの遡及装置を使って内川を殺す為に刺客を送りこんでくるだろう。俺は、どうする事も出来ないのか?


「……いや、手はある……。過去にいながら、あいつを殺す手段が……」


 ゆっくりと固く右手を握り、親指を立てる。

 その手を、自分の喉元まで持ち上げる。


 俺を殺せば、未来の自分であるあいつも消える。

 この因果の鎖も、断ち切れる。


 何故もっと早く、こうしなかったのか。

 スピードを付けるため、右手と首の距離を開ける。


 内川が殺されたあの日に、俺は一度死を望んだ。

 あれが少し、先延ばしになっただけだ。


 何も恐れる事は無い。何も恐れる事は無い。

 目を閉じる。ゆっくりと息を吸い込む。


 右腕に力を込め、親指を自分の喉に突き立て――


(人はみんな、幸せになるために生きてるんだよ)


 ……突き立て、られなかった。


 目の奥が熱くなり、涙が溢れ出した。

 立っていられなくなり、床に膝をつく。


 そういえば、物心ついてから、泣いたのなんて初めてだ。

 涙とは温かいものだったんだな。


「内川……、俺の肩には、人類の運命がかかってるらしいんだ……。俺が生きてると、お前の命が狙われるらしいんだ……。それでも俺は、幸せになるために生きていいのか?」


   お前一人で何とかしようとするな

   もっと周りを頼れ 信頼して 相談しろ


「霧島……、俺は、どうすればいいんだよ……。誰に頼ればいいんだよ……」


 俺はただ、幸せになりたいだけった。

 どうして、こんな事になってしまったんだ。

 いつの間に、こんな所に来てしまったんだ。


 完全防音のこの部屋で、俺は気が済むまで泣き通した。

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