何があっても死なないでくれ

 霧島に今後の指示を与えるため、俺は夕方の住宅街を歩いていた。


 総真を効率的に育成するためには、やはり人間との交流や慣れ合いは無駄だ。俺の時にそうだったように、霧島には総真に人が近付く事を妨害させる。


 過去に来て知った事だが、霧島も俺と同様に身内を亡くしており、遠い親戚に引き取られたが、今は一人で暮らしているようだった。大方、望みもしない親戚との同居を拒絶したか、奴の方が拒絶されたかだろう。


 暫く人気のない道を歩いていると、前方に数人の人間が集まっているのが見えた。服装からしてガラの悪そうな男連中が、何かを囲っているようだ。

 車一台が通れる程度の道に、数人の男が群がっているので先に進めない。


「おい、何をしているお前ら。邪魔だ。どけ」


「あぁ?」


 男達が一斉にこちらを振り向いた。だらしなく奇抜な格好をした人間達の中に、怯えた表情で震えている一人の女学生がいるのが見えた。セーラー服を着ているから、高校生だろうか。


「んだテメェは」


「どけと言ったんだ。日本語が理解できないのか? 愚かなのは見た目だけではないようだな」


「んだコラ死にてぇのか! おいみんな、こいつボコろうぜ」


 男達は今度は俺を取り囲んだ。人数は七人。群れを作らないと虚勢を張れないのだろう。


「ボコローゼとはどういう意味だ? 聞いた事がない。それはどこの言語だ?」


「こういう事だよ!」


 殴りかかってきた男の拳を左手で掴み、そいつの腹部に右の拳を捻じ込む。男は唸り声を上げながら地面に崩れ落ちた。


「誰か教えてくれないか。ボコローゼとは何だ?」


 一人が倒れたのを見て男達は一瞬怯んだが、今度は四人が同時に襲いかかってきた。


「今のを見て力の差を推し量る知慮も持たないか。哀れだな」


 お前らのような奴の為に、内川は犠牲になったというのか。

 安易に力を振るうお前らのような人間がいるから、争いがなくならないんじゃないのか!


「ひ、ひぃっ、なんなんだよコイツ!」


 四人全てを打ち倒すと、残りの二人のうち一人は全速力で逃げ出した。


「くそっ! このままなめられて終われるかよ!」


 最後の一人となった男はポケットからバタフライナイフを取り出すと、まだ壁際に座り込んでいる女学生に向かって走り出した。


「きゃあ!」


 女学生が悲鳴を上げた。俺はポケットに手を入れ、取り出したコインを親指で弾く。小気味良い音を立て高速の弾丸となったコインは、男のこめかみに直撃した。


「ぐあっ」


 すかさず駆け寄り、顎を殴って気絶させる。地面に転がったナイフを拾い、胸のポケットにしまった。


「これは没収だ」


 女学生は未だに座り込んだまま固まっている。怯えた顔で俺を見上げていた。こいつを助けるつもりではなかったのだが、忠告をしておいてやろう。


「もうこの道は一人で通らない方がいい。こいつらはもう懲りたと思うが、今後は気を付けろよ」


「えっ、あ、あの……」


 俺の言葉に驚いたのか女学生が体を硬直させると、胸元で抱いていた腕の中から小さな猫が出てきて鳴いた。


「……そいつを、守っていたのか?」


「あ……は、はい。……この人達がこの子をいじめてるのが見えたんで、かばったら、今度は私が目を付けられちゃいました……あはは……」


「そうか……。お前は、この男達なんかより、よほど強いな……」


「えっ?」


 女学生は不思議そうな顔をしていたが、俺はもう話す事もないので歩き出した。


 他者を傷付け、命を奪うような力よりも、何かを守ろうとする力や意思の方が遥かに強いと、あの女学生を見て素直にそう感じた。それは威力や効果で測れるような強さではなく、もっと崇高な、気高いもののように見えた。


 それは、俺には無いものだ。


     *


 本当の強さとは何かを考えながら、霧島の住むアパートに向け歩いていると、後方から何者かが走り寄ってくる足音がした。先程逃げ出した不良の一人だろうか。ポケットに手を入れカラコールの用意をしていると、


「あ、あのっ!」


 それは女の声だった。振り返ると、先程子猫を不良から庇っていた女学生だ。


「何だ?」


 走って追いかけてきたのか、女学生は頬を紅潮させて息を弾ませながら言った。


「助けてくれたお礼を、言ってなかったので……。あ、あの、ありがとうございました!」


「お前を助けたのは偶然だ。例を言う必要は無い」


「でも……」


「……そうだ、お前は知っているか? あいつらが言っていたボコローゼとは何だ? 俺の知らない単語だったんで気になっていたんだ。フランスの菓子か何かか?」


 俺がそう聞くと、女学生はしばらく茫然とした表情で動きを止めた後、やがてこらえられなくなったように突然笑い出した。


「何だ? 面白い事でも言ったか?」


「あはは……、いえ、すみません……。あんまり可笑しかったから……あはは」


 女学生は笑いながら、俺に「ボコローゼ」についての解説をした。


「……そうか。集団で暴行を加える事への誘いの文句なのか」


「えーっと、まあ、そうですね。……ふふっ」


 先程とは違う穏やかな笑顔に、懐かしい誰かの面影が見えた気がした。


「あなたって怖い人かと思ったんですけど、全然そんな事ないんですね。安心しました」


 どこかで、同じような台詞を聞いた覚えがある。


「あの、ちゃんとお礼をしたいので、もしよければ、お名前を聞いてもいいですか?」


 名前、か。

 俺はこの過去の世界に来た時に、上凪総真という名前は捨て、ヤドリギとなった。

 この世界では本来いるはずのない存在だ。今の俺に名乗れる名など無い。


「あっ、名乗りもせずに突然名前を聞いたら失礼ですよね。ごめんなさい」


 俺が黙っていると女学生は何かを勘違いしたのか小さく頭を下げた後、太陽のような笑顔でその名を告げた。


「私の名前は、内川有希です。希望が有るって書いて有希です!」


 不覚にも、全身に電撃が流れたような衝撃を受けた。


 当然理解していたはずだった。この過去の世界ではまだ生きていると。

 それでも、まさか、こんな形で会ってしまうとは。


 内川……

 この人間の存在に、心が掻き乱される。決意が揺らぐ。

 俺を生かし突き動かす復讐心が瓦解しそうになる。


「あ、あの……どうしました?」


 内川が、俺を見上げながら不思議そうな顔で聞いた。俺の様子が変わったことを疑問に思っているのかもしれない。

 そういえば、高校で内川と初めて会った時も、驚いたような表情でこんな風に俺の顔をまじまじと見つめられた事があったな。


(やっとまた会えたと思ったのに、こんな関係ってひどいよ)


(……やっぱり、覚えてない?)


 ……そうか。

 そういう事だったのか。


 あの校舎の屋上で内川が泣いた日に言った言葉が、ようやく理解できた。

 きっとヤドリギも、こんな風に内川に会ったんだろう。 その前の俺も、そのさらに前の俺も、ずっとこうして、内川と会っていたのかもしれない。


 今すぐこの手を伸ばして抱きしめたい。会いたかったと叫びたい。

 でも、この世界の内川は、俺を知らない。あの屋上の約束もしていない。


 それに、かつて川辺の小屋で不良達を殺し血と罪に塗れた俺は、この暖かく幸福な人間の隣にいる権利はない。


「あのー、お名前……」


「俺の事はもう忘れろ」


「えっ?」


 あなたは俺と会うべきではない。

 でも、絶対に守る。誰からも殺させはしない。

 例えそれが、神の意志であろうと。


「恩を返したいと言うのなら……、何があっても死なないでくれ。……それだけだ」


 内川の顔を見ないように、背を向けて歩き出す。

 もう後ろから足音はついてこなかった。

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