ループ

 …

 ……

 ………


 ここはどこだ。僕は、どうなったんだ。


「気が付いたか?」


 霞む視界の中に、白衣を着た白髪の老人の皺だらけの顔が見えた。

 どうやら自分は、何かベッドのようなものに横たわっているようだ。全身が軋むように痛く、口の中は血の味がした。


「……お前は……何だ」


 自分で発した声の力の無さに驚く。


「私は、お前だよ。上凪総真」


 老人は、一かけらの温かみも感じ取れない枯れた声で答えた。


「……またか。もう、うんざりだ……」


 僕は一体、何人の自分に会えばいいんだ。まさかこいつまで、自分は神だとか言い出さないだろうな。


 ……神か。あいつは、恐ろしいまでに強かった。ヤドリギさえも比べ物にならない程だ。自分がまるで何も知らない子供であるかと錯覚させられるくらい、絶望的なまでに。

 自分の無力さを噛みしめていると、先程とは別の人間が視界に入り、僕に声をかけた。


「よう、ソーマ」


 思わず、目を見開いた。白衣を着たその容姿や声は五、六十代と思われたが、つい最近にも聞いた気がするその口ぶり。……実際は何十年ぶりになるんだろうが。


「まさか……霧島、なのか?」


 そう言うと霧島は、見慣れた表情でニカっと笑った。


「ははっ、ようやくお前を驚かせる事ができたな」


「……それはどういう意味だ?」


「いや、深い意味はないよ。お前はいつも仏頂面で、俺が何をしても笑ったり驚いたりしなかったからさ。さっきのお前の顔を見て嬉しかっただけだよ」


 何故か、こいつの顔を見ると安心する。まったく知らない土地でようやく知り合いに会えたような、そんな気分だ。


「ちなみに40年前にお前を冷凍冬眠装置に入れたのも俺なんだぜ。一台が起動したら俺に指示のメールが来るようになってたらしくてな。駆け付けたらソーマがぶっ倒れてるから焦ったよ。ははは」


 40年前? 冷凍冬眠装置?

 そうか。あの機械は、そういう事だったのか。


「ところで、何で霧島がここにいるんだ? ……いや、その前に、ここはどこなんだ? 今は……いつなんだ?」


「ここはお前の家さ。頭に『元』が付くけどな。今は世界連合の本拠地であり、研究所でもある。ちなみにお前が気絶してから三時間くらいしか経ってないから安心しな。時間跳躍はしてないよ」


「そうか……」


 痛む体を押してベッドから起き上がると、最初に視界に入った老人が僕に聞いた。


「もう動けるのか?」


「……問題ない」


「そうか……。ではお前を過去に飛ばす前に、少し話をしようか」


 過去に飛ばす、か……。どうやら僕は、失敗したようだ。ヤドリギから与えられた使命を、僕が僕自身に課した使命を、果たす事が出来なかったんだ。そして、次の上凪総真に、そのとがを背負わせに行くのだろう。


 老人は近くにあった椅子をベッドに寄せ、ゆっくりとした動作で座った。こいつも、僕の未来だと言っていたが、自分自身の面影は垣間見る事も出来ない。

 老人は、幾重もの絶望が張り付いたような表情を微塵も変えないまま淡々と語った。


「お前は知らない事だが、この世界は一度、破滅を経験しているんだ」


「……どういう事だ?」


「最大級の核戦争だよ。愚かな人間達の欲望や傲慢が争いを引き起こし、恐怖や復讐がそれを増幅し世界規模にまで広がった。幾度もの核兵器が各地で使用され、それにより環境は汚染され、動植物もほぼ壊滅し、辛うじて残った種も異変を来し始めていた。生き残った人間も、僅かに残された食糧や正常な土地を求め、さらに争い奪い合った……」


 それは、ヤドリギに正体を明かされ、未来に飛ばされ、自称『神』となった未来の自分と対峙した今の僕でなければ、笑い飛ばして相手にもしないような、あまりにも現実離れした話だった。しかし、それを語る、これも未来の自分らしい疲れ果てた老人の口調や表情はとても虚構を語っているようには見えず、僕が置かれている今の状況の原因や理由までも、見えてくる気がした。


「その状況を危惧した一部の科学者達が、あるプロジェクトを敢行した。かねてからの研究成果であった時間遡及そきゅう物質転送装置を不完全ながらも動作可能にし、一人の人間を過去に送り込んだのだ。死に向かう絶望の世界の歴史を、変える為にな」


「それが……僕なのか?」


 僕の言葉を聞き、老人は表情を変えないままわずかに鼻で笑った。


「……思い上がるな。お前など平和な世界でループを繰り返した劣化版に過ぎん」


「なっ……」


「過去に来たのは私だ。遡及装置でさかのぼれる期間には限りがあったので、一先ず戦争が始まる直前だったこの時代に来た。そしてここでもう一台の遡及装置を作り、この時代の私に使命を出したのだ。今よりさらに過去に行き、争いを治め世界を統べる絶対的な存在……『神』となるために過去の自身を育成しろ、とな」


 それが……ループの始まり、か。


「これで分かったか? お前の使命は次代の神となり、放っておけばすぐに争いを始める愚かな人類を絶対的な支配力で統治し、絶望に向かう世界を救うことだ。お前の双肩に全人類……いや、全生命の運命がかかっている事を忘れるなよ」


 そんな事を言われて、すぐにそうかと納得できる程僕は出来た人間ではないようだ。世界も人類も僕にとってはどうでもいい。今はただ、ある一つの事だけが知りたい。


「……顛末てんまつは理解した。だが、分からない事がある。何故そのループの度に内川が殺されなければならない。教えろ!」


「……それは私の知った事ではないな。神の考えは神のみぞ知る、というものだ」


「ふざけるな! お前なら知っているはずだ!」


 老人は僕の問いには答えないままひとつ息を吐き出すと、気だるそうに椅子から立ち上がり、ゆっくりと扉に向かいながら話した。耳を澄まさなければ聞き取れないような、微かな声で。


「少なくともこれだけは言える……。私の世界の内川は、最後まで争いのない世界を望み、その願いを私に託して死んでいったよ。何発もの銃弾を体に撃ち込まれてな」


 老人はドアノブに手をかけ、こちらを振り返らないまま、


「霧島、あとはやっておけ」


 そう言い残して部屋を出て行った。老人が出た扉から、妙な制服を着て銃のような武器を持った男が三人、入ってきた。ここのガードマンか兵士だろうか。


「やれやれ……。いつまで経ってもソーマさんには逆らえませんな」


 霧島が両手を広げ、肩をすくめて皮肉気味に言った。


「……僕をどうする気だ?」


「さっき言ってただろ? 過去に行ってもらうのさ。世界を救う為にな。お前を過去に送り続けないと、神の存在を維持できないんだとさ」


 二人の兵士が僕の腕を掴み、ベッドから立ち上がらせた。抵抗したかったが、全身の疲労と痛みでまともに動けない。兵士達は僕を引きずるように、部屋の奥にある巨大な装置に連れて歩いているようだ。その後ろから霧島が付いて来る。


「霧島! こんな事で、本当に世界を救えるとでも思っているのか!」


「それについては否定できないなぁ。実際今は世界規模の戦争を阻止できてるし」


 兵士の一人が装置の扉を開け、残りの二人がその中に僕を押し込んだ。


「こんな計画、僕が望まなければすぐに破綻するじゃないか!」


 霧島が装置に近付くと、兵士はすっと場所を開けた。ここでの霧島はそれなりの地位にいるのだろうか。


「そう出来ないようになってるんだよ……」


 兵士には見えない角度で、霧島は苦渋に満ちた表情でそう言うと、厚みのある茶色の封筒を僕の胸元に押し付けた。


「ホラよ。お前の時代の役所手続き書類とかだ。じゃ、後はよろしくな。あ、そうそう、装置が動き出したら目を閉じとけよ。発狂したくなかったらな」


 霧島はそう言いながら、装置の分厚い扉を掴み、ゆっくりと閉じ始めた。部屋の光が扉に遮られ、徐々に暗くなっていく。


「内川はあいつの指示で殺されているんだぞ! お前は何とも思わないのか! 霧島ぁ!」


 隙間から差し込む光が線となって消え入りそうになった時、霧島の声が聞こえた。


「ユキちゃんを頼んだぜ、ソーマ」


 扉の閉まる音と同時に、僕は完全な闇に包まれた。


「くそっ……。どいつもこいつも、責任を押し付けるくせに情報は与えない!」


 幾つかの電子的な操作音の後、猛烈な音が周囲を取り巻いた。それはすぐ近くで大量のダイナマイトが爆発するような、天使達が耳元で終焉のラッパを吹き鳴らしているような、そんな気の狂いそうな轟音だ。


 目を瞑り、歯を食いしばる。並行感覚がなくなり、自分が立っているのか寝ているのか宙に浮いているのか分からなくなる。目を閉じているはずなのに、闇の中に無数の星のような光が煌めき、それらが軌跡を残しながら後方へ高速で流れて行く。次第にこの感覚の世界は眩い白で満たされていく。


「まだなのか、霧島っ……」


 鳴りやまない爆音と、目を焼くような光。

 重力が乱れ、肉体は千切れるような痛みを感じる。

 次第に感覚がなくなり、意識の糸が途切れそうになった時、


 僕は見慣れた土地の道路に立っていた。

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