神薙ぎ
気が付くと、一筋の光も見えない闇の中に横たわっていた。
頭が混乱している。……というよりは、旧型のPCを立ち上げた時の様に、ゆっくりと起動している最中のような感覚だ。
ゆっくりと、ゆっくりと、体が、脳が、活動を再開する。
何だか、とても寒い。
何故か背中が痒くなってきた。胸や腹部も痒い。
全身の猛烈な倦怠感を堪え、腕を動かして痒い部分を掻こうとしたら、すぐに壁のようなものに当たった。
右手も、左手も、右足も、左足も、少し動かしただけで壁にぶつかる。
狭い。ここは狭い。
思考が徐々にはっきりしてくる。
暗い。狭い。閉じ込められている!
「うわああぁ!」
ようやく覚醒した全身の力で天井を押し上げると、それは
差し込んだ光が、パニックになりかけた心を落ち着かせる。
乱れた息を整え暫く呆然とした後、思い出したように全身を掻き毟った。
ここは、カカシ部屋の奥の白い扉の部屋だ。目の前に、先程ヤドリギを寝かせた機械がある。いつの間に僕はこの機械に入れられたのだろうか。
いや、問題なのはいつ入れられたかではなく、何者かの意思が働いているという事だ。この家には僕とヤドリギ以外、人間を入れた事は無い。ヤドリギは意識を失い、僕が目の前の機械に格納した。にも関わらず、僕はもう一つのこの機械に入っていた。誰が……何の為に……。
考えても分かるものではない。ひとまずこの部屋を出よう。
やけに重く感じる体を動かし、扉のノブを回して開いた。
「なっ!」
そこは見慣れたカカシ部屋ではなかった。
壁も床も天井も全てが白い部屋。壁には無数のディスプレイが輝いている。その部屋の中央に、黒い革が張られた尊大なイスに腰かけた人間が一人。
その人間がイスを回転させ、僕の方向を向いて口を開いた。
「来たか、我がラーフラよ」
白いスーツに包まれた体は細身だが鍛えられた筋肉を感じさせ、冷たい日本刀のような、近寄るだけで切り裂かれそうな異様な雰囲気を漂わせている。整った顔立ちには所々に皺が刻まれ、目元には大きなクマができているが、そこから覗く瞳には漆黒の炎のような猛々しいエネルギーを感じる。見た目から年齢を推測すると、五十代くらいであろうか。ヤドリギに、どことなく似ている気がした。
壁のディスプレイには、それぞれにどこかの監視カメラのような映像が映し出されている。時折映像が移り変わり、激しい戦争のようなシーンが流れている。
男の横のデスクには、漆黒の
僕の言葉を待っているらしい男に向けて、口を開いた。
「お前は、何なんだ」
「愚かな質問だ。ある程度の想定はしていたのだろう?」
男は背もたれに身を埋めたまま、腹の前で両手の指を組んで続けた。
「私は、神だ」
(神を殺せ)
ノートに書かれた文字がフラッシュバックした。
「……ふざけるな」
「ふざけてなどいない。世界は神の存在を望んだのだ。私がその願望の結果だ」
(話を聞いてはならない)(すぐに殺せ)(偽りの神)
ノートに書かれた文字が映像に紛れ込むノイズの様に脳裏に響く。
「……世界が望んだだと?」
「そうだ。人類は惰弱な存在だ。終わらない戦争、腐敗する政治や組織、下らない差別、愚かな犯罪、環境破壊……。世界は混沌と苦痛に溢れている。完璧な判断と冷徹な処置を下せる絶対的な存在、誰もが信頼し
「独裁支配でもするつもりか」
「勘違いするな。私は支配者ではない。管理者だ。人間達とこの世界に、恒久的な平和と安定、秩序をもたらす存在だ」
完全な平和。
何故か内川の笑顔が浮かんだ。胸が苦しくなる。
「……そんな絵空事、どうやって実現すると言うんだ」
男は、僕にそう聞かれるのを知っていたかのように薄く笑うと、答えた。
「私は世界中の兵器とネットワーク、インフラと物流のコントロールを掌握した。今はこれを盾に各国を取り込んでいる所だ。効率的に人心を操作するには恐怖が適しているからな。そういう意味では、初めのうちは支配と言えるかもしれん。
だが、世界の統一が果たされ、全人類が私のコントロール下に入った後、全ての兵器を廃棄する。国家や人種という垣根を取り払い、あらゆる人間を一つのグループとし、完全なる管理の元、ユートピアの実現を行うのだ」
「ふん、馬鹿げているな。そんな理想論で戦争や犯罪を根絶出来るとは思えん」
「ああ、私もそう思うさ。人間の
その代わり、私に従うあらゆる人類に平等な幸福を保証するのだ。個々人が十分に満ち足りていれば、愚かな奪い合いや争いは消滅すると私は考えている」
「……ちょっと待て、今、進行形での話のように聞こえたが……」
「ああ、既に世界の87%は私の管理下にある。無駄にプライドだけが高い国々は、未だ抵抗を続けているがね。それも時間の問題だろう」
どういう事だ。今までそんな話は聞いた事が無い。こいつの話からして、一般市民には秘密裏に行われているとも考えられない。ただの狂った男の妄言か、それとも……
「今……西暦何年だ」
「ふっ……ふははははは!」
僕が聞くと、男は大声で笑った。
「……何がおかしい」
「いや、失敬。その可能性に気付いた事に敬意を払おう。君が知らないのも無理はないしな」
「何がだ!」
「西暦など、20年前に終わったよ。今は、UnifiedCentury……統一歴20年だ」
……やはり。こいつが本当の狂人でもない限り、この世界は、僕がさっきまで過ごしていた世界の……未来だ。あの部屋で、僕は一体何年眠らされていたんだ!
「フン、少しは理解して頂けたかな」
男は両手をヒラリと広げ、話を続けた。
「今は君の知っている世界の未来であり、この世界は既に神による統治が始まっている。実際に私の管理下に入った国々からは、人間同士の愚かな殺し合いは根絶しているよ」
「それは……恐怖で押さえつけているだけではないのか。それに、反抗する人間は殺していると言っていたじゃないか。それだって、愚かな殺し合いだろう」
「それは殺し合いではない。神の意思による裁きだ。秩序を乱す因子を取り除いているに過ぎん」
こいつには、何を言っても無駄だ。自分を神と信じて疑っていないようだ。しかし、こいつは神なんかではなく、人間だ。
例え本当に全世界を支配しようと、こいつはいつか老い
「……もし、それで楽園を実現できたとして、お前だって人間だろう。何れは死ぬ。永遠の平和なんて不可能だ」
「そう、私は死ぬ。しかし、神の存在は
そう言うと男は足を組み、嘲笑するような笑みを浮かべて僕を睨んだ。
「今の私の目的は、君を懐柔する事だ」
「……神が僕ごときに何の用だ」
「君の目的は、私を殺す事であろう」
生まれて初めて、冷や汗というものが流れた。ヤドリギ以上に、こいつは全てを把握している。それが直感的に分かった。
「……だとしたらどうする?」
僕の問いを受け、男は低い声で笑った。
「動揺しているようだな。私は君の全てを知っているぞ。君は私を殺せないという運命もな」
「何故そんな事が言える」
「私は、君の未来だからだ」
またか……。男の顔を見た時に、多少の推測はしていた。それにしても、何なんだ、僕を取り巻くこの因果は。無限ループの中で自分自身を強化教育して、その行く末がまさか自称「神」だなんて、滑稽の程を越えている。笑えないし、絶望すら感じる。
「私を殺せば、君の未来も消える。よって君は私を殺せない」
こいつを殺せば、僕の未来が消える……?
ヤドリギが僕に詳細を伝えなかったのはこれが理由なんだろうか。何も考えず、話も聞かず、ただ目の前のターゲットを殺せ、ということか。
だが、こいつが本当に僕の未来だとしても、それはヤドリギにとっても同じだったはずだ。未来の自分を、過去の自分に殺させる……。そうまでして、この無限の鎖を断ち切りたかったのだろうか。
「……だがそれは同時に、お前が僕を殺せないということも意味しているぞ」
「もちろん分かっている。だから私は、君を利用する。私が老いた後、君が私の跡を継ぎ、世界の管理を継続する。さらに君は、君を殺しに来る自分自身を利用し、未来の神とするのだ。これを繰り返す事で、永劫の管理が可能となる」
兵器のない世界。
完全なる平和。永遠の平和。
それは、内川の望んだ世界……?
それを、僕の手で実現できるというのか……?
いや、待て。
ヤドリギの……過去19998回の僕の復讐の対象がこいつであることは明白だ。
そして、ヤドリギはこう言っていた。内川を守っていたが、やつらに邪魔され、そして殺された、と。
「内川を殺したのは……お前なのか……?」
「私自身ではないが、私の指示によるものだ」
奴は一切の表情も感情も変える事無く、冷酷に告げた。
怒りが、憎悪が、脳を激しく叩く。目眩がする。呼吸が乱れる。頭を両手で抱えていないと、とても精神を保っていられそうになかった。
「何故だ! 何故そんなことを! あの人が何をしたと言うんだ!」
「その理由を聞けばお前は納得するのか?」
「納得なんてするか! どんな理由であろうと僕はお前を許さない!」
「……許さない、だと?」
男は椅子から立ち上がり、僕を見下ろして言った。
「神が人間に許しを請うとでも思っているのか?」
「……悪いが僕は人間じゃない。お前を貫くヤドリギの刃だ」
最大限の憎しみを込めて、目の前の『人間』に向けてサムズダウン。
その指には、ヤドリギの血の色がまだ微かに残っていた。
「私の過去が、私に歯向かうか……。先程言った事を忘れたか? 私を殺せば君の未来も消えるのだと」
「そんな事、もうどうだっていい! お前を殺して僕も消える!」
醜悪に燃え盛るどす黒い感情が、体を突き動かす。
殺してやる。殺してやる。ヤドリギに対峙した時以上の殺意が止めどなく溢れだす。
僕は、『神』に向けて血塗られた刃を突き出した。
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