19999
今まで聞いた事のない、感傷的な声と言葉だった。ヤドリギの想定外の態度と言葉に、いつの間にか僕の殺意は完全に削がれてしまった。
ヤドリギは目元を覆う手を下ろし、ソファに座ったまま僕を見上げた。その目は
「……俺は、未来のお前だよ、総真……」
始めて僕の名前を呼んだその言葉は、優しく諭すような声だった。
「何を……言っている……」
「いや、正確には、過去のお前と言った方がいいんだろうか……。お前は、俺を踏み越えて未来に進むのだからな……」
「どういうことだ! 説明しろ!」
僕が声を荒げると、ヤドリギは力なくも優しく笑った。
「だからさっきから言ってるだろう……。俺は、お前を俺よりも強く賢く育てるために、未来から送られてきた、お前自身だ」
僕は完全に停止していた。体も、思考も。
ちょっと待て。何だそれは。ヤドリギは何を言っているんだ。
こいつが……僕自身だって?
傷が痛むのか、血を流し過ぎたのか、ヤドリギは苦しげな息を吐きながら続けた。
「あまり時間はないから、簡潔に言うぞ。お前は俺を信用していないだろうが、これから話すことは、お前にとって最も大切な事だ。心して聞いてくれ。頼む……」
いつだったか、ヤドリギが言っていた言葉をふと思い出した。俺を越えたら、全て話してやる、と。今が、その時ということなのか。
こいつの言う通り、僕はこの男を信用していないが……話くらいは聞いてやってもいいかもしれない。そう思えるほど、今、僕の目の前で苦しげに僕を見上げる男は、今までのヤドリギとは違って見えた。
「いいだろう……。話せ」
「まず、内川を殺したのは……俺じゃない。殺すよう仕向けた訳でもない」
「なっ……」
この期に及んで自分の罪を認めないつもりか。静まりかけていた怒りがまた沸々と湧き上がってきた。
「さっきお前は認めていたじゃないか! 東城達に内川を殺させたと!」
「ああ言えばお前の怒りを煽れると思ってな」
「くっ」
ヤドリギが東城達を動かしていた訳ではない? それが嘘である可能性もあるが……訳の分からなさに、頭が痛くなってくる。
「じゃあ何故、今日僕にあの工場に向かえと言ったんだ。内川の死を知っていたんじゃないのか!」
「俺は内川を守る為に動いていたんだ。内川に気付かれないよう、密かにな。しかし今日は、妨害が入った……。俺が目を離した隙に、あいつらは内川を攫い、廃工場に連れ込んだ。そしてそこで……殺したんだ。俺が駆け付けた時にはもう遅く、死体の処分を命じられた下っ端がいるだけだった。俺はそいつを殴って気絶させ……」
「おい、ちょっと待て! お前が内川を守る? 何故だ。何から守るっていうんだ。内川は誰かに狙われていたのか? 東城達なのか? それに妨害って何だ」
「俺は、お前だ。お前が、内川に惹かれたように、俺も内川を……」
ヤドリギはそこで苦しそうに躊躇い、視線を落として言った。
「愛していたんだ」
……眩暈がする。ヤドリギが、未来の僕で、そいつも内川を想い、密かに守り続けていた?
「そんな話……信じられるとでも思っているのか……」
「俺とお前が同一人物であると証明することは簡単だ。指紋でも、静脈でも、遺伝子でも、全て完全に一致するはずだ。俺がこんな嘘をつくメリットがないだろう」
確かに僕を騙す事のメリットも見つからないし、今のこいつが嘘をついているようにも見えない。でも、だからこそ分からなくなる。
「一体、内川は何者なんだ……? 誰に狙われているんだ?」
「内川は、普通の人間だよ。何の変哲もなく、ただ平和で、お人好しで、幸福な人間だ」
ヤドリギは下を向いたまま静かに微笑んで言った。懐かしい人を、思い浮かべるように。
こいつは内川を知っている。それは確かなようだ。
「異常なのは、俺達の方だ。未来から過去に飛ばされ、自分自身を強化教育し、そいつがまた過去に飛んで自分を育成する……。自らを無限ループの中に置くことで、永遠の進化を試みる……。それが俺達だ。内川は、その妨げになるという理由で、殺されるんだ……。俺達が、愛してしまう……せいで……」
僕達が、愛してしまうせいで、内川が殺される? 何だ、その馬鹿馬鹿しい理由は。
「霧島が言っていた……、僕と内川を近付かせないようにしていたのも、内川を……守るため、なのか?」
「そうだよ。高校を指定したのも、前回内川が勤務していた場所を避けるためなんだが…、何故かいつも、俺達が入る高校にあいつは赴任してくるんだ。俺の時もそうだった…。お前を高校に通わせないという選択肢もあったが……俺の心は、それを選べなかった……」
「さっきから、それを何度か繰り返しているような言い方だが……お前が僕の未来だとして、今は……何回目のループなんだ?」
「……お前は、一万九千九百九十九回目の上凪総真だ。つまり内川は、それと同じ回数殺されている事になる」
目の前が暗くなった気がした。体の力が抜け、僕は床に膝をついた。一万九千九百九十九回……。
そんな途方も無い回数を、僕は……僕たちは繰り返し、その度に内川は殺されているというのか。
「なぜ、僕なんだ……。そんな馬鹿げた計画があるとして、何万回も支障をきたして失敗しているなら、他の人間に変えればいいだろう……」
「失敗ではないさ……」
ヤドリギは静かにそう言うとゆっくり立ち上がり、僕の前に立って右手を差し出した。
「お前は俺よりも強くなった。そうやって俺たちは、
少し躊躇ったが、ヤドリギの右手を取る。僕よりも少し大きく、カサカサと乾燥した、固い手……。自分自身に腕を引かれ立ち上がるというのは、不思議な気分だ。
何をするつもりかと聞こうとした時、突然ヤドリギの体が前に倒れ、僕の体にもたれかかった。
「おい、どうした」
「情けないな……。意識を失いかけた……」
「当然だ、傷口から血が流れ続けてるんだ。お前は休んでいろ」
「俺はもう、いいんだよ……。それより、頼みがある……」
ヤドリギの顔は少し青白く見えた。かすれたその声は、今にも途切れそうだった。
かつて、僕はこいつを越える事だけを求めていた。求め……させられていた。
そしてついさっきまで、殺したい程に憎んでいた。
それでも、この憔悴しきったヤドリギの姿を見ると、憐れみのような気持ちしか感じ得ない。
「……何だ、言ってみろ」
「これを……」
ヤドリギはシャツの首元から下げていた何かを取り出し、僕に渡した。見慣れない形状だが、何かの鍵のようだ。
「それでカカシ部屋の奥の白い扉を開けて、そこにある機械の中に俺を寝させてくれ。それからの事は、ノートにまとめてある。……頼む」
ボソボソとした声で告げた後、ヤドリギの体が重くなった。気を失ったのか。
カカシ部屋とはいつもヤドリギと鍛練や組み手をする部屋だ。その奥に何があるのか、いつからか気にすることさえなくなったあの白い扉……。
僕はヤドリギを背中に担ぐと、未来の自分自身の重さを感じながら、ゆっくりと歩いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます