僕は、あいつを、

「使命……だって?」

「そうだよ。校内でのお前の保護、監視、誘導。それが俺の使命だ!」


 霧島が再び白銀の剣を突き出す。斜め後ろに飛び退き、それを避ける。


 保護、監視、誘導……。どういう事だ。何故、何の為に、こいつが僕の保護や監視や誘導をする必要がある。まさか、小学、中学、そして今の高校にまで纏わり付いてきたのは、その使命の為だというのか。


「……それは、誰から与えられた使命なんだ?」

「……」


 霧島は何も言わず、再度剣を突き出した。先ほどのような勢いが無く、多少の迷いを感じる。


「僕を守る使命を持つお前が、僕を襲っていいのか?」

「もう、そんなのは、どうでもいいんだよ!」


 何度も剣を突き出す。その度に斜め後ろに飛び退いて避ける。


「俺は! 俺はッ!」


 霧島は顔をくしゃくしゃにし、涙を流し始めた。最早剣も突くのではなく振り回すだけだった。銀色に輝く剣が、風を切る低い音を立てている。


「俺は……、本気で……内川先生に、惚れてたのに……」


 そう言うと、霧島は床に座り込んだ。嗚咽を漏らしながら泣いている。


「霧島……」


 霧島が、内川に惚れていた?

 それは僕が抱いていたものと同じ感情なのだろうか。

 胸の辺りに、かつて感じたような苦しみが湧き上がった。

 いや待て、それよりも、今の口ぶりからすると、こいつは内川の身に何が起きたかを知っているのか?


「霧島……、とりあえず、立てよ」


 剣を握りしめたまま泣き伏せる霧島に近寄り、右手を差し出す。


 いつも元気で騒がしい人間がみすぼらしく泣いている様は、あまり見ていて心地良いものではない。こいつにはいつものように、軽い調子で笑っていて欲しいと、今は思えた。


「何で……」

「え?」


 霧島が何か呟いた。

 直後、剣の切っ先が動いたのが見えたが、避け切れない距離だった。


「ぐっ!」


 しまった、完全に油断してしまった。

 みぞおちの辺りに激痛が走る。霧島の右手から延びる銀色の細い棒が、僕の腹部に突き刺さっていた。剣先は殺傷能力を持たせないよう丸められているが、それでも鋭く抉られるように痛い。


「何で……ユキちゃんを殺したんだ」

「な、なんだと……?」


 霧島がゆっくりと立ち上がった。僕は腹部を抑えながら後ろに下がり、距離を取る。痛みで素早く動けない。


「お前程の奴が、何でユキちゃんを殺したんだよ……。あの人を殺して、お前に何かメリットがあんのかよ! それがお前の使命だとでも言うのかよ!」

「……ちょっと、待て、何か、誤解があるようだぞ」


 僕が、内川を殺したと、こいつはそう言ったのか?


「あんなに優しくて、幸福な、温かい人間を!」


 霧島が再び、猛烈な勢いで剣を突き出した。僕の顔面を目がけて迫り来る剣先を、右手で辛うじて弾いた。


「くっ……」

「何故殺したと聞いてるんだ!」


 霧島が赤くなった顔と目で僕を睨み、剣先を僕の喉元に向けて固定した。


「僕は……殺していない」

「嘘をつくな!」

「嘘などついていない!」


 霧島の怒声に、こちらも声を張り上げて返すと、霧島は少し躊躇いを見せた。剣を持っていない左手で、口元や顎の辺りをさすっている。


「僕が殺したなどと、誰かから聞いたのか?」


 そう聞くと、霧島は左手で頭を抱えた。視線がフラフラと焦点を失い、髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し始めた。


「じゃあ、なんで……、あの人は、……いや、もしかして……」


 ぼそぼそと何かを呟いている。錯乱しているようだ。


「誰かにそう言われたんだな。それは誰だ」


 このタイミングだ。単なる嫌がらせとは思えない。内川の死を知っていて、それが僕の手によるものだと霧島に伝えた?


 あの工場にいた男は、内川を襲ったのは七人だと言っていた。そいつは立ち上がれないほど痛めつけたし、残りの六人は殺した。他にもいるのか? 内川を襲った場にはおらず、全てを知りながら、その罪を僕に被せようとした人間が……。もしかしたら、そいつがこの悲しみと憎しみと絶望の引き金を引いた人間かもしれない。


 そいつは誰かと聞きながらも、違和感を感じていた。誰か知らない人間にそう吹き込まれたくらいで、こいつがここまで信じ込むだろうか。


「教えてくれ、僕が内川を殺したと、誰がお前に伝えたんだ」

「それは……、でも……、俺はあの人の名前を知らない……」


 名前を知らない? やはり霧島の知らない人間なのか?


「じゃあ特徴を教えてくれ。男か、女か、年齢はどれくらいかとか、何でもいい」


 霧島は、手にした剣を床に落とし、両手で頭を抱えながら話し出した。レイピアの護拳が床でバウンドして転がる音が、仄暗く湿った体育館に響く。


「男で、年齢は三十代くらいだと思う……。名前を聞いた事があったんだけど答えてくれなくて、代わりにこう言ったんだ……」


 嫌な予感がした。目と耳が、僕の全身が、霧島の声と口元に集中する。



「自分は、『ヤドリギ』だと……」



 全身が総毛立った。こんな感覚は生まれて初めてだ。衣服に触れる皮膚が痛いくらいだった。


 今度は僕が頭を抱える番になった。ヤドリギが、内川の死を、僕の仕業だと霧島に告げた? 何故? 何の為に?


 そういえば、僕に工場に行けと凄んで命じたのも奴だ。あの時に既に内川の死を知っていた?


 忘れかけていた違和感が次々と浮かんでくる。

 何故ヤドリギは僕に工場に行くよう命じたのか。

 何故工場にいた男は気絶していたのか。

 何故最後に立っていた男は何も抵抗せず、僕を嘲笑するように笑ったのか。

 分からない。考えても何も思いつかない。

 ただ、一つ浮かんだ予想を霧島に聞いてみた。


「もしかして……お前に使命を与えたのも、ヤドリギなのか……?」

「そ、そうだけど……。ソーマもヤドリギを知ってるのか?」


 何故だ。頭が痛くなってくる。

 ヤドリギが、霧島に、僕を保護監視誘導するよう命じていた。いや、保護、監視はまだ分かるが……


「誘導というのは……何への誘導なんだ?」


 霧島が頭を抱えながら答えた。自分で言っていることに驚いているように見えた。


「ソーマが人と慣れ合わないようにする……。ソーマを人から遠ざける……。だから俺は、クラス替えとか進学とかした後は、ソーマの悪い噂をなるべく自然に広がるように流してたんだ……。何で、こんなことしてたんだろう、俺……。でもそれが、俺の使命だって……」


 意味が分からない。ヤドリギは一体何をしたいんだ。僕をどうしたいんだ。


「ソーマの制服に、盗聴器を仕込んでもあったんだ……」

「なにっ?」


 疑問が怒りに変わった。盗聴器まで仕掛けて、監視していたのか……


「ソーマがユキちゃんと近付くのを、あいつは止めたがってた……」

「何故だ!」

「俺だって知るかよ! でも、俺も、止めたかった。使命とかじゃなく……。あの人の隣に、いたかった……」


 混乱する頭を押さえつける。考えろ。情報を整理しろ。


 霧島の使命が幼少の頃からのものだとすると、ヤドリギが霧島に接触し、使命を与えたのが一番初めか。

 高校に進学する際、ヤドリギは僕にこの高校を指定した。その時に霧島にも同じ所に行くよう命じたのだろう。小中学は場所を指定された覚えは無い。学校を選ぶ余地がないからだろう。

 ヤドリギは霧島を使い、僕を人から遠ざけさせた。盗聴器で会話を聞いてもいた。そうか、内川との約束を奴が知っていたのもそのせいか。


 まてよ。ヤドリギは僕が内川と近付くのを止めたがっていたと霧島は言った。じゃあ何故奴は高校まで指定したんだ。……いや、この疑問は意味を成さないか。内川が高校に来たのは、僕が入学した後だからな。


 そもそも、何故ヤドリギは内川を知っているんだ。何のために内川と僕の接触を防ぎたかったんだ。僕が内川と近付く事が、何か問題になるのか?


 そこまで考えて、ある可能性が心に浮かび上がった。

 ヤドリギは、僕と内川の接触を止めたがっていた。僕が人の心を持つことが、道を遠ざけるとも言っていた。そしてヤドリギは、内川の死を知っていた。


 全てが、奴に収束する。


 ヤドリギが、内川を殺すように東城達に仕向けた。


 廃工場の男を蹴った時や、東城達を殺した時よりも、さらにどす黒く熱い怒りの業火が、心を埋め尽くしていく。


 奴は、僕が奴を越えることを何よりも求めていた。内川を殺し、偽りの情報で霧島を煽り僕と戦わせたのも、全ては僕の怒りを奴に向けさせる為なのだろう。そうまでして……そうまでして、奴を越えることに、一体何の意味があるというんだ。


 痛い程拳を握りしめ、奥歯を噛みしめていることに気付いた。


 いいだろう。お前の望み通り、僕はお前を越えてやる。この怒りを、憎しみを、絶望を、全てお前に叩きつけてやる。僕の刃で、お前を貫いてやる。


「霧島……」


 茫然と立ち尽くしている霧島に告げた。


「僕は、あいつを、殺すぞ」

「……は?」


 霧島は力ない表情を僕に向ける。


「僕の使命を、遂げる時が来たようだ」


 歩き出した僕を、霧島は何も言わずに見送った。


 学校を出て、鋭く突き刺す刺の様な月明かりの中、最大限の殺意を持って、僕は家へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る