俺と戦え

 家に直帰する気になれず、ブラブラと適当に道を歩いていたら、高校の校舎が見えてきた。内川とよく話をしたあの屋上から飛び降りるのもいいかと思い、開け放ちの校門を抜けて敷地に足を踏み入れると、校舎の入り口に誰かが入っていくのが見えた。こんな時間に何の用があるのだろうか。


 そもそも夏季休暇中の校舎に施錠もされていない事も不思議だったが、職員室に明かりがついているのが見えるので、一部の教師達は中にいるのかもしれない。内川の死は……きっとまだ誰も知らないのだろう。そう思うと、心臓の辺りが少し痛んだ。


 先に入った人間を気にせずに僕も中に入る。夜の校舎は普段とは違う顔を見せ、窓から差し込む月明かりが不思議なほど明るく感じた。


 階段を登り、屋上を目指す。やけに体が重い。疲れているのだろうか。それとも、精神的なものだろうか。


 屋上に出る扉のノブに手をかけたが、わずかしか回らない。そうか、どうかしていた。正面玄関は出入りのため開けていても、こんな所を施錠しない訳がない。


 冷たいドアノブを握ったまま、しばらく僕は止まっていた。思考が停止していた。何故、こんなことになってしまったんだろう。内川が殺されて、僕は六人の人間を殺した。そして今僕は、死に場所を探している。


 親指に付着した幾人もの血液は完全に凝固し、指を動かすとボロボロと剥がれた。


 何が原因だ。誰のせいだ。それはもちろん、あの愚かな東城達のせいだ。でも、本当にそうなんだろうか。強姦や強盗などで殺される人間は世界中で後を絶たない。何故人間は人間を殺すのか。それは、欲望のためだ。醜く汚れた愚かな欲望。僕があの男達を殺したのだって、復讐したい、内川と同じ苦しみを与えたいという欲望の為かもしれない。


 何故人間は欲望を持ったのか。他者を欺き、利用し、奪い取り、殺す、罪深い我らの欲望。何故だ。何の為に。


 我らの進化の起爆剤、あるいはその産物だとでもいうのだろうか。ならば僕は憎む。我らの進化を憎む。欲望は罪だ。破れたシャツから覗いた内川の雪のような肌が頭から離れない。違う。僕はこんな欲望はいらない。いらない。僕は憎む。この欲望を憎む。全ての人間の欲望を憎む。


 ドアノブを強く握りしめていることに気付いた。大きく深呼吸をしながら、額を鉄の扉に押し当てた。冷たい。本当に、僕はどうかしている。


 ゆっくりと階段を降りた。自分がどうしたいのか分からなかった。


 一階まで降りると、体育館へ続く廊下から、人間が歩いて来るのが見えた。手に何か細長い物を持っている。先程入口で見かけた奴だろうか。教師だったら面倒だ。


「ソーマ……?」


 月明かりに照らされたその人間は、霧島だった。僕を見て驚いているようだが、すぐに表情を引き締め僕をにらむような鋭い目つきになった。


「何でここに……いや、丁度いい。ちょっと来いよ」


 霧島はいつもと雰囲気が違った。と言っても、夏季休暇に入る前に教室でたまに見せたような落ち込んだ様子とも違う。何か、ピリピリとした怒りのようなものを全身に漂わせていた。


 体育館の方にきびすを返し歩いて行く霧島の後を僕は歩いた。奴は右手にフェンシングで使うレイピアを持っていた。そういえばこいつは、フェンシング部の主力選手だったか。


 何故そんな物を夜中の学校で持っているのか。どこに行くつもりだったのか。そして何故僕を引き連れて歩くのか。普段ならすぐにその簡単な疑問の収束点を見つけられそうだが、今は頭がぼんやりとしていた。何も、考えたくなかった。


 やがて暗い体育館の中心に辿りつくと、霧島は振り向いた。


「ソーマ、俺と戦え」

「……何を言っている」


 奴は月光に照らされ白銀に輝く剣を構え、もう一度言った。


「俺と戦え!」

「何故お前と戦わなければならない。今はそんな気分じゃない」

「そうか。じゃあ死ね!」


 霧島が突然剣を突いた。突然の攻撃に目が覚めた様に横に避ける。


「何をする!」

「俺はお前がずっと嫌いだったさ。どんなに努力しても、お前には絶対に届かない。届くことも許されない!」

「許されない? 何故だ?」

「それが、俺の使命だからだ!」


 霧島がそう叫びながらレイピアを突き出した。速い。

 剣先は鋭い音を立てて僕の頬を掠めた。競技用の剣とは言え、本気で突かれればかなりのダメージになるだろう。ただ、それよりも今、気になる事は……


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