お前達を裁きに来た

 内川の亡骸をあの男のそばに置いて来るのは気が引けたが、とても冷静に弔ってやれるような気分でもないし、病院や警察に連絡して怪しまれるのも避けたかった。男は当分起きないだろうし、両腕の骨を折ってやったので大丈夫だろう。


 以前霧島に連れられて来た土手を登り川辺を見渡すと、トタンで出来た古めかしい小屋にオレンジ色の明かりが灯っているのが見えた。昔、川を渡っていた船の道具をしまったり船員が使っていた建物だろうか。辺りはもう薄暗くなっており、人影もない。


 足音を潜めて小屋に近付いた。小屋の壁にはスプレーのようなもので髑髏どくろなどの落書きが幾つもされている。中から話し声のようなものが聞こえるが、何を話しているかまでは分からない。近くにスクーターが数台止めてあるのが見える。


 工場にいた男が話した人数は、本人を含めて七人。この中に何人いるか分からないが、僕の接近には気付いていないようだし、この小さい小屋に相手に出来ない程の大人数がひしめいているとも思えない。扉の前に立ち、頭の中である程度動きをシミュレートしてから扉を蹴り開け、水のように素早く内部に侵入した。


 埃っぽい小屋の中で、驚いた男達の顔がこちらを向く。一瞬で人数を把握した。六人か、問題無い。

 一番近くに立っていた男のみぞおちに中指の第二関節を立てた拳を捻じ込む。男は短く声をあげて倒れた。


「か、上凪っ?」

「マジかよ!」


 男達がにわかに騒ぎ出した。辺りから武器になるような物を探しているようだ。一番奥に、見覚えのある男の顔があった。東城だ。少し青ざめた顔をしている。


 奴に駆け寄りながら、自分で自分の心理に驚いていた。これは怒りだ。憎しみだ。こいつに内川を殺された事を、僕は全身で恨んでいる。自分の心がこんなにも動く事が意外だった。心の底に激しく燃え盛る氷のようなものがある事に気付いた。


 右方向から男が木材を振り下ろすのが見えた。右手で掴み、左手で顎を打ち上げる。

 すぐに左方向からシャベルがスイングされたのを避け、足を蹴って転ばせる。


 遅い。人間とはこんなにも遅い生き物だったのか。


「こいつ強ぇ!」

「何なんだこいつ!」


 僕はミスティルテイン。神を貫く刃だ。お前達を裁きに来た。


 怯えた顔で鉄パイプを振り上げた東城に接近し、親指を立てた右手を奴の首に突き立てる。


 トマトが潰れるような音がした。親指が暖かいものに包まれた。人間の肉が練習台のカカシよりも柔らかいというのは本当だったんだな。


 東城は目を見開き、口から意味不明な音を発した。鉄パイプが奴の手から離れ床で音を立てた。指を引き抜くと、赤黒い液体が穴から勢いよく溢れ出した。穿うがたれた穴からヒューヒューと空気が通る音がする。


 振り返ると、それぞれに武器を持った男達が全員固まっていた。背後で東城の体が床に崩れ落ちる音がした。


「マ、マジかよ」

「こいつ……殺しやがった!」


 その言葉に心の氷がさらに高く熱く燃え上がった。


「何を驚いている。お前達が内川にした事だ。お前達もすぐに殺してやる」


 東城の血で濡れた親指を、顔の前で下に向ける仕草をした。サムズダウンは確か西洋文化で「死ね」の意味があったはずだ。親指の先から赤い液体が床に滴る。


「な、なめんな! こっちは六人いるんだよ!」


 東城はもう動かないだろうし始めに殴った男はまだ起きないので、正確には四人だ。僕も心の中で「なめんな」と呟いた。左手をズボンのポケットに突っ込み、入っていたパチンコ玉を親指と人差し指の間にセットする。


 四人の内三人が襲いかかってきた。一人は扉付近で待機している。逃げ道を塞いだつもりなのかもしれんが、僕に逃げるつもりなどある訳が無い。


 左の男がナイフを持っているのが見えたので、そいつの目に向けて左手のパチンコ玉を打ち出した。カカシよりも近い距離なので、動いていようが正確に狙いを付けられる。相手の手が守りに移るよりも早く銀の鉄球は男の右目に直撃した。


 男が叫びながら目を押さえてしゃがみ込んだ。残りの二人がそれを見て怯んだ所で、右側の男に駆け寄ってみぞおちを殴る。腹を押さえて前のめりになる男の髪を掴んで、顔面に膝蹴りを喰らわせた。小さく声を上げてうずくまる男の鼻から大量の血が流れ出た。


 僕に立ち向かう残りの一人となった男は、雄たけびを上げながら木材を振り回した。それを左手で掴むと、右手で男の顔を殴る。よろけた男の腹を左足で蹴り飛ばした。激しい音を立てて男は小屋の資材の中に転がった。


 ナイフの男が片目を開けて立ち上がろうとしたので、顔を蹴って仰向けに転がし、喉に親指を突き立てた。男の体が一度激しく引きつったが、すぐに動かなくなった。先程打ち倒した二人も、同じように顔を蹴って転がし、喉にファランクスを突き刺す。


 ここまでしても、扉の前で腕を組んでこちらを眺めている最後の男は動かなかった。無表情の顔に小屋の明かりが落とす影は、闇よりも濃く見える。


 最後の一人に走り寄り、親指を喉に向け突き出す。男は何の抵抗もしなかった。バルドルを貫いたヤドリギの新芽のような、赤く輝く親指が肉に突き刺さる刹那、男の顔は僅かに笑ったようにも感じた。


 最後の男が言葉もなく倒れた後、最初に殴って倒れたまま動かない男にもとどめを刺し、僕は血の匂いの充満する小屋を出た。



 外はもう夜の闇を纏い、生ぬるい風が吹いていた。右手の親指だけ微かに涼しく感じた。


 人間を殺したのは、もちろん生まれて初めてだ。復讐とはいえ、僕がした事の罪の深さも理解している。だが、不思議と心も頭も落ち着いていた。


 いや、もう、どうでもよかったのかもしれない。ようやく見つけた僕自身の生きる意味を、愚かな人間達の欲望と暴力によって奪われた。もう、ヤドリギの言う『使命』もどうでもいい。そんな得体の知れないものに、僕が従う義理も無い。家に帰ってヤドリギに殺してもらうか、どこかで身投げでもするか。


 心に何かひっかかるものをいくつか感じながらも、どうでもいいという気持ちでそれを振り払い、土手の坂道をゆっくり登った。

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