崩れる平穏
卒業まで待つという約束をしてから、内川は毎日のように昼休みの屋上に来た。もう日差しは夏の勢いを得て突き刺すように降り注いで来るため、二人で階段室の影に隠れながら昼食をとった。
内川との約束を叶える為には、ヤドリギを越えなくてはならない。その理由は分からないが、僕に課せられた使命と、僕の求める幸福が、一つの延長線上に重なったように思えて、少し嬉しさのようなものさえ感じた。
何よりも、僕の隣で内川が見せる幸福な笑顔を見るだけで、心は暖かく満たされた。
学期末試験を終え、学校は夏季休暇となった。つまらない授業に時間を奪われないというのは素晴らしい。
ヤドリギは、何をしているのか知らないが日中は頻繁に外出していた。それでも、夕食前には必ず帰って来て組手は欠かさず行った。僕はまだヤドリギを越えられずにいる。
今日もヤドリギに課された基礎トレーニングを終え、夕方となり涼しくなり始めた空気を感じながら、自分の部屋でハッキングツールのプログラミングをしながら戦略を考えていると、階下で玄関の扉が激しく開く音がした。
「おい! いるか!」
ヤドリギの声だ。尋常じゃない雰囲気に、急いで部屋を出て階段を駆け降りる。
「どうしました?」
「今すぐ、お前の高校の近くにある廃工場に行け。急げ!」
ヤドリギの鬼気迫る声と表情に
高校の近くの廃工場。確か、昔は自動車の修理工場として使われていた場所だと聞いたことがある。子供が入り込んで危険だとか、不良連中が溜まり場にしているとかで、周囲の住民は取り壊しを希望しているという話も聞いた。
十分程走り続け、工場に着いた。意味を成していない「立ち入り禁止」と書かれたプレートを下げたチェーンを
くすんだ窓ガラスから滲み出る淡い光の中、車の修理に用いていたであろう古びた機械が沢山並んでいるのが見える。工場の内部は、思ったよりも広いな。辺りを見渡すと、一か所だけ、人口の光が灯っている場所を見つけた。そこに向かって走る。
光の下に近付くと、灰色のパーカーのフードを被っている男が
「おい、こんな所で何をしている」
そう言いながら男に近付いて、思わず足が止まってしまった。
視界の左側に位置する機械の奥から、床に敷かれた毛布のようなものが一部覗いている。その上に、ヒールの低い靴を履いた人間の女の足のようなものが乗っていた。
頭の中にいくつもの想定が浮かぶ。ヤドリギが、僕をここに向かわせた理由は何だ。奴の、悲しい獣の遠吠えのような叫びの理由は何だ。
ゆっくりと歩き、機械の奥を見定める。
「ぐっ……」
喉に何か異物が詰まったような感覚を覚える。呼吸が苦しくなる。状況を理解する為に、脳がフル回転しているのが分かる。
毛布の上の女は、死んでいた。寝ているのではないと明らかに分かるような、不自然な体の曲がり方をしている。衣服が乱れて、ワイシャツのボタンが所々取れ、雪のような白い肌が覗いている。
違う。違う。違う。この驚愕は、この吐き気は、この憎悪は、それらが理由ではない。
毛布の上の女は、内川だった。
「ぐっ……、ああ……」
グラグラする頭を抱えながら何とか足を引きずって、動かない内川の
細い腕を取ってみると、驚くほど冷たかった。脈をとってみるが、陶器のように動かない。
「あ……、ああ……」
内川の首が不気味な色に変っているのが見えた。ここを、絞められたんだろうか。
口元に耳を近付けても、心臓の辺りに耳を押し当てても、命のかけらも探り当てる事が出来なかった。
「はあっ……はあっ……」
脳を働かせる為に全身から血液が頭に集まっているように感じる。手が冷たく、ピリピリとした痛みを伴って震えている。
立ち上がり、未だに動かない男の方に近寄る。半袖のパーカーから覗く腕は、さっき見た内川の白い腕が嘘のように、生気のある肌色をしている。よく見ると、呼吸はしているのか微かに体が動いている。
男は「ごぶう」という妙な声をあげ、転がって後ろにある機械にぶつかった。
「ひいっ!」
今まで呑気に気絶でもしていたのか、機械にぶつかった男は僕を見上げて目を見開いた。
「ま、待ってくれ!」
「ここで何をしていた」
「俺じゃねえ! 俺は何もしてないんだよ!」
男は両手の平を僕の方に向け、壁を作るようにした。
「ここで何をしていたと聞いているんだ!」
僕の怒声が暗い工場に響いた。男の方にゆっくりと歩く。男は情けない顔をして涙を流しながら声を出した。
「俺は、あの女に触ってもいねぇし殺してもいねぇんだよ。あいつらに脅されて残ってただけだ」
怯える男の前まで来た。再び右足を後ろに引いて、「ひいっ」っと叫んで身構える男の後ろの機械を蹴る。爆発音にも似た激しい音が工場の中に響いた。男はガクガクと震えている。
「あいつらとは誰だ。そいつが内川を殺したのか? お前は何をしていたんだ」
「あ、あいつらは、東城達だ。お、俺は、やるって聞いたから付いて来ただけで、触ってもいねえんだよ。ホントだよ」
「東城? 誰だそれは」
「お、お前、上凪……だよな」
フードの男が卑屈な顔で僕を見上げて名を聞いた。右足を上げて、男の腹部に向けて踏み下ろした。ガードに回した男の両腕ごと腹を踏みつぶす。
「うぼぉっ」
「そうだが。それがどうした」
「うっ……待てっつってんだろ」
再び右足を上げると、男はまたしても情けない悲鳴をあげ、全身を固く丸めて両手で顔を覆った。それを見て右足を下げる。
「言え。東城とは何者だ」
「……いつだったか、学校で内川に絡んでた時、お前が来ただろ。そん時お前に殴りかかろうとした奴だよ」
あいつ……。鉄パイプで僕を殴ろうとした頭の悪そうなあの男か。
「そいつがリーダーで、集団で内川を襲ったんだな?」
そう言いながら、腹の底に黒い炎のようなものが燃え上がるのを感じた。
「そ、そうなんだけど、あいつが暴れるから、大人しくさせようと全員で押さえて、そん時に誰かが首を絞めたんだ。……まさか死ぬなんて思わなくて……みんな興奮しておかしくなってたんだよ。死んだと分かったら、みんな俺に後始末を命じて逃げ出しやがった。ちくしょう……大人しくしてればいいのに、あいつが暴れるのがいけな」
男が言い終わる前に、腹に燃え
「や、やめてくれ、助けてくれぇ!」
「そいつらは今どこにいる。言え!」
僕が叫ぶと、男は震える涙声で話した。
「わかんねぇけど、たぶんいつものアジトだ。学校の横の川沿いにある小屋だよ」
「違ったら殺すぞ」
「だからわかんねぇって! でも大抵あそこにたむろってるから、きっとそうだよ」
アジトの場所と人数を聞いた後、男が気絶するまで蹴り続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます