待っててね
昼休みの屋上で、ヤドリギの言葉の意味を考え続けていた。
僕は、ミスティルテイン。神を貫く刃。どういう意味だ。
僕は強くなる必要があり、それは僕とヤドリギの因果を断ち切る為……
まさか本当に、神を殺す事が僕の使命だとでもいうのだろうか。いや、いや、この想定は馬鹿げている。神など、弱い存在が生み出した空想の産物に過ぎない。そんなものを殺せと命じる程、ヤドリギは夢想家ではないはずだ。
分からない。奴の目的が。僕のすべき事が。そしてそれを明かさない理由も分からない。
校舎に続く扉が開いたのが視界の端に映った。その途端、今までの思考が全て霧散し、心臓が苦しく畏縮するように感じた。
「あ……、上凪くん。やっぱり、ここだったね」
出てきたのはやはり内川だった。心臓がキリキリと痛む。この痛みに、最早驚きはしない。この感情を、この痛みを何と呼ぶか、僕はもう知っている。
内川は僕の方までゆっくり歩いて来たが、以前のように隣と言える程近くまでは来なかった。3メートル程離れた所で、顔を赤くし、
「……何か用ですか?」
「えーっと、その……」
僕の心臓は、心は、今でも腕を伸ばして内川を掴もうとしているが、出来ればもう、関わりたくなかった。関わっても、苦しくなるだけだと分かっていた。近付けば、近付く程、幸福が離れていくような気がしていた。
「この前は……ごめんね。その……ダメって言ったのは、私達の立場の問題であって……決して、上凪くんをダメって言った訳じゃなくて……」
風に吹かれて乱れる髪を、右手で耳にかけながら内川は話した。
「だ、だから、その……気にしてたら、ごめんなさい、って……謝りに来たの」
……苦しい。ヤドリギに叩きのめされるよりも、余程苦しい。
「いえ……。気にしていません」
そう言うと、内川はハッと顔を上げたが、またすぐに
「そ、そう……。よかった……」
言葉とは裏腹に、何故か内川は泣きそうな表情になっていた。幸福な人間よ、何故そのような顔をするんだ。その顔を見るだけで、心が切り裂かれるような気分になる。
「僕の行動にも問題がありました。すみませんでした……」
「えっ」
内川がまた顔を上げた。今度は僕が視線を落とす。
「う、ううん、いいの。気にしないで……」
「はい……」
二人の間に沈黙と風が流れた。
「うううー」
内川が妙な声を出した。視線を上げると、内川は両手で頭を抱えて、ぽろぽろと涙を零していた。その光景に衝撃のようなものを感じた。内川が、泣いている。
「違うんだよ。違うんだよぉ」
「……違う?」
「嬉しかったけど、苦しいんだよ。ずっと苦しいんだよ」
内川の声は震えていた。苦しいのか? それは今僕が感じているのと、同じような苦しみなんだろうか。
「こんなこと言うのも、考えるのもダメだって分かってるのに、でも苦しいんだよぉ」
内川の目から流れる涙の粒が大きくなったような気がした。
「どうしたらいいか分からないんだよ。そればっかり考えちゃって、何も出来ないんだよ。気にして欲しいよ。でも許されないんだよ」
内川が何を泣いているのか、何となく分かった気がした。胸元に押し寄せる感情が、心臓を強く叩く。
「生徒だって思おうとしたのに、やっぱり押さえきれないよ」
「先生……」
「やっとまた会えたと思ったのに、こんな関係ってひどいよ」
今の言葉に違和感を感じた。やっと? また会えた? どういうことだ。そのような表現をするほど、久しぶりに会ったという印象を持ったことは無いが……
内川は頭を抱えていた手を目元に移し、流れ続ける涙を拭っている。
「どういう、ことですか?」
「……やっぱり、覚えてない?」
「え……?」
「ううん。何でもない……」
少し落ち着いたのか、内川は腕を下ろして俯いた。
「あの……あのね。今、上凪くん、二年でしょ?」
「ええ」
「あと一年半……、待っててくれるかな……」
「え、何をです?」
「ううー、そこは読み取ってよぉ……」
一年半ということは、自分が高校を卒業する頃だ。
よく分からないが、内川が待っていて欲しいと願うなら、僕はいくらでも待とう。例えそれが何であろうと、何年かかろうと、その苦しみを晴らせるのなら、待ち続けよう。
「……分かりました。待っています」
僕がそう言うと、内川はようやく笑顔を見せた。
「ほ、ほんと?」
その笑顔を見ると、安心する。無意識に口元が
やはりあなたは、泣き顔よりもその方が似合う。
「ええ。本当です」
「……よかった。えへへ……」
ようやく笑ったと思ったら、今度は肩を落として大きなため息をついた。
「はあぁー、こんなに泣いちゃうなんて、しまったなぁ。午後の授業どうしよう……」
見てみると、涙は止まっていたが、確かに目元が真っ赤になっていた。
「冷やすか、温めるといいらしいですよ」
「あ、そうなんだ。ありがとう、やってみる」
視線を上げた内川と目が合う。今度は目を逸らされなかった。涙で赤く腫れた内川の目を見つめていると、目の前の幸福な人間は、また優しく微笑んだ。
「えへへ、待っててね……」
「ええ、待ってます」
「うふふふ」
内川が幸せそうに笑うと、それだけで何故か心臓の辺りが暖かくなる。さっきまで感じていたような苦しみは、痛みは、青く広い空に吸い込まれたように、今や何も感じない。ただ暖かく、満ち足りたような感覚が、体中に溢れている。
内川が僕に待っていてと願い、僕がそれを約束した。それで泣いていた内川が、笑ってくれた。それだけで、こんなにも心が満たされている。
そうか。これが、内川の言う『幸せ』なのか。この『幸せ』を、いつまでも感じていたい。その幸福な微笑みを、あなたの隣で、ずっと見ていたい。
ヤドリギの言う使命を終えたその先の、『僕』が生きる意味さえ見出せそうな、そんな光景だった。
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